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まじめさと忠実さが、誤解を生む。
仕事の初日。四人がイスに座り、研修を受けている。そのうちのひとりがぼくだった。最初の休憩時間。頭数で金銭が発生する(そこまで詳しい説明はないが)ので、緊急に休む際にはシフトの代役を探してからにしてほしい、と念入りに注意される。だから、親しいひともまだ居ない自分は、もしものときの為に、横にいる女性に連絡先を訊いている。下心など一切なく、勤勉さのあらわれとして。あとの三人はぼくをふくめて男性。当然、彼らにも訊いたはずだ。このことをぼくの助平心と一致させるようにこの中のひとりは、事あるごとにエピソードとして披露する。もう何度も口を酸っぱくして、「訊く」という純粋な行為に及んだ明確な要因は、ぼくの生真面目さと素直さから発したのだと打ち消すように繰り返してアピールするが、なんだか分が悪い。いくらか予定調和なやり取りだとしても、後味も良くなかった。
もちろん、その後はなにもない。彼女はそもそも結婚していた。建築会社のようなところで夫は働いていると言った。
「じゃあ、タンクトップに胸毛ボーボーなんだ?」
と、しつこくぼくはイメージを投げかける。可愛い子は、軽くいじめるべきであった。笑いながらの回答は、責任ある立場でありながらも、容貌として優男の部類のようでもあった。いつか、彼女もいなくなっている。その代わりに下町の床屋の娘という気の強そうな女性もいた。向こうはどう思っているのか知らないが、この新人さんも話していて楽しい子であった。会話というキャッチ・ボールとドッジ・ボールの混在。分量を考える。
しかし、本命は別の階にいた。営業部という不確かな業務内容の部屋に。衝動である恋すらも自由にならない時期でもあった。ニットが似合っていたというつまらない記憶を大事にしている。
物の見方。観察能力と、表現する力。
白いYシャツのしたに、みどり色(縁と緑を必ず見間違える目)のTシャツの生地が透けている。その状態を評して、「生春巻き」と例えたひとがいる。センスというのは誰も教えてくれない。生まれたときに抱えてでてきた壺に入っている。
電話会社のキャリアを変えたときにほとんどを継続させないため、その連絡先も失われている。ひとはいろいろなところで定期的に棚卸しをするべきなのだ。入力もあれば、出力もして、淘汰もある。休みに代理の有無も確保も必要なくなる時期もくる。
ここには鬱陶しい先輩でありながら、仕事上のノウハウの数の所有がいちばんある為に尊敬しない訳にはいかなくなるひともいた。彼と数人で昼の休憩に外に行く。警察官が横を通った際に、「マッポだ!」と言って、お育ちが分かってしまった。そういう地域のひとでもある。
イベントがあり、待ち合わせの場所には決まって缶ビールを片手にして登場する。午前だろうと、午後だろうと。ひとは馴染みの映像で覚える。彼もいたか思い出せないが、人形町の路地で桜を見ていた。夜である。この職場の仲間をもとにして集まっていた。近くのマンションに住んでいるらしい夫婦のような恋人関係のような落ち着いた様子の大人のふたりが、この集まっている雰囲気がとても楽しそうなので混ぜてほしいと、ハンバーガーを大量に買い込み、輪に入った。厚かましさと気安さの分岐点を考える。彼らにはまったくその負の側の気配がなかった。振る舞いというのを、どう捉えるかが問題になる。過剰と不足の微妙な差であるのだろう。大人は自然と身に着けるべきであり、ひとつとして訓練を経ないで、深くも軽やかにも、身に着けることなどできないことも知っている。皆無である。自然という幻想すら、訓練と血と汗と涙であった。士官学校の訓戒ではなくても。
ビール会社の名刺をくれた。ひとを酔わせるものをつくる企業というのをうらやましく感じる。
しかし、嗜好品にも税金をという短絡な思考に抵抗したくなる。財布が空だからといって、あれもこれもと要求するのは虫が良すぎるような気もする。だが、刃向うことも不可能だ。請求通りに一円の不足もなく支払う。さらにビールでも。
列車や飛行機などで、見知らぬひとに声をかけるタイミングは三十秒以内かどうかでその後が決定するそうである。あれこれ思案しているうちに機会は奪われる。その証明として女性に連絡先を訊いている。だが、彼女は休まなかった。ぼくも毎日のように職場に通った。地下鉄は混んでいた。
急に疑問がわく。いままで頭に浮かびもしなかったが、冒頭で挿入したしつこく詰問する彼は、この愛らしい女性の連絡先をとうとう教えてもらわないで終わったのか? もし、そうならば難癖も言い掛かりも正当化される。そして、我がさわやかさの絶対的な勝利である。ふたりが会話らしきしている姿も思い出せない。耳の穴にまでボディ・ソープを入れて洗うという別の女性のことを常に先頭に置いていた。
「元気ないね?」
と、建築監督の妻はある朝、ぼくに言う。実際、いろいろあった。その差が分かるぐらいにはぼくを認めていたのだろう。ああいうきれいな声の持ち主も家では豹変するのかもしれない。豹変してもらいたいし、それも恐いしというところで終わる。耳と鼻は加齢という衰えをまだ考慮に入れないで済んでいるぼくの以前に出会ったひとたちの話。
