ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

『夢見る帝国図書館』のこと

2019年07月18日 20時53分37秒 | 

以前書いた中島京子の『夢見る帝国図書館』を読み終えた。喜和子さんの敗戦ののちのことがうすらぼんやりとわかりかけてきた。バラック暮らしで、そこで復員兵の2人の男性と暮らし、その一人が『としょかんのこじ』の作者となり、「帝国図書館」の物語を書いているというような・・・記憶は、書き換えられ、美化されたり、また、意図的に削除されたりもしているが、それを裏付けたり、辿ったりするのは、推理小説のようでもあり。合間に、「夢見る帝国図書館」の話題が挟み込まれている。

この鋏み込むというやり方ではなく、このコラムみたいなものをつなげて、第一部として通し、そして、喜和子さんの物語を第二部として通すというやり方もあるのではないかと思ったりした。

とはいえ、敗戦直後の「駅の子」の話が出てきたり、戦後憲法と女性の権利の実現に寄与する話題が登場したり、帝国図書館とそれが見つめてきた人たちの物語が重なって、戦前・戦中・戦後の歴史を考えさせられる小説だった。どう使おうか?

古尾野先生のことは・・・大陸から引き揚げてきて、大阪に着いて駅の周辺ではぐれた経験 「日が暮れてくると、ますます人が増え、厚化粧の女たちやら、物乞いやら、得体のしれない物売りやら、それこそ駅の子と呼ばれた家のない子どもたちやら、そこをねぐらにしたり、客を待ったりしている連中が集まってきて、ひどいにおいが立ちこめて、なにがなにやら判らない」(360頁)古尾野先生は、少し苦しそうに二回ほどしわぶいた。「だって、あの当時いっぱいいたからね。駅の子と呼ばれた戦災孤児がさ。あの子どもたちくらい、ひどいめにあったのはないんだから。大人のはじめた戦争で親も家もなくしてね」(362頁)

それから「夢見る帝国図書館24 ピアニストの娘、帝国図書館にあらわる」はベアテ・シロタの「女性の権利」をGHQ憲法草案に入れる話。「わたしはこの国で五歳から一五歳まで育ったから、すくなくともほかのアメリカ人よりは、この国のことをよく知っている。この国の女の子が十歳にもなるやならずで女郎部屋にいられていることも、女達には財産権もなにもないことも

、子どもが生まれないといういう理由で離婚されてもなにも言えないことも、「女子ども」とまとめて呼ばれて成人男子とあっきらかに差部悦去れていることも、高等教育など受けさせなくていい存在だと思われていることも、おや名決めた結婚に従い、いつも男たちの後ろをうつむきながらあついていることも。わたしは知っている・・・・・・わたしが憲法草案をかくなら、・・・この国の女は男とまったく平等だと書く」(377-382頁)

 


西島京子『夢見る帝国図書館』文藝春秋、2019年

2019年07月16日 23時56分08秒 | 

西島京子『夢見る帝国図書館』を読んでいる。こんな本を書いてみたい。おびには次のように書いている。

樋口一葉に恋をし、宮沢賢治の友情を見守り、関東大震災を耐え、「かわいそうなぞう」の嘆きを聞いたー/日本で最初の国立図書館の物語を綴りながらわたしは、涙もろい大学教授や飄々とした元藝大生らと共に思い出をたどり 喜和子さんの人生と幻の絵本 「としょかんのこじ」の謎を追う。

 


青島幸男『わかっちゃいるけど・・・シャボン玉の頃』文藝春秋、1988年

2019年07月08日 00時07分19秒 | 

植木等伝をよんだついでに、その頃のことを関係者の書いた本でも読んでみたいと思って、青島のこの本を古本で購入した。驚いたことに、この本、僕が、はじめて就職した年に出た本だったこと。青島は、番組の作家、俳優でもある(「いじわるばあさん」はこの人が主役)。作詞もやるし、小説も書く(直木賞作家)、映画の監督もやったとのこと。実に多彩なのだが、それで、参議院議員をやって、その後、東京都の知事になって、なんにもやらなくって話題になった人。その青島が、シャボン玉ホリデーの頃のことを回想した本。

