30余年の教育大学生活の最後の3年間を教職大学の特別支援教育コースの開設に参加する経験ができたこと、教職大学院生と共に学び実践現場を訪問し、より教職の専門性という観点から、考えさせられることが多くありました。
振り返ってみると、教職大学院の開設時には特別支援教育実践論の講義が設定されていました。ですから、おつきあいは、教職大学院10年余の歩みにも重なるものでした。当時を振り返ると、この特別支援教育実践論の講義は、玉村が窓口になり、特別支援教育教室の先生に分担してもらって、オムニバス方式で展開していました。オリエンテーションとイントロダクションをわたしがおこない、K先生が特別支援教育の制度やシステムを、当時、特別支援教育研究センターにおられたI先生が、ソーシャルスキルトレーニングや ペアレントトレーニングなどの発達障害への具体的支援について、N先生が発達障害の病理や生理について講義していただき、あとは、通級指導教室を担ってこられた先生方や保護者の方々をゲスト講師にお願いして、子育てや学校での対応・支援について、みなさんで学ぶ機会を作ってきました。視覚障害の教職大学院生とともに、いろいろと学習の支援を考えた事も得がたい経験でしたし、なんといっても現職の先生方やいろいろな経験を積んで教職大学院にやってきた方々、そしてまっすぐな気持ちで実践に取り組もうとしているストレート院生の皆さんと出会い、いろいろなところで教職大学院生さんたちのアイデアを出してもらい、そのエネルギーや知見に学ばせていただきました。そういった講義と院生のみなさんとの付き合いがあって特別支援教育実践論がより広がり、特別支援教育のコースが開設できたと思います。
教職大学に特別支援教育コースの発足前の課程認定の作業がなかなか複雑でしたが、実務家のK先生をお迎えし、また、N先生とともに講座の異動をして体制でした。きちっとした教職大学院の風土と緩い特別支援の風土とのギャップがあったことも事実です。発足時は、特別専攻科を閉じはしましたが、学部・修士課程とともに兼務で、N先生は特別支援教育研究センターの運営、そしてわたしは附属幼稚園の運営にも関わるというアクロバットとも思える状況でした。コースの出発に当たり教職大学の先生方や院生の皆さんには多大なご迷惑をおかけしたこと、恐縮の極みですが、何とかやってこれたのは、皆様のお力添えのおかげだと思っています。さまざまなご支援をいただいたこと感謝申し上げます。
関係者の会でも申し上げたように、どうも性格上、「先鋒(いちばんはじめに相手にちょっかいをかける役回り)」の位置になるので、なにごとにも前のめりで、はやとちりなものですから、退職を前に、新しい課程認定要員になって、現在は、私立大学にいます。しかし、移動してみて強く感じることは、奈良の全体としての寛容さ、そして誠実さです。奈良は「良きところ」という意味で「まほろば」とよく言われますが、「まほろば」から「修羅場」に来てしまったと思うことすらあります。同じように古都といわれても、伝統や文化の違い、仕事の仕方や人間関係の培い方の違いなどを痛感しています。
学部の特別支援学校教育の教員養成をすることになりますが、年次進行で開講していくので、現在は通常学校の教員養成の枠組みの中で特別支援教育の観点を共有していく作業をしています。今後、その卒業生たちも教育大学の教職大学院にもお世話になるものと思います。今後とも、奈良の伝統としてのあたたかい目で見ていただき、よろしくお願いいたします。