京都シネマで上映されていた、「沖縄スパイ戦史」をみた。
陸軍中野学校から沖縄に派遣されたエリート将校たち。御郷隊の隊長となった、村上治夫・岩波壽と少年たちの御郷隊の運命がはじめに跡づけられる。それだけではない。住民たちを監視し、相互に疑心暗鬼をつくりだし、米軍に対抗するようにコントロールしていく。村の牛や山羊を軍隊の食料にするために、住民をマラリアの蔓延する今に強制疎開させるなどなど。それは、来たるべき本土決戦のための第一の防波堤・捨て石だった。中野学校のエリート将校は、どうなったのか?村上と岩波は、戦後、戦死した御郷隊の子どもたちをともらうことを課してきた。その一方、波照間にきた、「山下虎雄」を名乗る工作員は、やさしく子どもたちに接し、住民たちの信頼をえたうえで、突如変貌し、軍刀の圧力の元、住民へ「西表島」への移住を強要した。軍刀は、おそらく使用されたのであろうが、映画の中では暗示はされるが、その記憶は軍刀とともに遺棄されている。山下虎雄は、戦後、工場の経営者となったという。電話取材でのその肉声が残っていた。当時の軍の事情を一般的にのべ、みずからの行いについての証言はない、住民への謝罪はもちろんない。山下こと、酒井の心の中はどうかはわからないが、沖縄とは無関係に戦後をあゆむ。
村上・岩波と山下の対照的な姿を垣間見る。中野学校から沖縄にわたり、工作にあたり、戦後、特殊教育の研究者になった斎藤義夫についてその足取りを跡づけてみたい。一時は、琉球大学に職を移したこともあったという。斎藤の心中はどのようなものだったのか?
同時に、陸軍中野学校の本土決戦準備は全国にひろがっていた。参謀本部から出されたパンフレット「国民抗戦必携」「対戦車戦闘」、美術学校にいっていた兄がイラストを描いていた関係で、そのパンフレットを家で見た15歳の大野松雄は「こりゃもう2年がいいとこかな」と思ったという。
「軍隊は私たちを守るのではない。基地を守るのであり、命令を出すものを守るのである」
73回目の8月15日がこようとしている。