いろんな面白いエピソードがかかれているが、植木等のことや、谷啓のことなど、クレージーキャッツのことや、台本や曲の作詞などの裏話が面白い。どたばたで、はちゃめちゃで、そして、なんとかつじつまをあわせて、しかも、それあ面白いとくれば、この時代の人生に学ぶこともできるだろう。景山民夫が解説を書いている。

ひとつだけ、エピソードを・・・植木等が歌った「ハイそれまでヨ」の歌のこと。

もともと、1ばん、2ばんがあって、そして3ばんがあった・・・。それを説明したうえで、「植木屋は持ち唄のメドレーの中でこの唄を唄うことあるが。もっぱら三番の文句だけを使う、しかも頭の二行を一番の歌詞と勝手に入れ替えているが、これは正解だと思う。」といっている。つまり・・・

1番の出だしは、「あなただけが生きがいなの/お願い お願い 捨てないで」ではじまり、「テナコトいわれて その気になって」と続く。その3番は、ちがう頭の歌詞があり、それが「女房にしたのが大まちがい」とつづいて、「掃除せんたくまるでダメ・・・ハイ それまでよ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー」となるのである。

 


赤木和重『アメリカの教室に入ってみた 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』ひとなる書房、2017年

2019年07月06日 21時01分09秒 | 

赤木和重『アメリカの教室に入ってみた』を読んだ。ニューヨーク州のシラキュースの学校事情を、公教育の崩壊と再生、インクルーシブ教育という観点から実態を垣間見せてくれる。面白い本。逆に、日本の教育が、とらわれている側面が明らかになると言うこともある。清水先生と越野先生と一緒に、シラキュースの小学校をまわったことがあった。もう10年も前になるか?貧困地帯の学校は紹介されず、中流から比較的裕福でインクルーシブ教育を推進しているところにいった。それでも、やはり、地域間の格差のにおいはしていたが。いいとこの学校は、フラッグシップとかいって、インクルーシブ教育を進めていたし、そのための資源も豊富だったような印象だった。もっと貧困な地域の小学校の実態を赤木さんの体験は伝えてくれる。

インクルーシブ教育を考えたいと思っている人は読むのがよい! とはいえ、出されてからもう2年もたっており、ぼくもようやく手にとって読んだところ(人間発達研究所などの通信への連載を本にしたもので、その一部はよんだので、まとめて読むことが遅くなった)。

内容紹介は次の通り

こんなにも進んでいて、こんなにも遅れている教育の国、アメリカ―発達心理学者が教室に入り込んで体験した、貧困地区の公教育の実態、さらには小さな私立学校で行われる「超インクルーシブ教育」とは。アメリカ教育の光と影を通して、日本の教育の新しいかたちを考える。

目次は次の通り

第一部 貧困地区の公立学校ー公教育の崩壊

シラキュースという街/貧困地区の公立学校/貧困地区の子どもの体/貧困地区で暮らす子どもの言葉と思考/遊びが消える幼児教育/チャータースクールの光と影/日本との違い/アメリカ公教育の底力

第二部 インクルーシブ教育の異なるかたち

公立小学校におけるインクルーシブ教育の実態/Mind your own business/卒業式/優れたインクルーシブ保育に学ぶ/優れたインクルーシブ保育に学ぶ(その2)/インクルーシブ教育の異なるかたち

第三部 インクルーシブ教育の新しいかたち

小さな小学校とインクルーシブ教育/New Schoolの概要/流動的異年齢教育/流動的異年齢教育を可能にするもの/流動的異年齢教育の意義/インクルーシブ教育の新しいかたち

結び アメリカを通して日本の教室を考える