田中昌人先生、稲葉宏雄先生が、定年退官した年齢となった。
「少年老いやすく、学なりがたし」の感が強い。
木曜日。夕方から大学院生達と映画をみている。今週は、「シンプルシモン」。あらすじは以下のようなもの(公式ホームページから)。
物理とSFが大好きなシモンは、気に入らないことがあると自分だけの“ロケット”にこもり、想像の宇宙へ飛び立ってしまう。そんなシモンを理解してくれるのは、お兄ちゃんのサムだけ。でも、シモンのせいでサムは恋人に振られてしまう。彼女がいなくなって、落ち込むサム。そのせいで自分のペースを乱されるシモン。サムに「完璧な恋人」さえいれば、生活が元通りになると考えたシモンは、サムにぴったりな相手を探し始める。そして、偶然出逢った天真爛漫なイェニファーに狙いを定め、ある計画を実行に移すが・・・。
シモンはアスペルガー障害なのだが、「アスペルガー障害」のバッチをつけている。このホームページには、「アスペルガー症候群」についても説明がある。
全体は、スウェーデンの映画なのでスウェーデン語がつかわれているが、シモンがロケットにこもったとき、兄との交信は「英語」がつかわれる。そのとき兄のサムから呼びかけられるシモンの発音は「サイモン」。英語読みがサイモン、スウェーデン語がシモン。このシンプルサイモン(シモン)の起源は、マザーグースの歌にあるとのこと。
年齢がでてくる歌をうたいながら、発達の話をしたいと思ったときがあった。
「ギザギザハートの子守歌」で「15で不良と呼ばれたよ」とチェッカーズは歌う。15歳や17歳はよく出てくる・・・その中に藤圭子の「夢は夜ひらく」がある。
それをしらべたいとおもって、iphoneのSiriで検索しようとして、思わぬ会話となった。
「ヘイ、Siri 15,16,17と私の人生暗かった」
Siri「10、50、60、・・(とわたしの人生暗かった)」(じゅう ごじゅう ろくじゅう ・・と、音の区切りを違って認識する)
(そういえば、60すぎてから人生暗いなあ・・・でも、おまえ、藤圭子知らんのかとおもわず)「藤圭子」
Siri「藤圭子の連絡先は登録されていません」
(歌の歌詞をつければホームページで検索してくれるか)「藤圭子 私の人生暗かった」
Siri「わかりません」
(じゃあ、藤圭子の娘の名前はあるやろ!)「宇多田ヒカル ホームページ」
Siri「以下のホームページがありました。ひらきますか・・・?」
「ひらきますか」か、「私の人生くらいよなあ・・・夢は夜ひらくをしりたいのに」 ちなみに、「圭子の夢は夜ひらく」は、「15,16,17とわたしの人生暗かった。過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらく」と続く。この「夜」は、水商売のことなのだが、しかし、「夜に想像することで、いろいろなことを耐えることが出来るのかもしれない!」「人生、不確かなことを耐えなければならないのやな」ともおもう。理不尽な社会である。脱線すると、最近、注目されているもの「ネガティブ・ケイパビリティ」(不確かなものを、保留しておく力、白黒ハッキリさせない、あいまいを受容する力)ということも、この歌から思うところである。
夜間大学院の講義で、「レインマン」をみた。1988年、舞台はアメリカ、自閉症の兄役がダスティンホフマン、弟役がトムクルーズ。自閉症を世に押し上げた映画である。
この前の年、1987年、DSM-III-Rが出されていたので、その自閉症の規定との関係も見てみる必要がある。映画の中で、精神科医達は、レイモンドの特徴を「high functioning」といっており、サバン症候群の特徴を指摘していた。
