取り急ぎ、冬ドラマの感想を
「トクサツガガガ」
民放のドラマは大体三ヶ月10話~11話でつくられている。もっと観ていたいと思わせてくれるドラマは年間1本2本しかないのが現実。去年なら「アンナチュラル」くらいしか思い浮かばない。
その点、NHKはスポンサー(ある意味ではNHKのスポンサーは国民)の顔色を伺う必要もないし、指標になる視聴率に惑わされることもあまり無い。よって、お約束の10話完結じゃなくとも問題ないから自由な創作が出来るのは民放より恵まれている。中身の無い(薄い)ドラマをつまらない演出で10話分に引き延ばされても観ているほうは苦痛でしかない。ギュッと濃縮して2/3くらいにすれば面白くなるドラマはきっとあるはずだ。
今期NO1とお勧めするドラマウオッチャーが多かったこのドラマも7話完結だった。あと2、3話観たいなと思わせたところで終わるのは余韻としても正解だと思う。
終盤で特撮オタク女子VS特撮オタクを認めない母親の様相を呈してきた。6話のラストで頬を張り合う母娘のバトルを見せられるとは思わなかったから、ただただ驚いたし小芝風花の関西弁で啖呵を切る姿に惚れ惚れした。受ける母親役の松下由樹が上手いから成立したシーンだ。自分の感性を押し付けがちなのはわたくしも思い当たるところがあるので、良かれと思い薦めたものを全否定された母親の悲しみも良くわかるだけに説得力ある挿話だった。結末では情を通じた親子だから完全に分かり合えなくとも許しあえる姿が描かれたので家族ドラマとしても見応えがあった。オタク女子仲間で海まで撮影会に行ったなり切り振りからも、「好きなものは好き」であることへのポジティブなメッセージが気持ちよく伝わるドラマだった。前々期の「透明なゆりかご」からこのドラマ枠を知ったけど、一時の月9とか最近の火曜10時のTBSドラマ枠のようにチェックすべきだと肝に銘じよう。小芝風花のように苦手意識をもっていた女優も、使われ方次第では魅力的な女優に変身することもこのドラマのお陰で再認識した。続編を観てみたいドラマだった。
「まんぷく」
チキンラーメンからカップヌードルまで、歴史的なインスタント食品の開発が続いているので物語りは良く知っている日清食品のお話になった。安藤サクラが50年配のオバサンになったことで、なんだか嫌味な感じが無くなった。健気に頑張るヒロインより、ちょっと厚かましいくらいの大阪のオバチャンが似合っていると言うことだろう。物語的には先が見えるので、芸達者な役者の演技合戦でも楽しむくらいしか見続けるモチベーションを保てない。唯一楽しみだった、姪(福子の姉の次女)が言い寄る二人のどちらを選ぶのかも、気を持たせた割に後日談ぽく飛ばされてしまいがっかり。3月中旬になって福子の娘、幸(子役からは想像できないくらい可愛い)とレオナルドの恋路が楽しみ。
全編通して存在に感銘したのは松坂慶子だった。可愛いおばあちゃんできる女優は凄い。
「3年A組」
生徒の死に関するミステリは最後まで引き延ばされたが、芋づる式に悪者が掘り起こされた割にはスキッとした爽快感が無かった。死を覚悟した上の蛮行だから、求めるものが崇高であっても素直に応援できないからなのかもしれない。元恋人が受けた辱めの復讐のため、守りきれなかった教え子のため、自分自身の正義のために学校を爆発物で覆い、3年A組の生徒を人質にとることへの違和感が拭えなかった。
原爆という最強の爆弾を作り、いわば日本国民を人質にとった「太陽を盗んだ男」の主人公が要求したのは、(プロ野球中継完全放送)(ローリングストーンズ日本公演)というドメスティックなものだった。でも、そっちのほうが親和性を感じてしまうのは何故だろう。せっかく上手い若手役者を揃えたのに脚本演出の力不足で活かしきれなかった。つくづく素材を活かしきれない残念なドラマだった。最終回も説教臭くてしらけてしまった。中高生あたりには面白いと思わせる何かがあるのだろうけど、あんな直接的なメッセージで自殺した生徒の代弁が出来るほど人の想いは薄っぺらじゃないと思う。そうであって欲しくないけど、もしかしたらペラペラでスカスカなのか?平気で我が子をいたぶり殺す親が沢山いる時代だもの。
「いだてん」
日本人初のオリンピック選手誕生までを観ている。
綾瀬はるかが本格的に絡まないと、いつリタイアしても良いほどに醒めてしまった。クドカンはオリンピックより落語家の志ん生の半生をやりたかったんじゃないかな。多分そっちのほうが面白かったと思う。物語が縦横無尽に駆け巡るのは躍動感が生まれるので賛成だけど、オリンピックと志ん生はあまりにも相性が悪い。
待ってて良かった。日本でもやっと劇場公開された。
「万引き家族」の対抗馬としてアカデミー外国語賞を争った傑作を見逃すところだった。
メキシコシティのROMA地区に住む家族とその家族を支える家政婦の物語。