まじめさと忠実さが、誤解を生む。
仕事の初日。四人がイスに座り、研修を受けている。そのうちのひとりがぼくだった。最初の休憩時間。頭数で金銭が発生する(そこまで詳しい説明はないが)ので、緊急に休む際にはシフトの代役を探してからにしてほしい、と念入りに注意される。だから、親しいひともまだ居ない自分は、もしものときの為に、横にいる女性に連絡先を訊いている。下心など一切なく、勤勉さのあらわれとして。あとの三人はぼくをふくめて男性。当然、彼らにも訊いたはずだ。このことをぼくの助平心と一致させるようにこの中のひとりは、事あるごとにエピソードとして披露する。もう何度も口を酸っぱくして、「訊く」という純粋な行為に及んだ明確な要因は、ぼくの生真面目さと素直さから発したのだと打ち消すように繰り返してアピールするが、なんだか分が悪い。いくらか予定調和なやり取りだとしても、後味も良くなかった。
もちろん、その後はなにもない。彼女はそもそも結婚していた。建築会社のようなところで夫は働いていると言った。
「じゃあ、タンクトップに胸毛ボーボーなんだ?」
と、しつこくぼくはイメージを投げかける。可愛い子は、軽くいじめるべきであった。笑いながらの回答は、責任ある立場でありながらも、容貌として優男の部類のようでもあった。いつか、彼女もいなくなっている。その代わりに下町の床屋の娘という気の強そうな女性もいた。向こうはどう思っているのか知らないが、この新人さんも話していて楽しい子であった。会話というキャッチ・ボールとドッジ・ボールの混在。分量を考える。
しかし、本命は別の階にいた。営業部という不確かな業務内容の部屋に。衝動である恋すらも自由にならない時期でもあった。ニットが似合っていたというつまらない記憶を大事にしている。
物の見方。観察能力と、表現する力。
白いYシャツのしたに、みどり色(縁と緑を必ず見間違える目)のTシャツの生地が透けている。その状態を評して、「生春巻き」と例えたひとがいる。センスというのは誰も教えてくれない。生まれたときに抱えてでてきた壺に入っている。
電話会社のキャリアを変えたときにほとんどを継続させないため、その連絡先も失われている。ひとはいろいろなところで定期的に棚卸しをするべきなのだ。入力もあれば、出力もして、淘汰もある。休みに代理の有無も確保も必要なくなる時期もくる。
ここには鬱陶しい先輩でありながら、仕事上のノウハウの数の所有がいちばんある為に尊敬しない訳にはいかなくなるひともいた。彼と数人で昼の休憩に外に行く。警察官が横を通った際に、「マッポだ!」と言って、お育ちが分かってしまった。そういう地域のひとでもある。
イベントがあり、待ち合わせの場所には決まって缶ビールを片手にして登場する。午前だろうと、午後だろうと。ひとは馴染みの映像で覚える。彼もいたか思い出せないが、人形町の路地で桜を見ていた。夜である。この職場の仲間をもとにして集まっていた。近くのマンションに住んでいるらしい夫婦のような恋人関係のような落ち着いた様子の大人のふたりが、この集まっている雰囲気がとても楽しそうなので混ぜてほしいと、ハンバーガーを大量に買い込み、輪に入った。厚かましさと気安さの分岐点を考える。彼らにはまったくその負の側の気配がなかった。振る舞いというのを、どう捉えるかが問題になる。過剰と不足の微妙な差であるのだろう。大人は自然と身に着けるべきであり、ひとつとして訓練を経ないで、深くも軽やかにも、身に着けることなどできないことも知っている。皆無である。自然という幻想すら、訓練と血と汗と涙であった。士官学校の訓戒ではなくても。
ビール会社の名刺をくれた。ひとを酔わせるものをつくる企業というのをうらやましく感じる。
しかし、嗜好品にも税金をという短絡な思考に抵抗したくなる。財布が空だからといって、あれもこれもと要求するのは虫が良すぎるような気もする。だが、刃向うことも不可能だ。請求通りに一円の不足もなく支払う。さらにビールでも。
列車や飛行機などで、見知らぬひとに声をかけるタイミングは三十秒以内かどうかでその後が決定するそうである。あれこれ思案しているうちに機会は奪われる。その証明として女性に連絡先を訊いている。だが、彼女は休まなかった。ぼくも毎日のように職場に通った。地下鉄は混んでいた。
急に疑問がわく。いままで頭に浮かびもしなかったが、冒頭で挿入したしつこく詰問する彼は、この愛らしい女性の連絡先をとうとう教えてもらわないで終わったのか? もし、そうならば難癖も言い掛かりも正当化される。そして、我がさわやかさの絶対的な勝利である。ふたりが会話らしきしている姿も思い出せない。耳の穴にまでボディ・ソープを入れて洗うという別の女性のことを常に先頭に置いていた。
「元気ないね?」
と、建築監督の妻はある朝、ぼくに言う。実際、いろいろあった。その差が分かるぐらいにはぼくを認めていたのだろう。ああいうきれいな声の持ち主も家では豹変するのかもしれない。豹変してもらいたいし、それも恐いしというところで終わる。耳と鼻は加齢という衰えをまだ考慮に入れないで済んでいるぼくの以前に出会ったひとたちの話。