ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

田村一二『忘れられた子等』情報

2025年01月08日 15時47分08秒 | 田村一二

一碧文庫の辻さんから、田村一二の『忘れられた子等』の書誌情報がきた。初版は、確か、教育図書だったと思う。

「忘れられた子等」の再版について

大雅堂からは第6版までで、第6版は昭和20年9月20日の発行です。

先日送付した「石山学園日誌」の抜書きで、昭和20年7月19日に「前二著3000づつ増版」の記述があり、前二著とは「忘れられた子等」と「石に咲く花」のことになるので、この時点で第6版発行は決まっていて、増版であることからおそらく「改訂」はされていないと思われます。

時期的に終戦直後といっても直後すぎますしね。

それで、その後の出版はというと、東京の出版社になりますが「冬芽書房」というところから昭和24年5月に発行のものがあります。これが大雅堂以降では直近になると思います。

一碧文庫には所蔵がありません。

ただ、国会図書館のデジタルコレクションでは全編公開されています。

 

書誌情報は以下のとおりです。

永続的識別子:info:ndljp/pid/1158995

タイトル:忘れられた子等

著者:田村一二 

出版者:冬芽書房

出版年月日1949

請求記号:a377-19

書誌ID000000854436

識別子(DOI10.11501/1158995


オン・ザ・ロード(金大中)

2024年12月25日 18時34分46秒 | 映画

京都シネマで、「ON THE ROAD-不屈の男、金大中」をみた。戦後韓国の歴史を、金大中の姿に焦点をあてて描いている。日本で拉致された金大中事件などは、同時代史でもある。特に、1980年の光州事件のところ。ぼくたちにとっては、大学から大学院の時代なので、つい最近のように感じる。映像は、韓国の学生たちの抵抗の姿を描いているが、僕達の学生・院生時代とは比べものにならないほど、熱く、激しいものだった。今年、2024年12月3日、韓国ユン政権が戒厳令を出して、光州事件を思い起こさせたこともあり、今日的な問題関心で振り返ることが出来る。この映画は、全斗煥政権へ挑む金大中の姿で終わっている。


「ならやま」(2024年秋)

2024年12月17日 15時12分07秒 | その他

奈良教育大学広報誌「ならやま」(2024年秋)が送られてきた。はじめの卒業生と学長の懇談の記事の中の学長はけったくそわるいが、「出会いのある世展」と「ひまわりの会」がそれぞれ1ページ使って紹介されていたのはよかった。「で・あい」には、山口さんも入った写真が、「ひまわり」には、藤本さんが入った写真があって、学生さんたちとともに活動したり、学生さんたちの学びの源泉になっていることがわかる。その他、教員研修コンテンツの中に「鉄オタ」が紹介されていた。特別支援の学生さんたち、教員のみなさん、がんばってるやん! 力づけられた!


「おまけ」の漢字で、びっくり!

2024年12月03日 23時23分23秒 | 

お菓子について、この頃考えている!

味がわからなくなったので、一時、食べ物の番組をみるのも嫌になっていた。もう2年もすると、開き直ってきた。それで、お菓子や料理の味はわからないが、それを別の味わい方をしはじめた。お菓子、特に和菓子の由来などを発見して、おもしろく話をするということ。だいたい、奈良にいたときには、饅頭の神様をまつった、近鉄奈良駅近くの「漢國神社」の宮司さんのところに伺って話をきいたこともあった(この方、奈良学芸大学の時代の附属小学校か中学校の国語の先生だった)。身近に「饅頭」のおいしい話が落ちていたことを思い起こしていた。

