ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

第27回寄宿舎教育研究会春期総括研究集会

2007年03月31日 22時46分54秒 | 生活教育
昨日、今日と第27回寄宿舎研春期総括研究集会(3月30日から3月31日)
テーマ:「あたりまえの暮らしとは」
場所:滋賀県立男女共同参画センター・滋賀県婦人会館(近江八幡)
日程
3月30日
12:30 受付
13:00 開会挨拶
13:10 経過報告
13;30 DVD上映(貝塚養護学校学校指定停止問題)
13:50 ミニ講座(1) 「特別支援学校とは」(越野和之)
14:20 ミニ講座(2) 「職場における実践論議とは」(山中憲一)
15:20 パネルディスカッション「あたりまえの暮らしとは」

18:00 拡大常任委員会

19:00前から交流会

3月31日
9:10 文化行事 滋賀県立八日市養護学校卒業生によるバンド演奏
9:30 講演「格差社会と教育の課題」斉藤貴男(ジャーナリスト)

13:10 閉会全体会
13:50 閉会挨拶7

14:00 寄宿舎教育研究会総会

3月31日の講演で司会をする-「斉藤貴男氏の講演にあたって」。

「90年代バブル経済の崩壊からはじまる「空白の10年」、金融再編、そして「痛みをともなう」構造改革の推進、勝ち組・負け組、自己責任のイデオロギー、イデオロギー統制と教育の反動的再編と続く経済・政治・社会の変化の中で、あたりまえの暮らしがあたりまえでなくなっている事態が進行している。だからこそ、社会の生活実践が求められている。親と子どもの状況が厳しくなる中、子どもの生活に直面している私たちの仕事の意味と課題を、現実の社会を見つめて、考えていきたいと思います。」

過去の科研報告書

2007年03月29日 23時56分01秒 | 大学
曇りだが、暖かい一日だった。

以前の科研の報告書が無くなってしまったので、コピーで作る。
8部ほど作って用紙切れ。それを製本に出す。
ちょうど、先に作っていた本年度末で終わる科研の報告書の製本ができたので、それを納めてもらうついでに、持って行ってもらった。

学部の講義のシラバスを一つ書く。大学院のものも登録しようとしたが、システムの関係でできないようになっているようだ。あきらめる。

夜は会議。

暖かい一日

2007年03月28日 23時16分48秒 | 大学
暖かな一日だった。
考えてみたら、もう、3月も終わり。
どうも、年度末の忙しさで、季節の感覚が狂っているのかもしれない。
スギの花粉症が終わってちょっと収まったと思ったら、今度はヒノキらしい。くしゃみが出る。

10時から、大阪障害者センター主催の講座で「国連・障害者権利条約と教育・福祉」を話す。1時間半くらい話をして、30分質疑と思っていたら、2時間も話をしてしまった。質疑のなかでは、インクルーシブ教育の理解についてが中心。大阪の共生教育論との関係もあるようだ。名目として「インクルーシブ教育」を掲げてきたところとの論争的な切り結びも課題である。また、日弁連などのすすめる障害者差別禁止法の論理と教育の位置づけについても検討がいるようだ。
とにかく、教育条項のこれまでを整理し直す必要がある。

午後から、大学へ戻る。氷室神社のしだれ桜がきれいに咲き始めていた。大学の桜も開花を始めた。授産施設の施設長からお願いがあるとK先生から連絡があり、K先生のところへよる。色々話をして、研究室へ。非常勤の方の講義日程の設定などをする。ABLEの会へのファックスをまた忘れた。

植木等逝く

2007年03月27日 23時28分14秒 | 大学
植木等が亡くなった。80歳。
植木の父は、三重の寺の住職で、親鸞の平等思想に基づいて、戦前水平運動にも関わり、治安維持法によって投獄もされた。「等」という名前は、平等からとったもの。
植木等は、映画・テレビという高度成長時代を象徴する媒体で時代を代表するコメディアンとして活躍した。青島幸男の作詞のスーダラ節、日本一の無責任男のキャッチフレーズで一世を風靡した。植木等が父親の事を記した『夢を食いつづけた男―おやじ徹誠一代記』を、大学院生時代、生協の書評誌に紹介したことがある。非常におもしろい本だったことを記憶している。