この映画、自閉症を押し出したが、その「同一性保持」の特徴という変化なさ、あるいはその極微さとともに、トムクルーズ演ずる弟の心情の変化が印象深く描かれる。きょうだいという視点で、自閉症映画をたどってみることも興味深い。
あわせて、レインマン、メインマン、レイモンドなど、英語の発音・音韻、韻を踏むところなども面白い。同時に、映画の表象や表現の時代性、あわせて日本語「字幕」の時代性なども検討することも有意義なものがあるのではないかと思った。
シニアの人たちと、ダライ・ラマ14世の映画をみた。もともとは、日本ドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」の映画を見る予定だったようだ。ダライ・ラマが生まれて、14世として発見され、成長してゆく、中国との摩擦の中で非暴力を貫く姿と、最終的には中国が侵攻したチベットからインドへ亡命するまでを描いたものだった。仏教の「輪廻転生」と「無」についてふと考えた。
小松左京『小松左京自伝―実存を求めて』は、文庫本の青春期・万博ものと並行して読みはじめたが、ようやく読み終わった。
1931年生まれ、生きていれば今年で88歳の米寿。大阪生まれ、神戸育ちで、旧制三高を1年で新制の京都大学文学部に入学。この間、漫画を書いたり、文学雑誌をつくったり。学生運動の影響で就職がうまくいかず、いろいろあった。この本は作品のまとまりごとでの対談集。ただ、高橋和巳の回想のところは興味深い。子ども向けのものを語っているところで、おとぎ話の倫理性につい触れつつ、「面白い話で子どもを引きつけて、その結論で教訓があるっていうのが、ててもいいなとおもうんだね」と語っている。大阪的には、要するに「オチがある」ということと理解した。芸道小説の生まれる体験をかいたところ、歌舞伎の「信太妻」での短歌書きの場面が興味深い。
「安倍保名が罠にかかった狐を助けて、そお着杖が女に化けてお嫁に来て阿倍清明を産むんだね。ところが行者にばれて、いよいよダメだというときに、障子に「恋しくば たづねて来てみよ 和泉なる 信太の森の うらい葛の葉」って短歌を書いてみせるんだよ。そのときへえーっと思ったのは、最初、右手で「こひしくは」って書くんだ。すると赤ん坊がワァーッと泣く。そしたらぱっと左手に持ち替えて、よしよし言いながら「たつねきてみよ」、そして「いつみなる」を下から上に書いて、バサッと筆を落としちゃう。で、ケーンと鳴くと面をかぶって顔だけ狐になって、「したのもりの」と口で書くんだな。またケーンって声がすると、その女形が逆トンボを切って障子の向こうへ消えちゃわけ。すると裏から照明が当たって、狐の影が口で筆をくわえて裏文字で「うらみくすのは」って書く。これはすごい芸術だと思ってね・(後略)」257-258
この本の目次は次の通り
まえがき
第一部 人生を語る
「うかれな」少年/焼け跡から始まった/空想と文学と恋/小松左京の誕生/万博プロデューサー/日本沈没/不滅のSF魂
第二部 自作を語る
地には平和を/短編小説(1960年代前半) 日本アパッチ族/復活の日 果てしなき流れの果てに さよならジュピター/宇宙小説 継ぐのは誰か?/科学論SF 見知らぬ明日/歴史小説 短編小説(1960年代後半~70年代前半) 日本沈没 女シリーズ こちらニッポン・・・/首都消失/PF小説 評論・エッセイ 映像作品 短編小説(1970年代後半~80年代前半)
特別編 高橋和巳を語る
主要作品あらすじ
年譜
年をまたいで、大澤聡編『教養主義のリハビリテーション』をよんだ。編者は、近畿大学文芸学部で教鞭をとるメディア批評、現代思想史を専門とする、1978年生まれの若手。「教養」を主題にした対談は、鷲田清一、竹内洋、吉田俊哉とのもの。
鷲田との対談は、現代編:「現場的教養」の時代、竹内との対談は、歴史編:日本型教養主義の来歴、吉田とは、制度編:大学と新しい教養の3本で、教養の過去・現在・今後(大学という制度)の全体像の輪郭を紡ぎ出そうとする。対談なので、頭に入りにくいとことがあるが、時々おもしろい。