辻ミチ子『京の和菓子』(中公新書)を読んでいたら、「おまけ」に「お負け」に漢字が充てられていた。調べてみたら次のようなことが書いてあった。

おまけは漢字にすると「御負け」です。由来はこの漢字の文字通り、商人が客との駆け引きに負けて値を下げる行為を指す言葉でした。しかし、のちに商品以外の物品を追加する行為なども言うようにななりました。おまけの言葉がが全国的に使用される様になった時期は明確には分かっていないですが、 大正時代に大阪で上方の商人が宣伝文句に「もうひとつおまけ、トコトンアメ」という言葉が使用されていました。1922年(大正11年)のグリコキャラメル発売のころに絵カードを入れ、それをヒントに1927年(昭2年)の発売のものから紙メンコ、指輪など市販の豆玩具が「おまけ」としてグリコのキャラメルに付いてくるようになりました。こうして上方の商人で使われていた言葉が、グリコのキャラメルの知名度とともに、全国に広がったと言われてもいます。

ううんと、うなった次第!

 


母と子の絆-カネミ油症の真実

2024年11月15日 18時35分37秒 | 映画
京都シネマで、『母と子の絆-カネミ油症の真実』をみた。障害や公害関連の映画は、仕事の一環として無理をしても見にいっている。11月8日から24日までの限定だったので、見逃すと見れなくなってしまうと思ったのだ。森永ヒ素ミルク中毒事件や水俣病については学ぶ機会があったが、この「カネミ油症」については知らないことが多かった。1968年前後は、「夜明け前の子どもたち」などの映画が撮影、上映されていた時期でもあり、障害の発生やそれに対する社会的対応について学んできたつもりだった。この映画をみて、自身の無知を知らされた。
「カネミ油症」は、1968年、西日本一体で起こった食中毒事件である。福岡県北九州市の米の倉庫業社で食用油の製造を手がけたカネミ倉庫社が製造した「カネミライスオイル」に、PCBやダイオキシンの一種が混入され、それを摂取した人たちが健康被害を受けた事件である。しかし、これは、製造したカネミ倉庫会社のみならず、初期対応を誤った国・厚生省、九州大学の医者・研究者の行った認定作業の問題、裁判を行っていく最終盤での訴訟弁護団の対応など、あまりにもと感じざるを得ない。国の無策と不条理な仕打ち、幾重にも積み重なった問題の前に、カネミ油症の被害者は、国からも、社会からも見捨てられ、深い傷をおった。
カネミ油を摂取した人たちのみならず、真っ黒で生まれて来た子どもたち、心臓疾患や障害を持って生まれてきた子どもたちなど、その子どもや孫の世代にまで被害は広がっていた。被害者やその子どもたちは、カネミ油症の継続した影響から、結婚が許されなかったり、直接的に差別されたりしてきた。その結果、被害者であることに口をすることもはばかられるという事態にも到っていた。今なおカネミ油症の影響は消えず、認定の枠組みをめぐって、国の責任が問われている。
この映画では、九州、特に長崎の五島を中心に被害にあった方々の証言を取り上げていた。母胎から胎盤を通して胎児にダイオキシン類の物質が移行したことを、胎児のうちにこの影響を受けたと思われる子ども、障害をもって生まれた子どもたちは身を以て示していた。それを認定しようとしない国などの姿勢が指摘され、その影響を「臍の緒」の分析によって明らかにしようとする取り組みが紹介され、健康被害の認定について問題提起がなされている。

池田太郎の回想(戦前における京都市特別児童教育研究会のこと)

2024年10月21日 15時35分08秒 | 田村一二

池田太郎の回想

「学習発表会のしおり」№4(近江学園 1965年12月5日)

「特別寄稿 舞台装置」

昭和のはじめ頃、ゲシュタルト心理学をとりあげていたわれわれの仲間は、このことを教室経営の問題でよく論じ合ったものだった。たまたま、「普通学級における精神薄弱児をいかにして生かすか」の京都市特別教育研究会の懸賞論文に、〇〇〇(?昭和7年8年から)5年間における教育実践をまとめたものを応募して当選したので、昭和10年の夏、「絵師の苦心」という国語の研究授業(5年男子50名余)を京都市特別教育研究会主催でさせられたことがある。確か、泉州堺に寄宿していた絵師が寺を去るにのぞんでお礼心から、ふすま絵を描いて去り、一か月〇かして再びその寺へきて、「箱根山中にさしかかったら丁度気にかかっていた杉のよい枝ぶりが一本見つかったので描きそえに帰って来た」というのである。ここの「絵師の苦心」としての頂点がしぼられ示されたものであった。云々