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大学にて、入学手続きにきた今度大学院生になる人が研究室にくる。1時半から、センターの特任の先生とプロジェクトの話しをする。特別支援学校のセンター化の実情把握、市町村の特別支援教育支援員の運用状況の把握、教育委員会などからの相談への対応、若干の講義の手伝いなどについて、話をする。
未だ出してなかった評価や科研の報告書を作成し、事務に提出。
図書館のリポジトリに、公開講座の報告書をのせてもらうように手配。
各種、メールでのお願いやお礼。
その他もろもろ…

栄養学の先生に…

2007年03月26日 23時37分26秒 | 大学
朝、科研の報告書をコピーで作った。20部ほどコピーをつくって、印刷屋さんに渡す(ようやく報告書のたぐいは終わった)。

その間、コピー室の前を、栄養学の先生が通って、見つかってしまった。この前、定年の先生方の送別会の際に、20年弱前(赴任当時)のビデオをみせた。それを見て、使用前、使用後という感じで、今の状況について、栄養学の先生が指摘する-「今は、高見山のようなお腹になって…」とのこと。だいぶショック!

昼食は抜いた。歩こうと決心する。5時過ぎに、京都の病院へ。待ち時間は2時間。やはりお腹がすいて、桃山御陵前のガード下でうまいので有名となっているらしい「大中」に入ろうとした。待っている人がたくさんいたので、やめた。

家に帰って、遅い夕食を食べたが、その後、やはりお菓子を食べてしまった。
明日から、気を引き締めて、腹回りを何とかしたい

しがらきから吹いてくる風

2007年03月25日 22時33分12秒 | 生活教育
ドキュメンタリー映画『しがらきから吹いてくる風』(1990年)をみながら、DVDをつくる。

信楽寮を生活の支えとして地域の焼き物などの工場に働きに行く知的障害の人たちが映し出されていた。京都の養護学校を卒業して、寮生活をしながら、実習にいっている自閉症の青年がパニックを起こすところなどもうつされていた。

DVDは、第2びわこ学園のドキュメンタリーのものもつくる。近江学園の成立、その後の展開を映像でたどってみたい。

女性の雇用に関わる「間接差別」の禁止-障害者権利条約との関係で

2007年03月25日 22時22分48秒 | その他
女性の「隠れ差別」禁止 改正均等法 来月施行
 性別とは無関係に見えながら、女性が満たしにくい要件を課すことで実質的に女性を排除する「間接差別」を禁じた改正男女雇用機会均等法が4月1日施行される。
この件に関して、ずいぶん前に労働政策審議会の最終報告書が出され、昨年の国会で改正雇用機会均等法が成立(それまでは、総合職や営業職の募集を男性に限るなどのあからさまな性差別だけとなっている)。

 ちなみに、障害者権利条約の審議では、「直接差別」「間接差別」の規定があったが、日本代表は、「すべての差別」という表現にすることを要請し、「間接差別」の用語が削除されたという経緯がある。
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京都新聞 2005年12月29日 社説 雇用均等法-間接差別の全面禁止を

 男女雇用均等法の改正が日程にのぼってきた。労働政策審議会の最終報告書を受け、来年の通常国会に改正案が提出される運びだ。

 報告書は間接差別の禁止を初めて盛り込んだほか、妊娠、出産時の不利益な扱いの禁止、セクハラ対策など、差別禁止の一段の強化を目指している。

 ただ、報告書が示した間接差別の扱い方には懸念も残る。十分に煮詰め、よりよい法案にしてほしい。

 法制定から20年、前回改正からも10年近いが、女性の就労実態や処遇の改善はあまり進んでいない。

 厚労省の調査では、民間企業での女性管理職の登用(課長相当)は1990年の2・0%が、2004年5・0%になったにすぎない。

 その一方、企業のリストラや人件費削減のあおりで女性の非正社員化が進み、04年には女性労働者の51・6%がパートや派遣などの非正社員になった。給与水準をみれば女性パートは男性一般労働者の45・2%にとどまる。不当な解雇や不利益扱い、セクハラも後を絶たない。

