爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 bq

2014年10月16日 | 悪童の書
bq

 思い込み。

 上野から銀座線で渋谷という路線に慣れ親しんでいる。

 住む場所が変わる。駅伝の一区間ぐらいだが。違う色の地下鉄に乗車して、表参道で乗り換える。やはり、渋谷に行く。必ず、銀座線を選んでいた。

 ある日のこと。半蔵門線もあるんだと気付く。途中まで並行している。改札から地上への出口って、どの辺なんだろう? と、確かめる。自分の行動範囲は、わざわざスクランブル交差点を通過する作業を省いたこの辺りの方が、確実に便利であることを知る。疑うということを間に挟まないと、こういう結果になる。ハチ公がぼくの帰還を無言で待っているわけでもなかった。

 地下鉄が空を通過している。この状況にもなじんでいた。電車も途中で一瞬、必ず照明が消えた。銀座線の突き当りは浅草だった。ここから国道六号線をたどれば、子どものときの住まいに通じる。水戸街道と呼んだりもする。

 繁華街といえば、浅草や上野だった。浅草寺を中心とした町ではカツサンドを食べ、すき焼きをつついた。父は博打をしなかった。だから、競馬場の思い出もない。後に一世を風靡する漫才師は、ここで研鑽をつんでいたのかもしれない。ギャンブルに興じる面々の記憶が、浅草の景色ともなっている。身近になるもの。川崎の野球場でとなりの敷地の歓声がきこえた。ロッテはきょうも弱かった。その付近に父の妹がいた。山下公園で遊んでいる写真がある。別の妹は横浜にいた。母の兄がいる曳舟という地と交互に遊びにいった環境のずれが、ぼくを作ったともいえる。海外へと通じる文明と長屋にも似た暮らし。ペリーと落語。

 道は限りなく曲がって狭かった。向島や京島というローカルな名称。整備というのは昭和二十年の三月の空襲を免れたとしても手入れをやめたような地である。

 もう片方には海がある。レンガの倉庫がある。なるべくなら山より水が豊富な地域に住みたいと思っている。坂道とフラットな地の戦いともいえる。

 横浜まで長い距離を車内で過ごす。父のいちばん嫌いなもの、という質問があれば、間違いなく公衆のなかで子どもが騒ぐということに尽きた。だから、靴を脱ぎ、黙ってひざ立ちで車窓を見ている。観察の訓練にもなった。子どもにも修行を。

 一度だけ、このふたつの父の血とつながる家族と大勢で岩手に帰省した記憶がある。父は、ここの出身であるらしいが、あとにも先にも来たのは一度きりなので、感慨ももてないままいまに至っている。ただ、海がきれいだった。神奈川や千葉の底が見えない海水に慣れ親しんだ自分には、その無防備な透明度は不安にも似たものを与えた。

 父は大型の車にも乗れる免許を有していた。そもそもバスの運転手として生計を立てていた。定年後に、幼稚園の送迎バスの運転手として再就職したと思ったが、ガンが見つかり、あっさりと役目から退いている。あの威圧感で構成されている人間が、園児やその母たちとどう接していたのか、ぼくには映像として結びつけることが困難だった。

 レンタカーを借り、長い道中を走ったはずだが、もう記憶は断片しかない。普段は仕事以外で運転することを拒んだため、車で移動した思い出など皆無なのに、この少ない機会のことすら失っている。

 自分の運転の能力というものを知らないままで終わる。となりや後部座席に座る。スピードを出すから怖いのではなく、コントロール下に置いていない不安定要素が雰囲気としての恐れを与える。事故というのを経験する機会も確立として少なくてすむし、実際にそういう状況になったこともない。電車の脱線という最大の事故のニュースを目にする。場所もインプットされる。有楽町の家電量販店で福知山のニュースをたくさんの画面で見る。同じ映像が複数の異なる大きさで放映されている。あの日に、どこにいるか? ということが即ち運命のようでもあった。

 海でおぼれる。つかんでいたビーチボールが波の力で跳ね飛ばされた。母の兄であるおじさんに助けられた。クラゲという存在が凶器に化けることも体験する。夏も終わる。二十数回の夏も終われば、若さは滅亡した。ホワイトニングの世界である。

 美術館以外には、もう渋谷に用事がなくなってしまった。これも若さの終わりである。竹下通りにも用はない。しかし、冒険をやめた時点で、老いはさらに加速する。新橋と各地のガード下で、煤けていく。

 浅草からの景色も変わる。大きな車輪が回転する。うちなるレーニンが体内の中心で微動だにしない為、ひとを家畜の代替品として設定できない。主人を作らない。雇われない。人力によって運ばれない。だが、商売はどちらかの役割を引き受けることなのだろう。

 バスでひとを運ぶという行為と使命に準ずる父は、限りなく奴隷という立場に近くなる。この述べてきた論理によれば。ぼくは、奴隷の子孫になる。すべての乗り物の運転手に栄光あれ。

 渋谷にいる。はじめてデートをしているような若い男女に声をかけられる。道案内。「原宿に行くには、どこを通れば?」

 ぼくは、ありったけの親切をみせる。「でもね、ここから一駅乗るのが、いちばん簡単で、近いと思うよ」ぼくのその勧めに同意しない。ぼくも、そうなってほしくなかった。明治通りを歩き、原宿に行く。ある日のぼく。数十年前のぼく。乗り換えの複数のプランなどもっていないころの輝ける時代としてのぼく。まっすぐにすすめ。君らも。