日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件の真相が少しずつ明らかになってきました。
ここで少し大胆な仮説を立ててみたくなりました。
日馬富士と貴ノ岩は、ほんとうに仲が良かったということを前提に考えてみると腑に落ちるストーリーが見えてきました。もちろん、僕の想像がかなり入っているので注意してください。
一番、気になる点は、白鳳が貴ノ岩に対してしていた説教の中身です。
貴ノ岩はスマホをいじったり、注意されたら睨み返したということは事実でしょう。
上下関係が厳しいだろう相撲の世界で、なぜ、三横綱に対して貴ノ岩が、無礼な態度を取ったのでしょう。その原因は、白鳳の説教の中身が不遜な内容だったからと想像できます。
今まで報道された中から推測するに、貴ノ岩が白鳳を破り、それが稀勢の里の優勝をアシストする形になったことがあります。
モンゴル力士会では、八百長をしていないことは確かでしょうが、忖度はあって当然と考えられていたと予想できます。
モンゴル力士の活躍は、現在のモンゴル力士だけではなく、後進のモンゴルから力士を目指す若者たちの糧となります。モンゴル力士同士が、お互いの活躍をアシストする忖度があって当然で、それをせずにガチンコ勝負をしてくる貴ノ岩はモンゴル力士たちの結束を乱すものでしょう。
そんなことをせずに、仲間になって、お互いにゆずるところは譲り合い、モンゴルに帰った後でも仲良くやっていこうというような趣旨だったと想像できます。
貴ノ岩に目をかけていた日馬富士が白鳳に頼んで説教をしてもらっていたとも考えられます。日馬富士にとっては、すべてはモンゴルのため、仲間からはずれそうな貴ノ岩のためを思って設定した場だったとも考えられるわけです。
それを一蹴されれば、白鳳の手前もあり、パフォーマンスのつもりで暴行を働いたと考えられます(見せるための暴行は、派手に成り勝ちです)。
その場に居たモンゴル力士たちは、すべてがモンゴル力士のため、貴ノ岩のためと思っていたのですから、悪いことをしている意識は無かったでしょう。
日馬富士も、落ち着けば自分の真心が貴ノ岩に通じると考えていたようです。
あの場に居た力士たちは、モンゴル力士同志の絆を大切にして、同じモンゴル力士である貴ノ岩を気遣っている心根が優しい人たちでした。
同郷の者同士への行き過ぎたやさしさは、仕事への甘さとなります。
それを良しとしない教えを貫いた貴ノ岩は、愛の鉄拳制裁の犠牲となってしまったのです。
さて、ここで問題なのは、モンゴル力士たちの同郷の者への愛を感じる反面、相撲は金もうけのツールであるという考え方が見えてきます。
モンゴル力士たちにとってのこの考えは、異なる考えを持つ仲間に対しての暴力も許容するくらい強力なものでした。
相撲は神事であるとは日本人の考え方です。
ここが徹底的に対立しています。
神事としての日本的な相撲を守るのか、金儲けのショウとして生き残っていくのか、モンゴル相撲の力士たちとの付き合い方も含めてよく考えてほしいです。