ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

気力と…気持ちと…更年期か??

2011年02月25日 12時10分29秒 | その他
昨日は朝気力がなく…。
1時から、奈良市福祉センターにて、奈良市域自立支援協議会主催の学習会で「知的障害のある人の暮らしをつくる」として話をする。
1つは、障害者福祉の考え方(収容から地域生活へ)-1日の…1週間の…1年間の…といった、ニイリエのノーマリゼーションの指標が暮らしとの関係ではわかりやすいので、そのことをすこし説明。
2つは、知的障害、発達障害の概説とその考え方、そして暮らしの場面でどう支えるかということについて。
3つめは、権利条約など踏まえつつ、諸外国のグループホームについてもすこし写真で紹介。
最後に、知的障害のある人のねうちある生活をみなさんで考えあっていきたいということで、あざみ寮で生活をしてきた方の偲ぶ会のために創られたDVDを見ていただいた。彼女の好きだった舟木一夫の歌とともに生活の一こまを切り取った写真に見入ってしまい、思いをめぐらせてしまうと胸がいっぱいになってしまい、参加者には醜態をさらしてしまった(更年期か?)。

その後の議論は、「障害をもつ」ではなく「障害のある」とか、「自立」とあえていわなくってもいいのでは(支援があるのだから「自立」なのか?)とか、施設をどう考えるかとか、いろいろあったが、ぼくらの感じ方とはまた違うのだろうと思う。世代の違いをおもったり…言葉の所でひっかかるんやなぁとおもったりしたが、すこしステレオタイプの引っかかり方かもしれないとおもう。

そんな気持ちを引きずりながら、大学に戻って会議に出るが、どうも気持ちが収まらず、いろいろ言ってしまう。気持ちのコントロールが難しい。

家に帰ってから、ふりかえって、以前つくった『障害をもつ人たちの憲法学習』を見なおすと、ぼくの書いたところの扉に彼女の写真が使われていて、今日見た彼女のDVDをまた思い出してしまう。不思議な縁だとおもう。

「障害のある」と「障害をもつ」については、また別の所で書きたい。

岡田尊司『境界性パーソナリティ障害』

2011年02月19日 23時44分50秒 | 
岡田尊司『境界性人格障害』をよんだ。自己形成過程の学生さんは、読むべき本だと思った。この本については、メモをつくっておきたい。
いくつか考えさせられるところもあった。しかし、この本は誰のための本なのか?専門的に支援をする人のためなのか…?

2時から4時過ぎまで、橿原市・高取町・明日香町自立支援協議会主催の講演会で、権利条約の話をする。

6時半から、退職される先生への感謝の会。話題は「映画」。少し喋りすぎた。まじめな性格で、仕事から離れられない…。「マスク」「野生の少年」などについて話す。音楽の先生の「プリティウーマン」の中につかわれた「椿姫」の音楽の話、哲学の先生の「マラドーナ」の話は胸に響いた。教養というのはこういうことなのかな…。

ダンボール積み木

2011年02月18日 23時53分48秒 | その他
2時から、ダンボール積み木をつくりに、幼稚園に行く。いろいろいって作業をしていると、おやつのおばちゃんが「どこでも、叱られているんですね」と笑っていた。そうなんです、どこでもしゃべりすぎで、どこでも叱られているんです。

その間、院生や修了する研究生にまとわりつかれて困る。方針を自分で出さない限り、自分で前に進むことはできない。そんなこんなの指導であとで、後悔…。

視点と思いと…

2011年02月16日 23時07分44秒 | その他
ちょっとあっていない子どもとあったら、ずいぶんスリムになっていてびっくりした。

学生、院生と相談…するが、自分の課題に正面から向かって欲しいとおもう。「そんな思い入れはないもん」「ひとがいった課題だから」「なんとかしたいけど、教えてください…」とか、理解ができない。

教授会。途中で抜けて、通級研へ。視覚障害のYさんが来て、話が弾む。
しかし、しゃべりすぎたようだ。

特別支援学級の劇のビデオをみて、みんなで応援する。

第3者では、こういう見方はできないだろうなあ。それでは、責任はとれないだろうな。映像の見方は、その場にいて、つくる作業をしたことのないひとでは難しいのかもしれない。要するに視点と思いということになる…。それには広い学びが必要となる