 報告書はこうした現実を踏まえ、性差別をなくし、母性を尊重しつつ持てる力を十分に発揮できる雇用環境の整備が重要課題と位置づけた。少子高齢、人口減少時代を迎え、女性が安心して子供を産み、育てながら働き続けられる環境づくりが急務であるのは、言うまでもない。

 最大のポイントは間接差別の禁止だ。間接差別とは外見上、性別による差がないようでも、実際には一方の性だけが合理的な理由がないのに不利益を受けるような基準や規定、慣行を設けているケースを指す。

 欧州連合(EU)や米国などは禁じているが、日本ではこれまで使用者側の反発で規制を見送ってきた。今回、取り上げた背景には、前回改正時の国会付帯決議や、03年に政府が国連の女性差別撤廃委員会から勧告を受けた事情もある。

 ただし、報告書が示した内容は決して十分ではない。使用者側の激しい抵抗を受けた末、禁止すべき間接差別を(1)採用で身長、体重、体力を要件とすること(2)総合職の採用で全国転勤を要件とすること(3)昇進の際に転勤経験を要件とすること-の3ケースに限定したからだ。

 確かに3ケースは女性を排除する典型的な間接差別ではある。だが限定すれば、これ以外は「間接差別ではない」との勝手な解釈を招き、悪質・巧妙な間接差別に免罪符を与えることになりかねない。

 ここは間接差別の全面禁止を基本原則に明文化し、3ケースは例示にとどめるべきではないか。

 すばらしい能力を発揮する女性が各界で目立つのは喜ばしいが、一方でキャリア以外の女性を「安くて使い勝手がよい労働力」視する企業や経営者もいまだに少なくない。そんな経営者の意識改革を促すためには罰則も検討されてよかろう。

特別支援教育研究センターの開所

2007年03月23日 23時17分54秒 | 大学
卒業式にあわせて、大学の附属施設として、特別支援教育研究センターが開所された。役員、名誉教授、教室の先生方や卒業する学生さん、教育学の先生方、教育委員会の方々などが、入り口のところに集まって、開所式が行われた。

式次第
日時 平成19年3月23日(金) 14:30~15:00
場所 新刊1号館玄関前

1.開式の辞
2.テープカット
3.学長挨拶
4.看板(センター表札)の上掲
5.特別支援教育研究センター長挨拶及び特別支援教育研究センター概要説明
6.閉式の辞

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公開講座報告書を印刷屋さんに渡す。これにて一件落着。発行は、特別支援教育研究センターとしている。

6時から、大学院生の修了生と一緒に卒業を祝う会(梁山泊)

卒業式

2007年03月23日 12時58分06秒 | 大学
卒業式

卒業とともに、定年となった教室のT先生をおくる。
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本学の障害児学教室の歩みとともに
                                 
 本学に養護学校教員養成課程が開設されたのは、1966年4月のことである。養護学校教員養成課程の開設に伴って「障害児学研究室」が発足した。今年度が、障害児教育研究室発足40周年といいうことになる。10周年、20周年については、故柳川光章先生が記念誌の中で研究室の歴史を素描され、30周年には、大久保哲夫先生が研究室の足跡を記念誌に書かれている。
 それらの記念誌をみると、田辺先生は、柳川先生の学生課長就任にともなって、1969年5月16日に御着任となっている。早稲田大学の大学院で知覚心理学を研究され、将来を嘱望されていたところを、柳川先生のたっての願いで着任されたと伺っている。当時は、大学紛争まっただ中で、養護学校教員養成課程の成人した第1期生とともに本学での教育・研究生活をスタートさせたことになる。その後、これまで、養護学校教員養成課程は、学校教育教員養成課程障害児教育履修分野、特別支援教育専攻と名前をかえ、発展してきた。その間、田辺先生は、柳川先生を支え、その後ご着任となった、大久保先生、大井正巳先生とともに研究室を創りあげてこられた。特に、養護学校教員養成課程発足後一貫して学生・卒業生の面倒をみてこられ、その時々の研究室について楽しい話題には事欠かない。また、大久保先生が学長に就任されて以後は、研究室を担いつつ、付属小学校校長などの職をこなされるなど、大学運営にも見識を発揮された。
 そのような田辺先生の姿をあえて印象的に表現させていただくと、「ダンディ・男気のある方」であり、酒や食事などで「こだわりのある方」ということではないかと思う。今後も、卒業生共々、研究室のご指導をお願いする次第である。

