2014年9月27日に起きた御嶽山の噴火は、登山者63名の使者・行方不明者を出す大惨事となりました。
そこで何が起きていたのか、生死を分けたものとは、頂上付近から生還した登山ガイドの著者が、生存者の証言を交えながら語る内容となっています。
運がよかった・悪かったで済ますだけでは、何の教訓もないまま、埋もれてしまう事実があります。
しかし、亡くなった人は運が悪かっただけではないと語ると、犠牲者の方の行動などを非難することにつながるので、難しい現状がありました。それでも、犠牲者の方の死を無駄にしないために、批判を承知で、熱く語ってくれています。
作者自身、滑落や天候不良による遭難などは想定していたにもかかわらず、噴火するとはまったく考えていなかったと反省しています。
御嶽山は活火山であり、最近、小さな地震の回数が増えてきていることを知っていたにもかかわらず、そして、近年も同規模の噴火をしていた(冬季で登山者がいなかったので被害が出ず)にもです。
山に一歩足を踏み入れたなら、人知を超えた自然の中に入ったのだと注意が必要であると言います。また、噴火にあったなら、どう行動するか、つまり避難所の位置や、逃げ込める場所を観察しておく必要があると説きます。
本文は、同じことの繰り返しが多くて読みにくい感じもしますが、それが本当に何度言っても言い足りないくらい大切なことであるからでしょう。
確かに噴石が落ちてくる場所や、跳ねまわる角度は運でしょうが、小屋に逃げ込んだ人には死者がでていないのも事実です。噴石が吹きあがるのを見てから、10秒~1分の間に何ができたかで大きな違いがあったのかどうかが焦点でしょう。ここのところをご遺族の気持ちに配慮すると書けないのが難しいところです。確かに、運・不運も大きな要素だったのですから。
しかし、運をつかみ、その運を継続するには、どう行動すれば確率が上がるか、個人個人で心の中に思うことは大切なことだと思います。