形成-内面の形成、人格形成、人間形成…

2011年02月15日 22時24分49秒 | その他
午前中、小学校の全校集会にいって、子どもたちの劇をみる。とてもよかった。呼んでくれてありがとう。午後、手帳を見失って、なにかあるかとおもうが分からなかった。研究生と院生がくる。研究についての姿勢について考える。ようするに「生き方」の問題。

このごろ「形成」という言葉を考えている。
教育の責任を考えると共に…主体としての形成の側面を捉え、それを追求することが、今日とても大事になっているような気がしている。

例えば、内面の空疎さが、外在的な枠組みに適応したり、それに寄りかかろうとする傾向を生む。空疎な私だからこそ、その場のご褒美、資格、権威を求めるのだろう。そして、その外在的な価値を他者に押しつける。それが、「管理教育」を再生産することになる。
「自分探し」ということばがあるが、どこかにその「自分」があるかのように勘違いしていることもある。「居場所」ということばもあるが、それを探してどこかにいってしまうこともある。

内面の形成、人格の形成、人間形成といったことばは、もともとはカント哲学からきたものであるが、再度、この系譜をたどってみると、糸賀一雄なども位置づく、森昭の「人間形成原論」なども再度検討してみたい。その一方で、「発達」概念との関係も視野に入れないといけない…。

『トンやんの青春―障害背負い明日を夢見て―』

2011年02月13日 21時05分35秒 | その他
土日と、大学院や特別専攻科の入試、その後、修士論文の諮問があり、大学に来ている。

障害のある人の手記や記録をいただいているので、それを読んでいる。学生さんにも読んでもらっている。青春の時期に書かれたものであり、それまでの自分をふり返りながら、自分を確かめている。青春の時期だから、その後は「分からない」という続編期待のものとなっている。その後のことも気になりながら、いろいろなことを考える。
限定版のものだから、限定的な知っている人しか知らないというもの…。
脳性マヒのあるトンやんの青春期…。

『トンやんの青春―障害背負い明日を夢見て―』

もくじ
なんとか生きてきたことを
第一章 誕生編-甦った僕
第二章 小学校編-思いやり・努力・根気を知って
第三章 長岡中学校編-みんなと一緒に
第四章 山城高校編-襲いかかる迷い
第五章 卒業編-あたらしく
第六章 新しい仲間編-仲間とともに
第七章 厳しさと壁編-当って砕けろ
未来の浩に

粟屋豊『「障害児医療」40年』悠飛社、2010年11月

2011年02月11日 18時35分01秒 | 
寒い1日。朝から雪だった。学生時代は、とくに大切な時期だから、正面から課題に向かってほしい。だから、4年なり、2年のまとめとして自分の課題から逃げてはいけないと、最近つくづく思う。そんな学生時代に、障害児医療や福祉にであった人の本を読んだ。粟屋豊『「障害児医療」40年』(悠飛社、2010年11月)である。

がんを患うことから執筆に…小児科医、聖母病院副院長・小児科部長である。この中に、1960年代の島田療育園やびわこ学園、近江学園とのふれあいが記されている。とくに、「夜明け前の子どもたち」のエピソードは、フィルムを見ながら当時の職員が発達を発見していったことが示されている。このような原体験がなければ、フィルムの中の子どもの発達を何度も何度もくりかえし吟味し抜くことはなかったであろうと思う。その意味で、はじめのふり返りの機会をどう持つかが肝心なことなのかもしれない。

はじめに
第1章 私の医療の原点-東大教養学部時代、
 医療との接点/献血・売血問題と取り組んだ医療福祉研究会1年目/島田療育園と子どもたち/近江学園での国際はキャンプ/びわこ学園での合宿と、映画『夜明け前の子どもたち』
第2章 医学部保健学科時代、そして医学科へ
第3章 障害児医療福祉取り組んだ医学生時代、
第4章 小児科医として、障害児とともに、
第5章 障害のある患者とその家族に寄りそって、
第6章 たすきをつなぎ、広げるために-医師として、患者として、
第7章 すべてのお母さんお父さんに、
あとがき

1947年生まれ
1966年東京大学理科Ⅱ類入学
医学問題研究会(翌年、医療福祉研究会に発展的改組)