淡々とした毎日の中に、愛憎があり喜び哀しみがあるけど、小津映画のように静かな波が押しては引くようなそんなお話し。主人公である家政婦の妊娠から死産までの10ヶ月間が日常の中に描かれる。雇用主の女主人は他所に愛人をつくり家を出て行った旦那に見切りをつけるまで、情緒不安定になりながら家政婦に辛くあたることもある。子供たちは家政婦に馴染み、友達のように懐いている。おばあちゃんは優しい人だけど、家政婦の歳も知らない。そんな家族とある時は一緒にテレビを観て笑い合えるが、散らかった皿やカップを回収し部屋部屋の電灯を消してから自室に戻るのも彼女の役割だ。
ハリウッド製の映画しか観ない人には退屈だろうな。
市井の人々の生活には宇宙人は登場しないし、古代の恐竜も現れない。スーパーヒーローが活躍もしないしカーチェイスも体験することはない。それに絶世の美女が自分のことを好きになってもくれない。平凡な毎日の繰り返しだ。月曜の朝にはふさいだ気分で満員電車に乗り、土曜の夜は子供の笑顔に癒される。
そんな平凡な時間を普遍的な映像として切り取り、言葉も文化も違う人にまで届けられるというのは凄いことだ。
才能の無いクリエーターが手をつけると、閉じた私小説的な駄作になってしまう。
監督脚本を担ったアルフォンソ・キュアロンの才気を感じる。(ゼログラビティしか知らないけど)
でも残念ながら、メキシコのことをわたくしは悲しいほど知らない。
旧宗主国スペインの流れを汲んでいるからなのか、裕福な雇用主はヨーロッパ系の白人のようだ。
家政婦は二人いるが、どちらも先住民の血を色濃く漂わせている。年越しのパーティに集まる人々もROMAに住む家族と同じく、白人の雇用主と先住民系の家政婦たち。
この映画の時代背景は1970年から1971年夏まで。
日本では大阪で万国博覧会がひらかれ、高度成長真っ只中を驀進していた。わたくしは田舎の小学生をのほほんと過ごしていた。そんな日本にだって貧富の差はある。今でこそあまり見かけないが、住み込みのお手伝いさんを雇っていた家だってあった。身近なところではわたくしの奥様のお家がそうだったらしい。古のモノクロ写真にはお手伝いさんと写る幼少時の奥様の姿がある。ただ日本の場合、お手伝いさんといっても大概嫁入り前の娘さんが家事見習いのため地縁血縁のなかで働いていたようだ。それがプロの家政婦であったとしても、あくまでも雇用主と従業員の関係であり、貧富の差による上下関係ではない。
メキシコとスペインの歴史的関係、スペイン系移住者と先住民との関係もわたくしは知らない。
物語上、そんなことを知らなくとも映画は楽しめるのかもしれないが、深い所で理解は出来ないと思う。わたくしが外国映画から離れていったのは、正しくそのことが大きく影響している。肌でしか感じることの出来ない風土とか慣習とかは人種や地勢が醸し出した歴史の産物だ。それはどんなに勉強してもネイティブな感覚を得ることは出来ない。
わたくしはメキシコのROMAに住む家族について悔しいけれど、2/3ほどしか理解できていないと思う。
淡々と紡がれた物語のハイライトは、出産の傷(心の)を癒すべく雇用主の家族と海へ行き、沖に流される子供を救い出した家政婦が、死産だったことを望んでいたと吐露するシーン。波が打ち寄せる浜辺でで抱き合う人々は雇用主とか貧しい先住民だとかの壁が取り払われ家族の姿があった。
最後に。
ネット配信で公開されようが別段構わないけれど、映画館での上映は必ず行って欲しいもんだ。
この作品のように映画館で観なければその良さを感じられないものもきっとある。モノクロの美しい映像、三方から細波のように囁かれる日常の音、被写界の深さを感じることが出来るのは相応の大きさがあるスクリーンじゃなければ味わえない。映像(映画)作家はそんな描写にまで心配りをしながら作品を作り上げている。
空を翔る飛行機の影をスマートフォンの極小画面ではどんなふうに解釈すればいいのだろう。
追記
奥様がレンタルしてきた「天国の口、終わりの楽園。」を観た。
凄い映画。世界は本当に広い。
フェリーニの影響を受けてることがよく分かる。
暫く映画館にご無沙汰していた。
いくつかの作品は気になっていたし、実際観にいこうとして駐車場まで行ったけど車のエンジンが点火しなかったりで、ご縁が無かったんだと諦めたり。そんなこんなあったけど、先日のアカデミーでは下馬評通り作品賞に輝いたし、車のエンジンも点火したのでイザ映画館へ。
粗筋を聞いたとき「ドライビングMissデイジー」と「夜の大捜査線」が思い浮かんだ。
大捜査線シリーズのシドニー・ポワチエも出演している「招かれざる客」でも扱われた人種問題にかかわる映画は、アメリカだけではなく移民を多く受け入れてきた国にとって、無視することの出来ない題材なんだろう。
