映画と渓流釣り

物忘れしないための処方箋

グリーンブックが描けなかった事

2019-03-12 20:44:18 | 新作映画
暫く映画館にご無沙汰していた。
いくつかの作品は気になっていたし、実際観にいこうとして駐車場まで行ったけど車のエンジンが点火しなかったりで、ご縁が無かったんだと諦めたり。そんなこんなあったけど、先日のアカデミーでは下馬評通り作品賞に輝いたし、車のエンジンも点火したのでイザ映画館へ。





粗筋を聞いたとき「ドライビングMissデイジー」と「夜の大捜査線」が思い浮かんだ。
大捜査線シリーズのシドニー・ポワチエも出演している「招かれざる客」でも扱われた人種問題にかかわる映画は、アメリカだけではなく移民を多く受け入れてきた国にとって、無視することの出来ない題材なんだろう。
日本には人種差別が無いなんて能天気なことをほざくつもりは無いけど、彼の国々のような問題意識を持つ事無くここまできた。(今後外国人労働者増加等でどうなるか分からないけど)だからこそ、表面的な歴史とか差別意識とかは理解しているつもりだけど、本当の意味でこの手の題材が描こうとしている真意が理解できているかは心許ない。

映画は「アカデミーを意識して作りました!」と言わんばかりの模範的な作品になっている。黒人蔑視のイタリア移民の白人運転手が雇い主の黒人ピアノ弾きと徐々に心を通わせていく様をロードムービー形式の中で描いている。大捜査線のロッド・スタイガー演じる警察署長ほど灰汁は強くないけど、イタリア移民の運転手も暴力的で無教養な男。雇い主である黒人のピアノ弾きは繊細で教養ある知識人。ポワチエの役が能力ある敏腕刑事だったあたりも良く似た人物配置だ。

ラスト、クリスマスを仲間で祝っている運転手の家庭に質屋夫婦の後ろから黒人のピアノ弾きが現れる演出は、些か使い古されているけどホッと胸が熱くなる幸せな場面だった。運転手の奥さんが耳元で囁く感謝の言葉も温かい涙を誘う。

映画の冒頭で、運転手の家に配管工事か何かで来た黒人二人が飲んだガラスコップを、汚いもののようにつまんでゴミ箱に捨てるシーンがある。
運転手が心を通わせた黒人ピアノ弾きのコップを捨てることは無いだろう。
でも、また配管工事に来た黒人が使ったコップはどうなるだろう?白人運転手は黒人ピアノ弾きを個人的に友達として認めたけれど、決して黒人を認めたとは思えない。映画が本当に描くべきだったのはそこのところじゃないだろうか。

アカデミー作品賞にケチつける積もりは毛頭ない。実話を基にした感動的で心温まる良い話だ。
でも、どこかにマジョリティの選民意識みたいなものを感じてしまうのが偽らざる感想だ。
大多数の白人アカデミー会員も表向きの多様性を意識して一票を投じたのだろうが、彼らが本当の意味でカラード(我々日本人もそうですね)に対する偏見をなくしたとは思えない。
映画としては良質な感動作品だけど、本当の現実との乖離に手放しで拍手できなかった。