ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

ポーズと放言 新型コロナウィウスをめぐって

2020年02月28日 18時56分30秒 | その他
新型コロナウィルスの感染対策の基本方針が出たが、その危機感のなさに批判殺到。政府は、イベント中止の要請をしたと思ったら、「思いつき」で、突然の小・中・高等学校・特別支援学校の休校の要請を行った。「政府の責任」を言いながら、「政治決断」のいい格好しいをしつつ、「設置者」の都道府県や市町村への丸投げが実際のところ。
2月末から3月にかけての緊急事態なので、様々なところで波紋や影響を受けている。イベントの中止などの返金やキャンセル料がどうなるかなどなど・・・。とはいえ、その波紋は、ぼくらのところにも「深刻で大きな(麻生談:つまんない)」ひしひしと財布を脅かしている。立命館大学や同志社大学では取りやめるという報道があったところだが、ぼくらの大学では、規模を縮小して卒業式はやるということとなったようだ(その後、学長から中止の文書が回ってきた)。とはいえ、それで終わるわけではなく、頭の痛い問題・悩みをもたらしている。恒例の卒業パーティのことだ。僕なんかは新参者だから、これまでの経過をしらないが、しかし、卒業生にとって卒業式とパーティは人生の一場面を彩る大イベントであるらしい。卒業式の貸衣装も、お色直しをすることも含めて予約をしているし、教員の出し物やゼミごとでの紹介やらいろんなプログラムが計画されていた。実際、ぼくらも「パプリカ」の踊りの練習や歌の練習などやってきたのだった。
このパーティをどうするかが大問題。問題はホテルのキャンセル料のことだ。キャンセル料を80%とふっかけられているらしい、だから、延期してやるとか、同窓会として来年度末くらいにやるとかいろいろな意見が行き交っている。学生さんたちの思いもあるし・・・。そんなこんなでいろいろ考えていたときに、ある市の会議で弁護士さんと一緒になった。ちょうどよかったと思って聞いてみた。
「80%はちょっとぼられてますね」といわれ、「通常のことではないのでホテル側と交渉でしょうね」という。学生と教員が例年のように企画しているので、大学がそれをカバーする筋合いでもないということ、キャンセル料は誰が払うかということになるのか???
ふと、その弁護士さんがいった-「桜を見る会の場合は、ホテルと参加者一人ひとりとの契約だと安倍首相はいっていましたよね。それだったら、ホテルが一人ひとりにキャンセル料を請求してもらうということになるのですかね」と。ついでにいうと、安倍首相が「休校を要請」したときに、「政府の責任で万全に」といっているので、このキャンセル料もホテルには政府に請求してもらおう。
麻生財務大臣は、学童保育での対応の財政負担の質問に対して「つまんない」と放言をはいたとのこと。財布を握っているにもかかわらず、「つまんない」といって、「政府の責任」の大見得はどうなった。「まるでウソだらけやなぁ」と弁護士さん。

ホテルとの交渉の結果、キャンセル料は取らないということになったとのこと。返金の手続きのときにでも、学生さんの貸衣装のキャンセルなどどうなったか聞いてみたい。2月29日、説明の記者会見をした安倍首相は「私の責任で」といったが、学生さんたちは、もう信じないだろう。


田村敬男『荊冠80年』あすなろ、1987年

2020年02月25日 21時26分30秒 | 田村一二
田村敬男『荊冠80年』を読んだ。田村の生涯を病床で綴ったもの、書き綴ったものの最後が、「船岡寮の運営について」の書きかけの文で終わっている。
(前略)その中で忘れ得ぬ問題がある。T女が
編集者注として、「原稿はここで筆が置かれている。死の2日前という(後略)」とある。
田村敬男の回想録。1986年12月20日、82歳の生涯を閉じた。数奇な生涯というのか、何と表現してよいのかいまのところ言葉がみあたらない。書かれたことを歴史に照らしながら再度、その周辺を探ってみたい。
目次の骨子、概要のみ記しておく。

生い立ち
退職して社会科学書を取り扱う
思い出をつづれば・・・。
民衆の英雄 山本宣治氏(山宣)
学術・教養・文学・科学書の出版
戦時下企業整備とその活動 大雅堂発足
出版社の良心
戦後に歩んだ道
晩年、福祉の仕事に専念

