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悪童の書 bs

2014年10月18日 | 悪童の書
bs

 成功というものがもし将来に訪れ、その名誉のあるべき姿をあらわす明確な形として、ふたつの方法でしか具現化を思い浮かべられない。

「いいとも」という番組でタモリさんの横にすわっている。たとえ、ビール瓶がいちばん似合う顔と評されながらにしても。

 もうひとつは、「ぴあ」という雑誌の表紙を飾ること。このふたつを両方とも叶えたひとが、成功者の証しだった。ぼくは八十年代を生きている。

 ぼくは自転車に乗り、閉店後のシャッターで閉ざされたとなり町の本屋の店先にある「ぴあ」の広告のポスターを拝借する。賞味期限が二週間ほどの見事なアート。多分、イラストで描かれたアイドルの肖像だったろう。

 ひとはポスターというものを自室の壁に飾るようになる。まだ、小学生。薬師丸ひろ子さんが、その役目の先頭にいる。勉強机の真正面にマグネットで押さえられるひとつの素朴な笑顔。その後、現実の女性の写真を挟みながら、健康な自分はわざわざ風邪薬を買い、おまけでくれたキョンキョンのポスターを貼る。永遠のアイドル。古着のジーンズが似合う男性になったり、カリフォルニアかどこかの日焼けしたのびやかな姿態のショート・ヘアの外国人になったりもする。覆う面積を限りなく少なくするビキニ。壁の一角を陣取るのは最終的に、ジャズ・ドラマーのマックス・ローチになる。知的な行動者。静かな闘志。キープ・リズム。

「この、黒ちゃん」と同居している父は、それを見て言う。世界から除き去れないもの。そういう社会にいる。優越感と劣等感。そういう社会にいる。しつこいようだけど。無知でいられる凄み。サッカー選手にもバナナを一房。おかわり。

 その父は、「ハイライト」というタバコの銘柄を長年、愛用していた。机に無言で置かれている。存在感のある色合い。大人になり、和田誠さんというひとがデザインをしたパッケージであることを知る。同じひとは、小泉今日子さん主演の「快盗ルビィ」という映画を監督している。世界はつながりを求めている。シナプス。音楽は、大瀧詠一さん。テレビに出なくても、成功するという存在が確実にいることも知るようになる。八十年代もいずれ終わりになる。

 成功とは、誰も見向きもしない地点でも種がまかれ、勝手に発酵すること。

 死後の名声が、人間の貴さのクラスとして最上級の誉れとすること。経済学者という「再読」に値せず、レンジでの再加熱もしないですむ、作りたてというファスト・フードの耐久力に甘んじるべき事実の学説。ぼくは、ゴッホやフェルナンド・ペソアがいる世界に生きることを望む。すなわち、生きることを成功前に絶たなければならない。未然に。永続性を、もし得たいならば。

 隠れた名曲やヒット・チャートを駆け上らなかったシングル曲にも魅力を感じる。誰も見向きもしない映画だって面白いものがあるのだ。興行というお金儲けがより重要視される。九十年代になる。

 コメディというのは大真面目にふざけるのが仕事だった。いいとものひとつの映像。アルゼンチン・タンゴを習っている。あまりにもふざけすぎ、本物の外国の先生が放った「ノン・コメディコ」ということばが耳から離れない。医者に、「治すな! 処方箋を書くな!」という類いの発言である。成功もまたむずかしい。

 雑誌も廃刊になる。スケジュールを調べて、予定をつくる。時間をつぶすために、渋谷のパルコの地下の本屋にいる。あるいは東急ハンズで商品の数と量に驚いている。

 はったりなのか、見栄なのか、音楽番組に出ないことで、自分の虚像を守ろうとしているひともいる。音楽にランクもない、という主張もあるらしい。その通りである。ぼくは沖縄の三線の響きを求めるようにもなる。

 音楽は、アマチュアのバンドが深夜にテレビで演奏して認められることに移行する。「ぴあ」の表紙を飾る面々ではなくなった。

 ベスト盤という入口があって、そのアーティストのすべてを網羅したいという情熱がでてくる。さらに、ビートルズはレアな音源を発掘される。成功というのが進行形にならなくても、過去の遺産でもろもろの財布を潤す。ひとは似たものを作りたい衝動にかられる。

 成功というのは好きなことができる環境と等しいことを知る。手に入れるのは困難だが。みな、発注があって受注があって、それから利益の分配があった。そこから漏れるのは生活ができなくなることになる。詩人や哲学者という頭脳労働者への発注を誰がしているのだろう? 世の中はまだまだ謎だった。

 成功には、スポンサーがついた。その成功には税金の納付が含まれるようになる。息を吸うだけで、かかるのが税金だった。免除のやりくりを教えると、スポーツ選手がねらわれる。結果、追徴される。成功にも納付にも期限があった。

 成功はマンネリと戦うことになる。ミック・ジャガーは何度、「サティスファクション」と叫んだのだろう。アレンジを変えると、不満になるのが声援を送るひとたちのモラルである。

 追及すると、一時的な栄光を受け、あとは気にもされないのが成功のあるべき姿のようにも思う。

 しかし、形などない。八十年代の名誉もどちらも不可能になった。生まれて、借金もない状態で死ぬぐらいが、大成功のようにも思う。

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