報告書ようやく完成か…

2007年03月22日 23時45分08秒 | 大学
昼から大学へ。朝は、昨日あったNHKスペシャルの「学校」を見ていた。

K先生のところに一番に…しかし…4時までにとということで、研究室に…

昼、科研の報告書づくり…しかし、スペインの翻訳で手間取る。想像できます?スペイン語の法律を翻訳しているなんて…。法律の用語や訳語のつなぎ方を日本語の方で知っているので、その力だけで、強引に訳している。本当にあっているのだろうか?当たらずとも、遠からずだと思うのだが…。

4時になっても、K先生からは原稿ができたとの連絡はなく、印刷屋さんに明日に回そうという連絡を…。スペインの法律は、第1章だけ訳して、第2章は、条項の題目だけ、第3章は章のタイトルだけで省略。報告書と二度手間となるので、はじめに提出用の書類をつくった。あと、1ページのこっているが、さすがに疲れたし、K先生のすすみ具合も気になるので、6時半に研究室を出る。K先生のところにいくと、今さっき添付でメールを出したところと言うことだった。ファイルをもらって、色々雑談して、帰る。帰ってから、食事をして、K先生の原稿を調整。写真を入れたり、ちょっと文章をいじったり、ページ番号を調整したりして、プリントアウト。結構時間がかかった。

明日コピーを作れば、印刷屋さんに渡すことができる…ようやくそれで一仕事が決着(伝票の処理が残っているが…)。

公開講座報告書のプリントアウトなど

2007年03月21日 23時26分49秒 | その他
21日、春分の日。

午後から、昨日の糸賀一雄の報道のDVDをつくった。プリンターを新しくしたので、DVDにも印刷ができる。糸賀一雄が近江学園の入り口で子どもたちとともに写っている写真を印刷してみると結構いけている。

その後、公開講座の報告書のプリントアウト、まだK先生の原稿はないが、21頁分として、ページ番号をいれてプリントアウトした。写真がうまく印刷できない。結構時間がかかって、夜になってしまった。

科学研究費の報告書をつくることも課題だが、今日は目次をつくって、研究の概要を途中まで書いた。あとの原稿の整理は、資料のところでつまっている。スペインの法律の訳がうまくいかないのだ。もう少し時間があれば、目的と原理のところを訳すことができるのだが…。時間がないので、スペインの法律はおとすか…、まあ、明日、研究室で格闘してから結論を出したい。

明日は、公開講座の最後まで通して、印刷屋さんに渡したい。コピー機の調子が良いことを祈る

NHKスペシャル「ラストメッセージ」

2007年03月21日 14時06分04秒 | 生活教育
昨日のNHKスペシャル「ラストメッセージ この子らを世の光に」(京都新聞での紹介)
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 知的障害児の教育施設「近江学園」は、日本国中が窮状にあった1946年に設立された。設立した糸賀一雄は、障害者と健常者が区別なく暮らせる社会の実現を訴え続け、成人・女性・重度障害児のための施設を設立、拡充していった。だが、心臓発作により志半ばで逝く。糸賀にはその活動を支えた二人の友がいた。池田太郎は、大人になった障害者が自活できる「信楽寮(現・信楽学園)」を設立。田村一二は、障害者と健常者とが同じ村人として生活する「茗荷村」を建設した。三人の意志を継ぐ三つの現場にカメラを据え、彼らが目指したものを見据える。