「京都書肆変遷史―出版文化の源流」を点検のこと

中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』幻冬舎新書、2020年1月

2020年02月25日 17時32分30秒 | 
中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』を、仙台にいく新幹線の車中で読み終わった。NHKスペシャルを担当したディレクターが著者、その書籍化。
2018年8月に放送された「“駅の子”の闘い-語り始めた戦争孤児」は、福岡教育大学での講義の導入に紹介し、本庄豊さんの『戦争孤児』に書かれていた福井清子さんと福岡教育大学の合唱団の話をした。今年度(2019年9月)も、福岡教育大学の集中講義でその話をして、NHKスペシャルを学生さんたちにみてもらった。はじめ、なんの話?と不思議そうだったが、じわっとわかっていってくれたようだった。
その後、八瀬学園について調べて、ようやく、その概要を書くことができた。まだ、不十分だし、戦争孤児と障害児施設について、近江学園に即して、考えてみることも課題となっている。そう思っているところに、出版されたのがこの本である。『障害児の生活教育研究』に、「鈴木健二の戦後体験と近江学園の20年」の研究ノートの冒頭にこの本を紹介しておいた。
この本に関して、不思議なことは、「駅の子」の写真を紹介する本庄豊さんについての紹介はあるが、この本と重なる『戦争孤児―「駅の子」たちの思い』(新日本出版、2016年)の紹介がないこと。

目次は次の通り

プロローグ-たった70年前、ここに孤児たちがいた

第一部 戦争が終わって闘いが始まった-焼け野原に放置された「駅の子」
 神戸空襲で「駅の子」になった
 上野駅で見た地獄
 孤児の保護施設・板橋養育院の悲劇
 学童疎開の犠牲者
 引き揚げ孤児の悲劇
 路上生活で視力も失う
 「戦争孤児」んお保護を後回しにした国
 奮闘した民間の保護施設-1000人の子どもを保護した愛児の家
 「靖国の遺児」と呼ばれた子どもたち
第二部 嫌われていった「駅の子」ー復興から取り残され、やがて忘れられ
 対策を指示したGHQ
 始まった強制収容「刈り込み」
 オリに閉じ込められた戦争孤児
 復興から取り残されていく「駅の子」
 路上で野良犬のように扱われる
 社会に逆らって生きると決めた
 転落していった子どもたち
 日本を去った戦争孤児
「駅の子」たちのいま

エピローグ-取材を終えて

相馬御風からの手紙

2020年02月23日 23時14分54秒 | 田村一二
『馬鹿一百人』については、『ちえおくれと歩く男』に登場すると思う。以前、読んだが・・・。
相馬御風から、「手をつなぐ子等」を絶賛する手紙をもらったのだが、それを田村敬男にわたして、ついにもどってこなかったことを、ぶつぶつ言っていたとのこと。これは、今日、吉永先生から伺った。あまり人のことを恨んだりしなかった田村一二だが、この件は何度も聞いたとのこと・・・。
不思議です。田村敬男の「人が綴ったわが人生」には、じつにそっけのない田村一二の文章がある。その恨みからか?それとも・・・。

Wikiより
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)
日本の文学者、詩人、歌人、評論家。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や童謡の作詞者としても知られる。

佐藤嘉尚『人を惚れさせる男 吉行淳之介伝』新潮社、2009年

2020年02月20日 22時42分08秒 | 
佐藤嘉尚(さとうよしなお)『人を惚れさせる男 吉行淳之介伝』をよんだ。いくつか、理由がある。章のタイトルに、8.15前後があったこともある。宮城まり子との関係も気になったし、宮城まり子の「ねむの木学園」のことも吉行はどのように思っていたのかも知りたかった。読んでいて、吉行が「娼婦」との関係、その姿を小説に描いたことなども面白かった。戦後の影の部分を歴史的にらないと、施設や学校での生活とその後についても評価が出来ないのではないかとも思う。

佐藤は、『面白半分』の編集を担当する編集者だった人。

序章 吉行家墓所
第一章 幼い結婚
第二章 孤児のような少年
第三章 急死
第四章 少数派
第五章 戦争
第六章 大空襲
第七章 八月一五日前後
第八章 『葦』と『世代』
第九章 雑誌編集記者
第十章 胸の空洞
第十一章 尿器と芥川賞
第十二章 闇の中の祝祭
第十三章 黒い涙
第十四章 面白半分
第十五章 ポピー
終章 変な静けさ
あとがき