島田療育園と子どもたち(17頁から)
「重症児問題私感」医療福祉研究会機関誌1967年春
「この「島田療育園」は重症の子どもたちだけが入っているところで、その中でも行動障害の強い子を入れるのがこの「お城」だった。格子があり、鍵がかかった部屋を、僕たちは牢獄をのぞくような気持ちでのぞきこみ、子どもたちの様子を食い入るようにみつめた。奇妙な声をあげて本をポンポン投げる子、ウォーと言いながらガラスにどしゃんとぶつかる子。(後略)

近江学園での国際ワークキャンプ(23頁から)

びわこ学園での合宿と映画『夜明け前のの子どもたち』
教養学部二年になった1967年の夏、私たちサークルは島田療育園に続いて、日本で二番目に作られた重症心身障害児施設のびわこ学園でのボランティア合宿を希望し、連絡を取りました。(中略)東大の医療福祉研究会と、東京女子大の風車のメンバー計20名ほどが1週間合宿をすることになりました。

 私たちが滞在していたとき、びわこ学園には柳澤壽男監督ら映画製作スタッフも入っていました。撮影した大量のフィルム(ラッシュ)には子どもたちの小さな変化もしっかりとらえており、それを見ながら、柳澤監督や製作中心者で児童指導員の田中昌人さん、スタッフや施設の職員の方たちの毎晩の議論は私たちにとても刺激的でした。また、学生同志いろいろ語り合い、自分は何をしなければいけないのかなどいろいろ考えさせられました。
 このときの映像は、翌1968年120分の療育記録映画『夜明け前の子どもたち』として完成しました。この映画の紹介文には、「手探りの養育が始まったばかりの学園には、元気で無邪気な子どもたちと、彼らを支えるために苦悩し格闘する職員たちの姿ありました。医療と教育の両面から、子どもたちに働きかけようという「びわこ学園」の試みの記録」とありますが、私自身、映画を通して、たとえ重度の脳障害があっても、働きかけ中で、生き生きとした表情が生み出され、知能指数の上昇といった縦への変化はなくても、横への発達の広がりが確実にみられるといったメッセージを実感することができました。重症児施設が重症児を抱える家族の崩壊の防止のための収容という側面でなく、子どもの発達を保障できる場、さらにはそのような学問が育つ場として重要であること示したものと思えます。(30~31頁)

東大5月祭と、障害児の研究会が発足
1973年現在、文教をはじめいくつかの地域で、研究者や学生も加わった実態調査委員会ができ、その調査をもとに、自治体に対して施策を迫っていた。しかし、まだまだ国レベル、区レベルをはじめ、行政レベルでの多くの壁がある。しかし、親たちは、たとえば京都では、要求運動のなかで、与謝の海養護学校をつくらせ、さらにその内容づくりをしているといった実践の前進が見られ、文京区でも福祉センターをつくらせるといった具体的成果を力にしてがんばっている。(68頁)

福山幸夫教授の東京女子医科大学小児科
日本てんかん協会生の親
1959年の福山型先天性筋ジストロフィーの発見
などなどが記されている。

ちょうど今日の朝、「風をあつめて~実話による感動の物語」(NHK)というドラマがあった(録画するのを忘れた!)。この中に出てくる障害児が「福山型筋ジストロフィー」。ちょっと紹介。
老人ホームに勤務する誠と摂に生まれた第一子が、福山型筋ジストロフィーと診断される。2人目の子どもも同じ病になる可能性は高いが、誠は健康な子を持つ希望を捨てきれない。

「生活教育」「生活指導」という言葉

2011年02月10日 08時39分54秒 | 生活教育
 「生活教育」「生活指導」という言葉を調べているが、なかなか難しいことが多い。
 大学院にいた頃の研究室・講座の名前は、今はないが「教育指導講座」「教育指導研究室」で、研究には、「発達指導」と「生活指導」二つの柱があったように思う。指導教官だった方は、発達を中心にして研究をしていたが、亡くなった近藤郁夫先生などの先輩の院生達は、生活指導を研究していた。両者は対立するものでもなかった。僕は、どちらかというと、後者の方にぼんやりといたようにおもう。このことは、また書こうと思うが、そんなわけだから、「生活指導」という言葉に思い入れがある。
 とはいえ、この「生活指導」ということば、いろいろ変遷があって、今日に至る。昨日この言葉に偶然また出会った。人間ドックの総合健診成績書の中である。