鷲田との対談の中で、『「待つ」ということ』等の中でいっていることを、大澤が引き合いに出して次のようにいう。
「近代産業社会で重視されたのは、「プロジェクト」であり、「プロフィット(利益)」であり、「プログレス(前進)」であり、「プロダクション(生産)」であって、いずれも「前に」「あらかじめ」という意味の接頭辞「プロ(pro-)」がついている。さきほどの年次計画もそうですが、未来のあるべきッ嬌態を前提にして、そこから逆算していまの行動が決定される。総じて近代社会は必死に前のめりの姿勢でがむしゃらにがんばってきた。近代の立身出世モードを下地に出発した教養主義もどこかこれと相即していたとおもう。人格形成という将来の目標があって、そこにたどり着くまでのプロセスが体系立っていた。けれど、もはや以前ほどの経済成長は見込めず、コミュニティのサイズも適正規模に修正しないとやっていけない時代。前傾姿勢で走りつづけるあり方に限界がきている。そのときどきの関係性のネットワークおなかで、「いま・ここ」をどう組み直すかを判断していかないといけない。ゴールが流動化した時代には、教養も別のモデルを用意しないと行けない。さらにそのとき「わくわく」がそこにあるといい。」
これにたいして、鷲田は「そう、たのしい、おもしろいうということは重要ですね」と応える。
竹内は、これまでの社会史、学歴貴族、教養主義などの歴史研究を基に語る。昨年、教養主義を体現した阿部次郎に関する著書を書いているが、それも読んでみたい。しかし、本が増えるものなあという気持ちもある。教養主義の最後のしっぽに位置する我々の本にたいする思いも揺らいでいる。
いろいろ考えるところもあった。本の読み方だとか、再読の意味とか、精読のすすめとか、しかし、ぼくたちの中にある前のめりの姿勢、「新しいもの」への飛びつき、そうやっているうちに中身が空洞化するという自身の反省もあった。しかし、対談集という形式は、わかりやすいようで、頭に残りにくい。話題と話についていく、そのテンポが合わないのかもしれない。
あけましておめでとうございます。今年は大幅に環境が変わる年になりそうですが、年々、頭と体の自由がきかなくなって、年とともに衰えを感じています。猪突猛進とはいかないので、ゆっくりと、新しい年と環境に慣れて行ければと思っています。
今年は、「猪年」。今日の京都新聞の凡語には、「平成最後」の年といわれるが平成とはどんな時代だったのかを問い、髙橋春成の「泳ぐイノシシの時代」という本を紹介している。もともと、平地にいたイノシシを山に追いやり、山の耕作放棄が増えると、えさをもとめて、再び平地へとやってきて、ついには泳いで海や湖にも泳ぎ出てきたというのである。そういえば、大学でも自然環境教育研究センターの人たちが、「うりぼう」をかい、手なずけて、構内をイノシシが闊歩することもあった。みんな、寛容で、人気者だったが、いつのまにかそのイノシシは消えた。自然環境教育センターの人たちが食ったのではないかとの噂もたった。
この頃、大学の農場の芋畑がイノシシにやられているときく。イノシシの怒りかもしれない。「もののけ姫」でも、鉄のつぶてを撃ち込まれ、人への憎しみからタタリ神と化した巨大なイノシシの神が村を襲う場面が導入となる。それをアシタカが退治するのだが、死の呪いを受けてしまい、その呪いを絶つために旅立つのである。中世(室町)の時代的舞台での自然との共存・共生がテーマとして伏在するのだが、オリンピックやら万博やらで沸き立つ今の社会にたいして、自然の猛威を再度想起したい。泳ぐイノシシの時代は、人間がおぼれる時代かもしれない。そうならないための叡智を共有しあっていきたい。