宮城まり子との関係と「ねむの木学園」
○三つの約束(pp.255-256)
二人が一緒に住んで十年ぐらい経ったある日、宮城が改まった感じで吉行に言った。
ずーっと考えてきたんだけど、からだが不自由で知的障害があって、自宅で両親が面倒見られない子どもたちのお家を作りたいの。いいのかしら。
そのこと、キミは前から言ってたね。知り合ったときから、言ってた。昨日今日言い始めたのならやめなさいって言うけど、ずっーっと前から思い続けているみたいだから、反対はしない。その代わり、約束。
はい
途中でやめると言わないこと。愚痴はこぼさないこと。お金がナイと言わないこと。この三つの約束が守れるなら、やっていいんじゃないかな。特に、キミを信じてくる人に、途中でヤメタって言うのは、大変無礼なことだよ。
うん、わかった。守る。
…(中略)…
施設の名前を決めかねたときは、淳之介に相談した。
ねむの木ホーム。ねむの木の丘。きょうだい学園。ねむの木学園。いろいろかんがえたけど、迷っているのよ。どんなのがいいかしら。
考えるよ。
翌朝、宮城の部屋のドアの下の隙間に、原稿用紙が挟まっていた。それには大きな字で「ねむの木学園」、そして横につて小さな字で、「迷わずこれに決めなさい」と書かれていた。
※宮城まり子『淳之介さんのこと』に記されているエピソード

白鳥正夫『幻の創作ノート「太陽はのぼるか」 新藤兼人、未完映画の精神』三五館、2013年

2020年02月07日 22時22分01秒 | 映画
白鳥正夫『幻の創作ノート「太陽はのぼるか」 新藤兼人、未完映画の精神』を読んだ。ずいぶん前にかっていたもの、最近手に取り、新藤兼人の世界に引き込まれた。著者の白鳥は、朝日新聞の記者。戦後、50年企画の時に、新藤に広島の映画を作ることを提案。しかし、それは結局は実現されなかったのだが。
新藤の脚本、文章はすごい。脚本の言葉というのはこういうズバッと絵を押し出す文章なのだとおもう。だらだらしていない、切れるような文章で、そして絵を想像させる。新藤の本を系統的に読んでみたい。と、同時に、戦後、映画人がこだわった広島の映画を総合的に検討してみたい。

『裸の島』の乙羽信子が演じたのが「トヨ」

白鳥の表題の付け方はちょっと冗長
プロローグ 過去の史実を忘れない「想像力」
第一章 戦争を許さず、人間愛の映画魂
1.最後の映画『一枚のハガキ』から
2.道の出会いを目指し、シナリオ人生
3.監督と女優、見事な映画・愛
5.原爆映画に託したメッセージ
第二章 50本目の幻の映画「太陽はのぼるか」
1.ついえた戦後50年映画製作の夢
2.原爆映画製作に向けての思案
3.未発表「太陽はのぼるか」製作ノート
4.ピカドンは語り継がれなければ
5.映画監督と画家に通底する憤り
6.終演の映画「ヒロシマ」への遺志
第三章 生きているかぎり 生きぬきたい
1.ガリ版で綴る新藤監督に贈る言葉
2.北斎と荷風、性をテーマに娯楽作
3.乙羽信子の遺作『午後の遺言状』
4.老人とは何か。「老い」と向き合う
5.仕事が支える「老い」の尊厳
あとがき
新藤兼人の監督作品リスト

エッシャー

2020年02月07日 21時58分24秒 | 映画
京都シネマでエッシャーを観た。不思議な絵の世界。反転して別の姿が出てくる。図と地の関係、永遠・・・。
イタリアにいたときに、ムッソリーニのファシズムが吹き荒れ。そこからスイスへ。そして、ナチスの政権下で圧迫を嫌い、そして、オランダでの生活をして。旅行の中で、いろいろな図形から触発され、そのなかに動物や人を描いていく。
不思議な世界。芸術と数学の世界を行き交う。