日本には人種差別が無いなんて能天気なことをほざくつもりは無いけど、彼の国々のような問題意識を持つ事無くここまできた。(今後外国人労働者増加等でどうなるか分からないけど)だからこそ、表面的な歴史とか差別意識とかは理解しているつもりだけど、本当の意味でこの手の題材が描こうとしている真意が理解できているかは心許ない。
映画は「アカデミーを意識して作りました!」と言わんばかりの模範的な作品になっている。黒人蔑視のイタリア移民の白人運転手が雇い主の黒人ピアノ弾きと徐々に心を通わせていく様をロードムービー形式の中で描いている。大捜査線のロッド・スタイガー演じる警察署長ほど灰汁は強くないけど、イタリア移民の運転手も暴力的で無教養な男。雇い主である黒人のピアノ弾きは繊細で教養ある知識人。ポワチエの役が能力ある敏腕刑事だったあたりも良く似た人物配置だ。
ラスト、クリスマスを仲間で祝っている運転手の家庭に質屋夫婦の後ろから黒人のピアノ弾きが現れる演出は、些か使い古されているけどホッと胸が熱くなる幸せな場面だった。運転手の奥さんが耳元で囁く感謝の言葉も温かい涙を誘う。
映画の冒頭で、運転手の家に配管工事か何かで来た黒人二人が飲んだガラスコップを、汚いもののようにつまんでゴミ箱に捨てるシーンがある。
運転手が心を通わせた黒人ピアノ弾きのコップを捨てることは無いだろう。
でも、また配管工事に来た黒人が使ったコップはどうなるだろう?白人運転手は黒人ピアノ弾きを個人的に友達として認めたけれど、決して黒人を認めたとは思えない。映画が本当に描くべきだったのはそこのところじゃないだろうか。
アカデミー作品賞にケチつける積もりは毛頭ない。実話を基にした感動的で心温まる良い話だ。
でも、どこかにマジョリティの選民意識みたいなものを感じてしまうのが偽らざる感想だ。
大多数の白人アカデミー会員も表向きの多様性を意識して一票を投じたのだろうが、彼らが本当の意味でカラード(我々日本人もそうですね)に対する偏見をなくしたとは思えない。
映画としては良質な感動作品だけど、本当の現実との乖離に手放しで拍手できなかった。
いくつかの作品は気になっていたし、実際観にいこうとして駐車場まで行ったけど車のエンジンが点火しなかったりで、ご縁が無かったんだと諦めたり。そんなこんなあったけど、先日のアカデミーでは下馬評通り作品賞に輝いたし、車のエンジンも点火したのでイザ映画館へ。
粗筋を聞いたとき「ドライビングMissデイジー」と「夜の大捜査線」が思い浮かんだ。
大捜査線シリーズのシドニー・ポワチエも出演している「招かれざる客」でも扱われた人種問題にかかわる映画は、アメリカだけではなく移民を多く受け入れてきた国にとって、無視することの出来ない題材なんだろう。
日本には人種差別が無いなんて能天気なことをほざくつもりは無いけど、彼の国々のような問題意識を持つ事無くここまできた。(今後外国人労働者増加等でどうなるか分からないけど)だからこそ、表面的な歴史とか差別意識とかは理解しているつもりだけど、本当の意味でこの手の題材が描こうとしている真意が理解できているかは心許ない。
映画は「アカデミーを意識して作りました!」と言わんばかりの模範的な作品になっている。黒人蔑視のイタリア移民の白人運転手が雇い主の黒人ピアノ弾きと徐々に心を通わせていく様をロードムービー形式の中で描いている。大捜査線のロッド・スタイガー演じる警察署長ほど灰汁は強くないけど、イタリア移民の運転手も暴力的で無教養な男。雇い主である黒人のピアノ弾きは繊細で教養ある知識人。ポワチエの役が能力ある敏腕刑事だったあたりも良く似た人物配置だ。
ラスト、クリスマスを仲間で祝っている運転手の家庭に質屋夫婦の後ろから黒人のピアノ弾きが現れる演出は、些か使い古されているけどホッと胸が熱くなる幸せな場面だった。運転手の奥さんが耳元で囁く感謝の言葉も温かい涙を誘う。
映画の冒頭で、運転手の家に配管工事か何かで来た黒人二人が飲んだガラスコップを、汚いもののようにつまんでゴミ箱に捨てるシーンがある。
運転手が心を通わせた黒人ピアノ弾きのコップを捨てることは無いだろう。
でも、また配管工事に来た黒人が使ったコップはどうなるだろう?白人運転手は黒人ピアノ弾きを個人的に友達として認めたけれど、決して黒人を認めたとは思えない。映画が本当に描くべきだったのはそこのところじゃないだろうか。
アカデミー作品賞にケチつける積もりは毛頭ない。実話を基にした感動的で心温まる良い話だ。
でも、どこかにマジョリティの選民意識みたいなものを感じてしまうのが偽らざる感想だ。
大多数の白人アカデミー会員も表向きの多様性を意識して一票を投じたのだろうが、彼らが本当の意味でカラード(我々日本人もそうですね)に対する偏見をなくしたとは思えない。
映画としては良質な感動作品だけど、本当の現実との乖離に手放しで拍手できなかった。