安心安全なオリンピックが終わって、けっこう心配だった人も多いのではないでしょうか?
「安心安全」とは、最近、よく聞く言葉です。
しかし、「安心安全」と言っている人を見ると、なんとなく胡散臭く感じてしまいます。
深く考えずに、意味もわからず唱えているような気がするのです。
そもそも、安心してしまっては安全は担保されないのではないでしょうか。
心配があるからこそ、安全が守られているような気がします。
完全に安全だと思って、安心してしまうと、人間ですから見落としもあるでしょうし、時が経てば状況の変化もあるでしょう。
それで、安全だと思っていたものが危険になる可能性もあるわけです。
その可能性を心配して、手を打っていかないと安全は担保できません。
安心とは何か考えてみると、現在から過去へ向かっての感情だと思います。過去のことは変えられませんから、正確に把握できていれば安心です。しかし、未来のことはわかりません。未来を楽観視して安心してしまうと危険です。
つまり、安全ではありません。
従って、安心と安全は両立しないのです。
「安心安全」なんてものは無く、「とりあえず安全だと思います」程度なのでしょうね。
それよりも、「こういう懸念材料もありますが、こう対処すれば被害を最小限に食い止められますので、安心してご利用ください」と言われるくらいの方が安心できます。