旧優生保護法最高裁勝利判決 報告会・学習会

2024年10月21日 12時04分26秒 | その他

京都・八幡作業所を運営する鳩ヶ峰福祉会・後援会の主催で優生保護法裁判の学習会が開催される。実は、台風で延期されていたもの。この台風、迷走台風で、予報は直撃のはずが、ウロウロ他のところにいってしまい、結局、その日は曇りでもし開催しても支障なくできた状況。実は、そのとき、この学習会に参加しようと思って、八幡の松花堂庭園・美術館にいったのだが、台風で延期の張り紙があり、シーンとしていたのだった。後援会の係の方が出てきて、必ずやりますからとのこと。

2024年11月3日 14:00~16:30 松花堂庭園・美術館(講習室)

ゲストスピーカー

兵庫訴訟原告 鈴木由美氏

兵庫弁護団弁護士 細田梨恵氏

この際、優生保護法の歴史を本格的に学んでみたい。優生保護法の成立に際して、大きな役割を果たした太田典礼、産婦人科医で、戦前は京大近くの無産診療所に関わり、戦前産児制限運動に関与。太田リングの開発者でもある。戦後は優生保護法の提案者となり、その後は、安楽死協会などへ向かっていった。


糸賀一雄生誕110年記念講演会:「光かがやく」共感の時代を!」

2024年10月16日 10時40分13秒 | 田村一二

社会福祉法人大木会の主催で、標記の講演会が開かれる(10月26日)。

行きたいのだが、残念ながら、校務がありいくことができない(泣)。

講師は、筑波大学名誉教授の津曲裕次氏、鼎談があり、登壇者は、津曲裕次・松矢勝宏・冨永健太郎の3氏

関東の方々が語られるのだなあと思うと情けないかな。滋賀・京都などの関西では「灯台もと暗し」なのか?-「はて?」


びわこ学園での取り組み2つ

2024年10月15日 14時58分58秒 | 絵本

重症心身障害児療育関連の取り組み(いずれも無料)

★滋賀県重症心身障害児者を守る会主催 「療育にどう生かす? 絵の本の読み方♡楽しみ方」研修会 2024年11月18日(月曜日)

講演(10時半から12時半)と「絵の本ひろば」(13時半から15時半) 場所 びわこ学園センター草津 会議室

★びわこ学園後援会・社会福祉法人びわこ学園主催 「いのち」の想いにふれる映画上映会 2025年1月25日 12時30分開場 13時開演

映画『大好き 奈緒ちゃんとお母さんの50年』 場所 旧大津公会堂

 


美しい春画ー北斎・歌麿、交歓の競艶(細見美術館)

2024年10月15日 10時50分50秒 | その他

13日(日曜日)に細見美術館の「美しい春画」展にいってきた。ロームシアター京都の西にある。平安神宮あたりは混雑、車は平安神宮当たりまでは入れないようになっていた。その手前に、細見美術館はある。

「春画と日本人」の映画をみて、チラシをみると、前期と後期にわかれている。前期に滑り込んだが、係の方に聞いてみると、前期の展示の3分の1くらいが後期にかわるということだった。版画・版本以外に、肉筆春画もあり、葛飾北斎、喜多川歌麿の作品も展示されている。ユーモアがあり、「笑い絵」ともよばれ、江戸時代には大名から庶民まで、男女対等に楽しまれたといわれている。江戸時代は、性に関しておおらかな時代だった。講演会もあったようだが、見逃していた。展示は、上方春画の世界、北斎・歌麿の競艶、魅惑の浮世絵春画で構成されている。同じものでも、絵巻物など展示期間によって絵巻のちがったところが展示されるようだ。後期も、行こうと思う。そのときまで、展示されものが掲載されている本はお楽しみにしておこうと思う。


