爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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雑貨生活(3)

2014年10月22日 | 雑貨生活
雑貨生活(3)

 終わらない物語というのは言い訳で、そもそも、はじまってもいなかった。

 どこからかスタートしなければならない。きっかけが与えられれば、自転車の車輪のチューブは膨らみ、どこにでも走りだすことができるようになるのだ。
 参考書に目を通さない受験生に油断はないだろうか? 真摯さに欠けているのではないのか。

「ここは、テストに出る」という教師のアドバイスに耳を貸さないことも正当化できるだろうか。賢さをみすみす捨てる覚悟ではないのか。

 ぼくは彼女の留守の隙に、彼女の日記をこっそりと手にする。そこからヒントが得られると願って。藁をもつかむ気持ちというのは、こういう状態のことなのだろう。

 扉
 私は扉
 私は扉を開く、扉を開く
 私は人生の扉を開く
 私は何度も、何度も
 人生の扉を開く

 ぼくは彼女をまったくの他人と感じる。ぼくが知っている人間ではない。詩的な一面がどこかに隠れている。寝ながら腰のあたりをボリボリと掻いているのはこの詩人の卵だったのか。しかし、ぼくはなにかを生み出さなければならない。傑作に近付くなにか。分担作業にするのだ。彼女はお椀を削り、ぼくは漆を塗る。彼女は木材を組み立て、ぼくはペンキを重ねる。どちらが制作者なのか?

 彼女はドラマの脚本を書いている。どこかに応募する算段らしい。ぼくは、その書きかけのものを見つけられない。いや、在処は知っているのだ。そこには頑丈なカギがかけられている。本気を出せば簡単に壊せそうな小さな金庫なのだ。しかし、本気になるまでもない。ぼくの才能は溢れているが蛇口を取りつけていないだけなのだ。

 ぼくらは趣味が合い、気も合うらしく会話が弾んだ。それも遠い話だ。いまのこの部屋にはふたつの机が背を向いて設置されていて、お互いのこつこつした作業の間は黙っているのがルールだった。たまにコーヒーのカップが机にドンと置かれた。飲みたいときは二杯いれるというのもルールだった。

 彼女はいまは普通の仕事をしている。みんな空想や夢でご飯を食べることはできないのだから。別の才能を、通常の時間に持ち込む必要がある。

 おそらく今日も仕事を終えた後にスーパーに寄って食材を調達する。調理をして味付けをぼくに確認させる。その際、決まって、「居ない間、仕事、はかどった?」と訊くのだ。
 ぼくはなりたくもないが「ヒモ」の初段ぐらいになっている。

「まあまあね」
「じゃあ、そのあらすじ、食事しながら、話してちょうだい。わたし、お話し、大好きなの」

 彼女がむりやりぼくの扉を叩いているのだ。トイレット・ペーパーがなくて困難を感じている状態と近いのに。ぼくは、どうやってこの場を乗り切ればよいのだろう。窓のうえから誰か紙のロールを投げ入れてくれないだろうか。親切なひとはいないのか。

 水が湧くので、水を汲む。新鮮な清涼な水が滲み出てくるので、喉をうるおすことができる。

 反対に、温泉となる源泉を探し出し、井戸のような穴を掘る。あれは、何と表現したのだったか? ぼくは言葉を操る魔術師となるよう訓練したのではなかったのか。手品師と言い換えてもいい。だが、タネは確実に入用である。

 ボーリング? それは黒い重たい球をツルツルの床のうえをすべらせ、十本の不可思議な置物のどてっ腹に叩きつけることではなかっただろうか。

 ぼくはテーブルを前にして座っている。彼女が働いている間に生み出した物語を、この場で披露しなければならない。ぼくは爪の先をみる。暇な一日だったのできちんと切れている。
 彼女は少女のように瞳を輝かせている。彼女にとって、チョコレート以上のものであり、アルコールの酔いも同時に得られるものが「お話し」だった。

「それでね」自分の第一声。声の質と音量でごまかそうとしている。声をコントロールする。これこそが文明人の証しだった。甲高くてもいけない。低音やこもった声もダメ。ボソボソも、浮ついているのも不合格。ぼくはしかし自分の顔の骨格と合った音を出す。不似合いではない。

 彼女はスプーンを持っている。いまは空中で停まっている。次のつづきを待っている。「次のつづき?」ぼくは頭のなかに、いままさに生み出されようとしている言葉も採点している。

 昨夜、彼女は友人と電話をしていた。次から次へとことばがとめどなく出ていた。それを会話と評しているのだが、ふたりのそれぞれの互いのモノローグともいえた。口に出る前に、思考の壁を挟むこともしない。そのおしゃべりに興じる女性が、無言で文字が浮かぶ画面を見ている休日がある。ぼくは肩をもむふりをして、その画面をのぞきこもうとするが、彼女は瞬時に別の画面に入れ替えてしまう。

 ぼくは彼女のお手製のスープを飲む。カボチャの味がする。ぼくは彼女と自分の母との年齢の差を考えることになる。カボチャの形を失うなど、母の頭にはなかったはずだ。ごろっとしたカボチャの煮物。ぼくも自分の作品を濾したカボチャにしようと、またもや無意味なことにつなげだした。

「それで?」

「母と買い物に行き、スイカを購入した。ぼくは荷物をもつ係りに任命され、ブラブラと前後に揺すりすぎてスイカの表面をブロックの壁にぶつけて傷つけてしまう。ぼくは絆創膏で応急処置されたひざを見て、スイカにも同じことをしたいと思った」

 彼女はつづきを要求する。

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