ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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高谷清『重い障害を生きるということ』(岩波新書)

2011年11月09日 22時01分55秒 | 
高谷清『重い障害を生きるということ』(岩波新書)をようやくよみおえた。

「当初は、変化する病状に追われ、生命を守ることで精一杯であった。少しずつ医師や医療スタッフ、さらに生活支援のスタッフが増え、チームでとりくみができるよになった。そしてわたしの接し方も少しずつ内面的になっていったと思う。おもい障害のある人が、からだで訴えている、からだの緊張や動きが語っていることを感じてきた。わたしも言葉でなく、手の接触や発する声や音の調子で話しかけるようになった。気持ちが通うことを実感することもある。/それは、わたしのこころに少しずつ深く、沁みていった。言葉にできない何かがわたしのこころに影響し、わたしのこころを彩ってくれた。」(「あとがき」より)

11月3日のシンポの前に読んでおくべきだった。

構成は次の通り

はじめに
序章「抱きしめてBIWAKO」-25万人が手をつないだ日
第1章 重い障害を生きる
 1 はじめて「びわこ学園」を訪れる
 2 子どもたちとの出会い
第2章 どのような存在か
 1 脳のない子の笑顔
 2 感覚的存在
 3 身体的存在
 4 意識
 5 関係的存在
 6 人間的存在
第3章 重症心身障害児施設の誕生-とりくんできた人たちと社会
 1 小林堤樹と島田療育園
 2 草野熊吉と秋津療育園
 3 糸賀一雄とびわこ学園
 4 おしすすめてきた家族の力
第4章 おもい心身障害がある人の現在
 1 医学的視点から
 2 さらに重い障害へ
 3 人数と実態
第5章 「いのち」が大切にされる社会へ
 1 「この子らを世の光に」
 2 「ふつうの生活を社会の中で」
 3 「抱きしめてBIWAKO」
 4 生きているのは「かわいそう」か
あとがき

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1 コメント

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現在から考えてはならない高谷先生の文 (過去現在未来)
2011-11-19 04:46:38
びわこ学園の取り組みは、現在から考えると想像を絶する取り組みだったと思えてならない。重度の障害児が産まれたことで、未来を案じたお母さん。教師の福利厚生に関わる仕事をし、教育会館の隣りで働いておられたのに各地の病院や施設を探し回っておられることを噂で聞いて話しに行ったことがある。身近にすべての子どもに教育を、と取り組くんでいる私たちと産まれた子どもさんのことは別だと思っておられた。一緒にびわこ学園を訪ね、高谷先生と話しをされて入園された。私たちの障害児教育の取り組みが、こんなに大事で身近なことだと思いもしなかったとお母さん。あの日から子どもの発達保障の取り組みに真剣に参加していただいた。が、その子どもさんが亡くなられたとの知らせ。余命いくばくもない、と外の病院では見捨てられた子どもさんが余命を乗り越えて行きて来たのに。びわこ学園でこの世がなくなった以上の泣き声のお母さんを前に私たちは立ちすくんだ。高谷先生もいた。先生は数え切れない程このような場面に立ち会ったことだろか。絶叫して泣き叫ぶお母さんと高谷先生の顔が今だに忘れられない。重々しい、って言えない程の重々しさ。その中から子どもの発達保障を医師として取り組んでこられた高谷先生や先生と共に取り組んでこられたスタッフ、子どもたち、親御さん、家族、数え切れない多くの人々のことを過去のこととしてはならない。現在と未来に生かされないと。
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