ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

はじめての大学(着任当時の思い出―「遊んでいること」の価値)

2020年04月23日 17時47分55秒 | その他
以下は、なにかの機会に書いたもの・・・はじめて就職した頃の思い出である。なにに書いたものだろうか???
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N教育大学には、1988年4月に助手として着任した。はじめての職場で、見るもの、聞くものとても新鮮だった。

学校教育の世界には違和感があり、はじめの学部時代まで避けてきたのだが、子どもの世界の面白さに、教育学部への学士入学から大学院教育学研究科へすすんだ。回り道をしての教育の世界へおそるおそる戸をたたいた。養護学校教育の義務制実施や国連の国際障害者年をへて、ようやくや障害児教育の世界に入ることになった。すべてが手探りで、現場をウロウロしていた。怖いもの知らずで、障害児教育の歴史や教育実践、子どもの発達のフィールドにいっていた。はいまわる経験主義とはこのことをいうのであろう。系統的な学習や研究の蓄積のないまま、年齢だけ重ねた。そんなウロウロの中で、N大学に拾っていただいたのだった。

着任してから、教室と付属の障害児学級の交流会があり、先生方と退職したY先生を交えての歓迎会を兼ねた交流会が行われた。附属小学校の運動場東の土手、桜並木の下で花見を兼ねての恒例の交流会だった。
着任当初はなにもかも珍しく、時間を忘れてウロウロしていた。すでに、花見は始まる時間を過ぎ、Y先生の機嫌は徐々に思わしくない方向に行っていたようだ。放送で呼び出すということになったらしく、ぶらぶらしていると大学の放送がかすかに聞こえる。その放送で、呼び出されていたのだった。もといた大学では、ハンドマイクでのアジテーションならよく聞くこともあったが、放送での呼び出しなど考えられなかった―「N教育大学には全学の放送設備があり、呼び出しもされるのだ!」と、ひどく驚いた。遅れていった交流会ではボロカスだった。Y先生、附属中学校のF先生からはこっぴどく叱られた。O先生、Oi先生、T先生はなんてことはないという調子で、お酒を交わしていた。よく、お酒をのむ教室だった。

教室のみならず、大学全体が面白かった。教員養成系の教育学部はミニ総合学部で、各教室にはそれぞれの専門家がいた。新館1号棟の2階の研究室の前の先生が、理科化学のM先生だったが、いつも研究室を開け放してウロウロしているとよく叱られた。よく遊びに行っていた研究室は、家庭科教育のT先生の研究室。ここは、コーヒーとお菓子があって喫茶店のように入り浸っていた。おもちゃをつくるといって、技術科木工のK先生がご病気だったので金工のY先生に機械の使い方も教えていただいた。よく、木工室の糸鋸をつかわせていただいた。また、つれあいの実家が広島だったことから、放射線物理学をやっていたN先生にも、原爆瓦の収集をお願いされ、義父の手を煩わせてたくさん持って行った。自然環境教育センターができてからは、生活科のキャンプにも駆り出され、M先生に渓流でアマゴとりを教えてもらったのも楽しい思い出である。大塔寮の山が、豪雨で土砂崩れが起こり、使えないのは残念でたまらない。
現場にも行って、子どもたちや先生方とも知り合いとなった。また、奈良まち界隈でもうろうろして、芸術家をはじめとしていろいろな方たちと知り合いともなった。はためから見れば、ウロウロとして、遊んでばかりのように思われる。

考えてみると、遊び・リクリエーションとは、re+creationで再創造するということである。ブレーキにあそびがなければ事故になるのである。「役に立つ」か「役に立たない」かだけで価値を判断するような、知性に対する敬愛のない社会になりつつある。大学も、遊びのない、「役に立つ」ことを強いる場になっているように感じている。ここは一度、半世紀の歩みを振り返りつつ、「のんき・こんき・げんき」で過ごしていきたい。
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『障害児学教室50年史』だったようだ。

『新極道の妻たち』シリーズ

2020年04月22日 13時02分55秒 | 映画
どんどん、大時代的なものになっていく。いわゆる劇画化・・・大阪の再開発を舞台に、「時代劇」が展開される。もう、エンタメになっているので、このブログでは紹介しないことにする。
『新・極道の妻たち』(1991年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、 高嶋政宏
『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、草刈正雄
『新極道の妻たち 惚れたら地獄』(1994年)※監督:降旗康男 岩下志麻、山下真司、斉藤慶子、中条きよし
『極道の妻たち 赫い絆』(1995年)※監督:関本郁夫 岩下志麻、宅麻伸:ポスト関西国際空港開発の大阪夢洲(?)へのドリームランド開発計画にからむ堂本組
『極道の妻たち 危険な賭け』(1996年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、工藤静香他:バブル後
『極道の妻たち 決着(けじめ)』(1998年)※監督:中島貞夫 岩下志麻、かたせ梨乃、とよた真帆他:これは?

