ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

河瀬直美『光』ー樹木希林の訃報をうけて

2018年09月17日 09時01分35秒 | 映画

8月28日に河瀬直美監督の「光」をみた。奈良県中途失聴・難聴者協会の主催で、字幕付き邦画上映会。奈良県橿原文化会館で開催された。

視覚障害者への映画音声ガイドを中軸に、音声ガイド製作を担当する主人公と視力を失っていく元写真家の物語、ラブストーリー。映画の中のもう一つの映画、それは老人の愛の物語なのだが、それを音声ガイドとしてどのように説明していくか。視覚障害の人たちとの討議、ことば選び、心情の言語化などなど。視覚障害差の人たちのイメージをどれだけ言葉が喚起できるのか、逆にイメージの押しつけや誘導に陥らずに・・・・という難問。その仕事の進展と平行して、主人公の母親の認知症の進行の一方、もうひとりの主人公の男自身の視覚の最終的な喪失が進む。その二人の間は徐々に近づいていく。

最終的に、映画の最後に音声ガイドが付けられる。映画の中の映画の音声ガイドは樹木希林がすこし低めのゆっくりした声で語る。最後に、「そこに・・・光」。映画中の映画の字幕が読み上げられる。製作過程のガイドの音声とはまったくかわって感じられる。「言葉」と「音声」との不思議な関係。そして、かわいた文字と声という情感を持った言葉・コトバ・ことば・・・・私たちの受け止める側の思いも重なる最終の場面である。

二重のストーリーと、文字と言葉の重なり合い、織りなすストーリー。すこし技巧的な印象は否めない、視力・視覚の喪失してゆくもう一方の主人公の設定にリアリティがあるかという素朴な思いはあるものの、それはどうでもいいだろう。

舞台は奈良、市内循環バスの八軒町にすみ、歩道橋、近鉄電車、近鉄奈良駅付近の商店街、そして明日香村の風景など、奈良の中途失聴。難聴協会の人たちが、聞こえない人も、聞こえる人も、そして、見える人も、見えない人も楽しみたいということでえ選んだ作品。主催者の思いを共有したい。

さらに、その最後につけられる音声ガイドの樹木希林の声の響きは、樹木希林の訃報に接して、またその印象を強めることとなった。

 


小杉健治『最期』集英社文庫、2018年

2018年09月11日 10時24分17秒 | 

しばらく遠ざかっていた推理小説。リーガルサスペンスのなかでも、社会的な視点とヒューマニズムを喚起してくれる小杉健治、本屋で見つけたのがこの『最期』の文庫本。

ホームレスとなり殺人の被告となり、一人の過去をすてようとした男に、弁護士と裁判員となった男がその男の過去にさかのぼる。そこには「四日市ぜんそく」(昭和30年代後半)の公害裁判とその裁判を動かした物語が隠されていた。

「四日市ぜんそく」と関連して、京都の宮津の与謝の海養護学校づくりの人たちも四日市の見学に行っている。火力発電所の計画もあったこともあり、障害児教育運動とも関わりがあったのだたおおもう。そんなことをふと思った。

弁護士の鶴見京介のシリーズがあるようだ。また、さかのぼって読んでみよう。


保坂正康『昭和の怪物 七つの謎』講談社現代新書、2018年

2018年09月11日 10時08分46秒 | 

福岡へ集中講義に行った。福岡教育大学は、山に沿ってのぼって建っている。まわりにはなにもない。構内に、伊能忠敬が歩いた道というプレートがあった。

喫茶店で仕事をしようと思ったが、なにもないので、保坂正康『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書、2018年)を読んだ。構成は以下の通り。

第一章 東條英機は何におびえていたのか

第二章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか

第三章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか

第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか

第五章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか

第六章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか

際七章 吉田茂はなぜ護憲にこだたったのか

戦中と戦後の多くの軍人・政治家の証言を聞き取ってきた保坂がうまくまとめている。石原莞爾については、1回だけ上海でその護衛をしたことがあるという村上さんの話をきいたところだったので興味深かった。