ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

別府哲『自閉スペクトラム症児者の心の理解』全障研出版部、2019年

2020年08月10日 16時51分15秒 | 

 ビデオのデジタル化などをやりに、奈良にきて、ついつい時間があるものだから、院生の机の上にあった『自閉スペクトラム症児者の心の理解』をよんでしまった。エピソードが面白い!
 実践や体験からASDのある人たちの心の動き6.と個性豊かな特徴を丁寧に描いてある。「出会いなおし」やら、「直観的心理化」「命題的心理化」なども、そうなんだとおもったりした。最近、特別支援教育の実務的な本をみて、ちょっと辟易しているところだったので、やっぱ、子どもは面白いやと思わせてもらえて、感謝!
 若い学生さんによんでもらいたい。「おもしろいなぁ」とおもえる教育者に育ってほしい。内容・目次は次の通り。

はじめに
1.自閉症スペクトラム症児者の心を探る
2.一緒に笑いあえる「人」の存在に気づく
3.心の支えとなる人
4.楽しい世界と出会う
5.楽しく振り返ることができる生活
6.ユニークな心の理解
7.直観的心理化のユニークさ
8.子ども同士の共有体験をつくる
9.異質・共同の集団づくり
10.多様な感情を共に経験した歴史をもつ仲間
11.激しい問題行動を考える
12.ふれあうこと、安心できること
13.身体感覚としてわかり合えた経験をつくること
おわりに


戦中の京都師範学校で青木嗣夫先生とともにしたであろう学徒動員の記録

2020年08月09日 00時09分05秒 | その他


 敗戦75年、京都新聞の2020年8月8日に掲載されたこの記事は、戦中、京都師範学校の学生の経験で、名古屋、舞鶴での勤労動員のことを語っている。この記事の方は、おそらく、京都府立与謝の海養護学校づくりを担った青木嗣夫さんと同級の方と思われる。戦争孤児の歴史についてふれた論考を書くに当たって、事前に準備した文章は以下の通り。紙幅の関係で、本にはこのエッセンスだけが記載されているが、草稿の段階のものを揚げておきたい(なお、論考は本庄・平井編『戦争孤児たちの戦後史 西日本編』吉川弘文館に掲載される。8月には刊行されるはず)。

 杉本源一より2年下、1928年、与謝生まれの青木嗣夫は、京都師範学校予科に在学中、勤労動員で名古屋の住友の工場で兵器の製造にあたっていた。その間、幾多の空襲や艦載機による機銃掃射、そして大地震の中で生死の境をさまよい、京都に引き上げた。
 本科1年の1945年7月には、舞鶴海軍工廠に再動員され、そこで人間魚雷の製造に従事させられた。敗戦直前の7月29日、作業開始まもなくB29の空襲にあった。同郷同級の友が直撃を受ける。荼毘にふしたのは青木ら京都師範の級友たちだった。
 敗戦となり、友の白布に包まれた遺骨を胸にした青木は、引き上げる西舞鶴の駅で、空襲で失った友への悲しみとともに、遺骨が「英霊」として遇されないことへの「激しい怒り」を感じていた。青木は、爆死した友の墓で、「君の分まで働く」と誓っていた。
 青木もまた、京都師範学校へ復学し、先の「浮浪児援護同志会」(1947年に「京都師範児童援護研究会」と改称)へ参加した。施設を回っての支援や募金活動、あるいは少年保護学生連盟に参加する立命や同志社の学生と一緒に保護活動を行っていった。その時の経験を、青木は次のように述べている 。

「時には、比叡山へ鑑別所に入っている子どもたちを遠足に連れていくこともありました。鑑別所とは非常に厳しい交渉をしながら学生が責任をもって比叡山へ連れていく。…それぞれが何人かずつ責任をもって担当するわけです。担当するわけですがいつどこで、とんで逃げるかわからんという状況なんですね。そういう子どもに対して、「逃げたかったら逃げえや」というふうな、勝手にせえという意味ではなく、どうしても逃げたいなら構わんという対応をした班は一人も逃げなかったわけです。ところが逃げてしまったら困るということで、きちっとしとる班からは逃げてしまう。例えば水汲みにいって、帰りにはそれをほったらかして大津まで駆け下りていって、そして東山トンネルの中で恐喝をして、大阪で捕まるという、そういう時間的にも速いスピードで子どもたちは動いていました。…管理をすると、自分の手から漏れていく。だけど子どもたちを信頼しながら「君たちは、そういうことをするとは思っとらんけど、出たいんなら出てもいい」という対応をすると、そういうことはないということも、この活動で学んだことの一つでもありました。」(青木嗣夫「証言・子どもと共に生きて」1989年7月8日、「青木先生の退職と全快を祝う会」での講演)

額賀澪『拝啓 本が売れません』を読む

2020年08月02日 00時02分31秒 | 
チンタラしていたら8月になってしまった! 暑くなった。コロナの感染は拡大する一方、そして、あと2週間、前期の講義は続く。
「本が売れない」ということで、図書館でつい、額賀澪『拝啓 本が売れません』(KKベストセラーズ、2018年)を借りて、風呂に入りながらよんでいた。
章立ては次の通り。

序章 ゆとり世代の新人作家として
第一章 平成生まれのゆとり作家と、編集者の関係
第二章 とある敏腕編集者と、電車の行き先表示
第三章 スーパー書店員と、勝ち目のある喧嘩
第四章 Webコンサルタントと、ファンの育て方
第五章 映像プロデューサーと、野望へのボーダーライン
第六章 「恋するブックカバーのつくり手」と、楽しい仕事
終章  平成生まれのゆとり作家の行き着く先
『拝啓、本が売れません』をここまで読んでくださった方へ

特別付録 小説『風に恋う』(仮)

1990年生まれの著者が、松本清張賞などを受賞して、小説家を生業としていくのだが、しかし、出版不況で、「本が売れません」…。どうしたらということで、編集者ともども突撃取材にいく。
『君の名は。』などを編集したラノベの敏腕編集者にキャラを立たせることをいわれ、職人みたいな書店員さんには「面白い本」をと、Webコンサルタントには公式サイトの制作をいわれ、そして映像プロデューサーには30万部くらい売れるベストセラーでないと企画が通せないと…。そして、規格からはずれたものを提案するブックカバーの作り手からは、奥行きのある表紙を作りたいねといわれ、そして、このインタビューの間に書いていた長編小説がクリスマスの日にできあがる。この本を売るために、これまでインタビューしてきたことをいかして、そして、ついには他の出版社からでるこの長編小説の序章そのままをこの本の特別付録でつけるという…。
一石二鳥も三鳥もという著者の試みは、「本が売れない」状況にどのような波紋をもらたしたのか。この試みをしている間に、著者の知っている本屋が3軒つぶれたという、はたしてこの世の中は本に対して冷たいままだったのか。とはいえ、こうして、公共図書館にこの本が入り、それを、「本が売れない」といって学術書を出せない事態に陥っているおっさんが、だまされて手に取るのだから、動かなかったというわけでもあるまい。