春画と日本人

2024年10月11日 10時59分09秒 | 映画

朝刊の京都シネマの上映スケジュールでみると、『春画と日本人』が10月10日まで(つまり今日まで)とのこと。朝にクリニックで腹部の検査があったが、その後、京都烏丸に行って、『春画と日本人』を観る。江戸時代、享保の改革までは、日本人は性について非常におおらかで、春画も、ちょっと微子を皮肉った笑い絵などにもなっていたという、しかし、明治維新、西欧化が進む中で、取り締まりの対象となっていく。とくに、軍部が勢力をもってくる戦前・戦中には厳しさを増す。その傾向は、戦後も継続し、今日に到る。とくに、自民党の性教育パッシングがはじまり、安倍政治のなかで教育の現場が苦しくなっていくのと同時に、学術の世界にも政府の統制が強まった。春画の展示は、イギリスの大英博物館でおこなわれたが、もともとの祖国での展覧会開催はできずにきた。このドキュメンタリーは、ようやく春画の展覧会が開催されるまでを記録したものである。女性の研究者が、つぶやいた、春画の展覧会が終わって、「逮捕者がでなくてよかった」(皮肉をこめて)と。

細見美術館で「美しい春画」の展示会が11月24日まで行われている。前期は、14日まで。16日から24日まで後期となっている。展示物がかわるのだろう。みておかなければ。

 


大好き 奈緒ちゃんとお母さんの50年

2024年09月23日 18時54分05秒 | 映画

京都シネマで、1週間の限定公開ということだったので、21日に見に行った。京都シネマでは26日までという。

50年のおもみ、これまで制作してきた映画『奈緒ちゃん』『ピグレット』『ありがとう』『やさしくなあに』、それからこの『大好き』。5作目である。1973年から撮影を開始したという。はじめのキャメラは、『夜明け前の子どもたち』を撮った瀬川順一。そこから、おかあさんの奮闘、作業所ピグレットの設立、奈緒ちゃんのグループホームでの自立の一歩、そして津久井やまゆり園と優生思想に抗する障害のある人たちの生活の姿、そして今回、お母さんの終活への思いなど・・・・。奈緒ちゃん50歳、お母さん・西村信子さん80歳。

これまでの奈緒ちゃんの成長の記録、これまでの映画の映像も取り入れられ、50年がふりかえられる。奈緒ちゃんの赤ちゃんの頃の写真ははじめてじゃなかったか。小学校の頃、小学校に送り出す場面、奈緒ちゃんが友だちと一緒にだまってジュースを買って、お母さんにひどく叱られるところ、てんかんのキャンプでボランティアの学生さんと奈緒ちゃんの結婚についての希望をかたるお母さんの気持ち、ピグレットの仲間たち、映画撮影で初めて発作で倒れる奈緒ちゃんの姿、そして、奈緒ちゃんが先導して、お母さんが休み休み石段を登っていく場面。家出の食事を作っている姿。年月の重さを感じる。

水の音、月の姿・・・・、お母さんのピアノ。

弟の記一さん、職場・家庭でのしんどいときのこと、すべてなくしてどん底の生活をおくったこと。お父さんの大乗さん、デリカシーがないが、奈緒ちゃんとお母さんにボロカスいわれても、ひょうひょうとしている。距離をとりながら、へらへらしている。昔の男はつらいよね。これまで、お母さんと父さんの2人の生活にお母さんがたえられずに・・・いろいろな物語があっただろう。だけど、奈緒ちゃんの寝姿といびきは豪快だ!そこがいい、安心していられる。そして、「やさしくなあにっていわなくっちゃ」「人生まだまだ」ということばに支えられる。