ついでに、『極妻 地獄の道づれ』(2001)、そして高島版『極妻』の最後(2008年)から8年後につくられた2013年に最後の『極道の妻(つま)たち Neo』。この2本をみてしまった。

「極道の妻たち」シリーズはもういいが、時代をさかのぼって、宮尾登美子の『鬼龍院花子の生涯』などを探ろうかと・・・。

映画『極道の妻たち』第一期分

2020年04月20日 11時02分18秒 | 映画
映画『肉体の門』からの継続で、戦後の日本社会について考えている。いわゆる「闇社会」の心理と論理である。
1987年から1988年頃、教育相談で関わったこととも関連しているのだが、この時期、よく「やくざ」関係の書物から学ぶことをせざるを得なかった。この映画の原作となった家田荘子『極道の妻たち』(文藝春秋、1986年)もその中にはいっていた。その他、お抱え弁護士の本とか、組の系譜や歴史とか、チンピラの心理と、親分・子分関係とか・・・。
そんなこともあって、『極道の妻たち』は見てみたいと思っていた映画だった。あけてみるとびっくり、かなりたくさんあるではないか。

そのはじめのシリーズ4作をざっと紹介しよう。

極道の妻たち(1986年)※監督:五社英雄 岩下志麻、かたせ梨乃、世良公則など
岩下演ずる粟津組組長の妻・環、かたせ梨乃演ずる真琴、二人は姉妹。結局、真琴は世良演ずる杉田の妻になって、対立。杉田のもとへ行くという真琴を環は止める。激しい喧嘩の後、「今日限り、わてらは姉妹でない」と環は妹を送りだした。杉田と真琴の久方ぶりの逢瀬の際中、杉田は刺殺され、そして粟津の保釈の日、環や組員が見守るなか、粟津も殺される。

極道の妻たちII(1987年)※監督:土橋亨 十朱幸代、かたせ梨乃、村上弘明他
背景は、関西国際空港の建設をめぐる土地のたちのき、島争いをめぐるやくざ間の争い。十朱幸代演ずる重宗組組長の妻・遊紀は資金集めで、村上弘明演ずるばくち打ちの木本燎二と、襲名披露で、いかさまばくちの大勝負をする。かたせ演ずる榎麻美と子どもとかたぎになって、よりをもどそうと帰っていくが、その場で殺される。賭場、ばくちうちといかさまばくちについてみてしまう。

極道の妻たち 三代目姐(1989年)※監督:降旗康男 三田佳子、萩原健一、かたせ梨乃他
関西坂西組・三代目組長が心臓発作で死に、その跡目相続の争い。三代目の妻の葉月(三田佳子)が、出所してきた赤松(萩原健一・ショー健)に指示し組長に札入れでなった寺田に対して「寺田との戦争に勝て!」と言い放つ。赤松は寺田の知恵袋を射殺して宣戦布告、アリバイ工作のために清美という女を利用するが、赤松と清美は寺田に射殺される。坂西の遺書を破り、坂西組を葉月が自らの肩に負うことを決心。かたせは、赤坂とのからみででてくる。

極道の妻たち 最後の戦い(1990年)※監督:山下耕作 岩下志麻、かたせ梨乃、石田ゆり子
中松組川越会本部の幹部連中の間に服役中の瀬上組々長・瀬上雅之の妻芙有(岩下志麻)の姿もあった。彼女は夫の服役中、気丈の強さで組織の運営を務めているのだ。そんな時、五年前の中松組の抗争で夫を失った伊勢夏見(かたせ梨乃)が大阪へやって来る。出会った芙有と夏見は固い友情で結ばれる。亡き夫の復讐に燃える夏見は、瀬上組を中松組と互角に張り合える組織へ拡大しようとする芙有に協力する。夏見は仇である中松組々長田所亮次を射めようとするが、逆に銃弾を浴び息絶えてしまう。夫の瀬上のあほさかげんに、愛想をつかし、芙有は組を去り、そして妹分の夏見の死に決着をつけるべく、芙有は田所を撃つ。