大変な一日-こんなことやっていていいのか?ふと疑問

2007年03月20日 23時56分12秒 | 大学
朝、NHKのラストメッセージ(この子らを世の光に)の録画予約。
送別会があるので電車で出勤、朝8時半から会議。1時間。
その後、9時半から教授会。
早々に人事で退席、研究室に。

T先生に発達障害のビデオを見せる。
米州条約の翻訳の調整をして、その後、科研費の報告書をつくる。午後から、教授会があるが、出席せず、科研の報告書と公開講座の報告書をやる。なんと、G先生から、公開講座の講演の校正が届き、そのファイルを調整をする。あとは、K先生のみ-「いそがしく、できない」といっていた。

6時過ぎに、送別会で奈良ホテルへ。プロジェクターとコンピューターの相性が悪いのか、調整に手間取る。送別会の始まりはかたぐるしいもの、つくったパワーポイントはちょっとおちゃらけているので、へんに緊張する。そんな関係もあってか、乾杯の後、汗がしたたり落ちてくる。前学長の挨拶の後に、出番。もう、開き直りの心境。でも、意外と好評。
昔教室でご一緒した先生などと久しぶりにお会いし、なつかしかった。音楽の教室の先生方の歌やピアノ、漢文の先生の退職者へおくる漢詩など、いろんな人がいる教育学部にいてよかったと思った。

10時半過ぎに帰宅。NHKのラストメッセージの最後の部分を見る。糸賀一雄のラジオや講演での声を初めて聞いた。「この子らを世の光に」「横への発達」などの言葉に思わず胸が詰まる。大学での人間関係やポジションのことで汲々としている自分はこれでいいのかと思わされた。糸賀一雄は、54歳で亡くなったが、それまで、発達、発達保障、発達の権利を語り続けた。その年に近くなりながら、おちゃらけている自分に「こんなことやっていていいのか」と思う。

ようやく

2007年03月19日 23時01分49秒 | 大学
大学に行って、送別会のパワーポイントに写真を入れる作業をした。これで、明日の送別会の準備はおしまい。

その後、公開講座報告書の後書きを書く。ようやく分担部分は終わる。あとは、他の先生方の校正をまって、その調整、プリントアウトして、印刷屋さんにまわすだけ。とはいえ、時間はないし、予算の執行もしておかなければならない。

午後から、学生委員会。1年目委員だが、副委員長にさせられてしまった。

K先生に校正のプレッシャーをかけにいって、その後、自然環境教育センターの先生方と話す。

手帳がみあたらない。どこかに紛れ込んでしまったようだ。

明日は、朝から会議、教授会、そして送別会。10時から、NHKで糸賀一雄の番組があるので、その録画の設定もしておかねば…。なんとか、明日を乗り切りたい!

公開講座報告書

2007年03月18日 23時33分08秒 | その他
今日は寒い!朝はすこしがふったようだ。

午前中は寒さから縮こまって過ごす(寝ている)。

午後から、公開講座の報告書をつくる。第5講座で、シンポジュームをやったのだが、その一人ひとりの報告資料を整理する。自閉症協会の人は資料がなかったので、話したものやホームページからレジュメをつくった。

休憩中、「華麗なる一族」のダイジェスト版を見る。今日は、9時からその最終回がある。

9時までには仕事を終わらせようとコンピューターの前で頭をひねる。結局、シンポジュームの概要を文章化する必要があり文章をつくりはじめる。報告の3分の2くらいになって、「華麗なる一族」がはじまってしまう。

「華麗なる一族」の最後はちょっとうなずけない…

シンポの報告の作成はようやく11時過ぎにおわり、報告書は、あと、G先生、K先生の原稿の校正と後書きをのこすのみ…G先生、K先生頑張ってください。後書きは、明日にはできる予定。