いろいろ考えながら、映画の余韻に浸ってぼーっとして出てくると、ポケットに中に入れていた財布がない!あせった。座席のところにあったとのこと、「人生まだまだ」


母ちゃん★センセ、笑ってなんぼー発達障害のある子どもと創る希望ある生活

2024年09月10日 14時47分24秒 | 

ステキなカバーで、帯も「カラフル、パワフル、ストレスフル」と韻を踏んでいてなかなかいい。この本は、奈良教育大学にいた最後の15年間くらいのことを書いている。いろいろあったけど、奈良教育大学はとても僕にとってはいい大学だった。そこをはなれて、5年がたとうとしているけど、その現実はどんどん大学が息苦しくなっている。兵庫県の知事が「おれは知事だ!」と叫んでいると報道されているが、張子の虎のようなそんな「長」なんかなんぼのもんじゃい! いばりくさるリーダーなんかいらん。大学でも、以前には校長、学長には学識や見識というものがあった。

この本にこめたものの一つをプロローグのなかにいれた!

「子どもと向き合って、その願いに応える学校をつくっていきたいと実践してきた教師達の笑顔が、文部科学省や管理職から、重箱の底をつつくように学習指導要領の文言に忠実でないと非難され、いろいろ理屈をつけられて出向させられてしまう。そんな理不尽な教育現場では、無理矢理「笑顔」がつくらされている現実が有り、強制されるような「笑顔」の奥には押し殺された感情があるのではないでしょうか。子どもたちにそんな「笑顔」で向き合えないでしょう。教育は希望をともに語ることなのだから、教育の本質に立ち戻って、センセたちの創造性が生きる学校づくりで子どもたちが本当の笑顔になってほしい。母ちゃん・父ちゃん、そしてセンセたちが笑顔を取り戻し、笑いあって、で・あい(出会い)のある世界を創っていくエネルギーを蓄える糧となることを心より願っています」

「理不尽な処遇」にたいして、異議を唱えなければ、学校はもっともっと魅力を喪失していくだろう。教員を養成する大学も学問や科学の面白さ、人間の面白さを探究していくものでなければ、つまらんものになってしまうだろう。上ばっかりみて、忖度したり、饒舌になったりしている姿は見苦しい。筋道が通ったやりたいことができる大学に是非とも再生してほしい。理不尽な処遇を受けた人たちの異議申し立ての勇気をたたえたい。9月10日が笑顔を取り戻すスタートになることを願っている。

 


京都市における新教育の軌跡ー京都に眠る「児童本位」の教育の世界

2024年09月10日 14時00分04秒 | 田村一二

京都市学校歴史博物館で開催されている「京都市における新教育の軌跡ー京都に眠る「児童本位」の教育の世界」の展示に行ってきた。明治末から大正初期の、田中勝之丞、岩内誠一、田村作太郎など、白川学園の設置の時代からその初期の京都の教育会の重鎮について、解説や写真があった。滋野小学校の特別学級、斎藤千栄治校長と、田村が担任になる前の元山が紹介されていた新聞記事、滋野国民学校の時代の学校新聞に上原昭平校長のことば(上原は二代目の京都市特別児童研究会会長、田村の『忘れられた子等』に「跋」を書いている)。京都市教育会、京都府教育会の発効の雑誌があれば、もっと深められるのだろうが、これらの雑誌は欠落が多すぎて、以後も発見されないだろう。

新教育以後の昭和戦前期あるいは戦中の特別展を期待している!


アナウンサーたちの戦争

2024年09月04日 12時55分29秒 | 映画

NHKで放送されたドラマの劇場版(京都シネマ)。戦争にアナウンサーはどのように処したのか。主演は、さいきんテレビではみていない森田剛。言葉の強さはなんのためかを問う。最近、「映像の世紀」で、ドイツナチスのゲッペルスをとりあげたものをみたが、宣伝・プロパガンダの罪と罰を考えさせられた。「不都合な真実の隠蔽」と「不条理な大衆扇動」がいまなおある。現在、自民党の総裁選挙が「華々しく」報道されているが、これまでの統一教会との関係、パーティ収入の問題などは、総裁選の華々しさに、塗りつぶされてしまっているかのようである。