どうも、あほで根性なしがやくざの男、筋をとおしばくちを打つのは妻(「おんな」とよむ)という図式。これは、この映画がつくられた頃のことを思うと、うなずけないこともない。

映画『火宅の人』『肉体の門』

2020年04月14日 15時38分24秒 | 映画
コロナの猛威で、こもっている。仕事もあるので、Wifiの環境の整備をして、関連の映画なども視聴している。
檀一雄『火宅の人』を原作にした緒形拳主演の『火宅の人』(1986年)には、「次郎」という日本脳炎によって重症心身障害をおうた子どもが登場する。そのことで、檀一雄の妻(いしだあゆみ)は、宗教に頼ったりする場面もある。重症心身障害児病棟(施設かな)に入所して、その後、なくなるという場面がある。基調は、文士檀一雄の不倫生活なのだが、中には、性的虐待をうけた女性(松坂慶子)も登場する。1986年深作欣二監督の作品だが、1975年に単行本化された小説は味わい深く、映画はなにか薄っぺらいように感じる。これはこれで、映画なので仕方がないのだろう。
歴史的には、『火宅の人』以前の物語になるが戦後初期の「パンパン」とよばれた女性達の物語が田村泰次郎『肉体の門』(1947年)。これを原作にして製作された同名の映画『肉体の門』(1988年)、、主演はかたせ梨乃。この中には、戦後占領下での社会、占領軍からの性的暴行、傷痍軍人の障害者なども登場する。戦後直後の暴力と混乱、やくざなどの広がりなども考えてしまう。
いずれのも、戦後小説が発表された後に製作され、それをリメークしたものである。これらの映画は、1980年代に製作公開されたのであるが、戦後40年の頃の1980年代になぜリメークされたのかも考えてみたいことである。

木内昇『占』新潮社、2020年1月

2020年04月05日 20時50分53秒 | 
 新型コロナウィルスの猛威のなかにあって、先行きの見通せない、不安が続いている。そんな時に、木内昇『占』を読んだ。新聞で紹介されていたので、まだ図書館が開いているときに、予約していたものだった。
 コロナで図書館が閉館している間でも、依頼のあったものは連絡するということで、電話がかかってきたのだった。その受け取りに行って、風呂に入りながら、ちびりちびりと読んでいたものだった。「占い」に関する短編集で、大正から昭和のはじめくらいの世相を背景に、その中の女性の心の揺れを描いたものである。
 もともと、女子大でゼミをやっていて、そのときに、「占い」にいく女子学生たちがいて、「あたってる!」とか「あたった!」とかがゼミで話題となったことがあったからだった。「占い」ということで、それにひかれる女性たちの心の揺れ、なにものかを頼るような心の在りように興味をもったことが、この本を読んでみたいと思ったきっかけだった。読んで、その都度、面白いなと感じつつ、そのストーリーはすべて忘れてしまっている。全7話で、それぞれ町の名前と占いの場を題名としたストーリーとなっている。

時追町の卜い家 伊助との間を八卦見占いに聴く翻訳家の桐子 
山伏村の千里眼 なんの特徴もないカフェの女給・杣子が思ったことをいうとそれがあたると・・
頓田町の聞奇館 知枝が思う写真の人、そのひとをあの世から呼び出してその人の話をきかせると・・
深山町の双六堂 ご近所さんのいろいろなところを評価した政子、その経過を双六に、自分の評価を気にする他の人たちにきかせると
宵町祠の喰い師 大工の家業をつぐこととなった綾子が職人のことが気になる。その不満を、喰い師に聞いてもらうと・・・
鷺行町の朝生屋 こどものない恵子のところに突然現れたこども・ゆうた
北聖町の読心術 器量のよくないとおもっている佐代に優しいひとが、しかし、その人の過去のことを気にして、幾多の占いへ

ざっと、摘記してみると、ようするに鏡に映して、その人の思いや未来のことを見てもらうという・・・「あたるも八卦あたらぬも八卦」ではあるが、要するに自分のあり方ということだと。