 総合判定のあとに、「生活指導」の項目があって…
「体重を減らしましょう。塩分を減らしましょう。食事量を少し減らしましょう…」などと記載されている。

 医療や福祉の中で「生活指導」という用語が使われているが、こうして「指導」がなされるとちょっと辛いなと思う。

今日の一日
朝、ゆっくり目で、電車で大学へ。駅でコーヒーも飲めたし、本屋にもいけた。これだけでも、気持ちが変わる。
紀要の訂正を検討して、再度、修正し、提出。午後から、退職の先生の最終講義へいく。その人がよくわかる…。
研究室で、院生と話をするが、どうもすれ違う。まだ、頭が疲れているのか?4時過ぎに、19日の講演の件で、連絡があったので、いそいで、パワーポイントと資料をつくる。いろいろやっていて、結局、2時間くらいかかって、送信。
作業所の物品販売の配達があり、その他ろいろ相談することもあったので、別の先生の所に行って用件をすます。講座の弁当代、新入生歓迎の研修会の講師の件、実習ハンドブックの件、話の中でテープ起こしの原稿の直しがあることに気づく。
帰りに、体育の先生と一緒になり、いろいろ話をする…。
家で、メールいろいろ。

耳鳴りジーン…

2011年02月09日 21時08分33秒 | 映画
朝、育友会
帰ってから、レジュメづくりと講座会議。
3時から会議に出席して、プレゼン。
その後、論文のなおしを、頑固なやつと議論。
この間、体調最悪。耳鳴り、脳が働かない。顔に疲れが…十二指腸のあたりがいたんでいるような。いろいろメールで、対応など、疲れ果てて、帰る。
家に帰ると、人間ドックの結果が…。

映画の紹介
「ジーン・ワルツ」
大学病院の産婦人科医の女医が、閉院寸前の産科医院で、さまざまな苦悩を抱えた妊婦とかかわります。日本の産婦人科医療の問題点を描きます。
体外受精や代理母出産に積極的な女医・理恵(菅野美穂)じゃ、大学で助教をしながら、街の産科医院で4人の患者を診ています。
胎児が「無脳症」と判明した女性、未婚で妊娠し、簡単に中絶を希望する女性、長い不妊治療の末、やっと妊娠した女性などに利恵は、真剣に対応します。
日本では認められていない代理母出産のうわさが利恵の周辺で流れます。大谷健太郎監督。

薬師寺のジオラマその後

2011年02月08日 23時40分13秒 | その他
朝から、いろいろとある。
血圧の薬を飲むのを忘れた…とおもっていたことも忘れてしまって、結局、薬を飲まず。
悩ましい。
昼、研究室にもどる…センター紀要の件を忘れていたので、あわてて出しに行く。その後、1時に学生さんと一緒に、薬師寺にいく。盲学校の中学部と高等部の生徒さん達が、薬師寺のジオラマをさわって学習したあと、実際に、薬師寺に行って見学するという企画。ビデオ撮りで、学生さんと2台でビデオをとる。講堂内は撮影禁止なので、外から、薬師寺の僧侶さんからの講話を取る。いろいろ、勉強になる。あとでお坊さんにきくと、視覚障害の人たちに話をするのは初めてで、視覚情報なしで、どうやって話すか苦労したとのこと。いろんなものを生徒さん達はさわらせてもらっていた。
最後に、お坊さんが言っていたこと…顔がうなだれていることは「面倒(面が倒れる)」、でも、顔が上がって光を受けると「面白い」となる。正面を向いて、顔を上げて生きていこうと…なかなかと思いながら、視覚障害の生徒達は漢字というより点字なのだから漢字のイメージができにくいかもしれないと思ったりする(弱視の人も多いのでいいのだが)。
金堂の薬師如来が美しい。その裏の僧侶の像にみんなさわって大きさや、形を確かめていた。さわれるといい!
帰っていると、メール。相談で話しに行く。時間がない…。
5時から、センター機構の会議。委員の選出に関して議論、途中で、退出して、別の会議へ。時間配分を誤り、6時から9時までしてしまう。結局、頭が回っていない。この時期は、時間が無く、会議が目白押しで、また、準備することも多いので、ゆとりがない。結局、みんな殺気立っているように思う。

家に帰ると、11時を過ぎている…。

3割バッターなら、上出来。

2011年02月07日 23時55分07秒 | その他
土日と休んだが、ゆっくりした分、疲れが出てきて、最悪の朝だった。
今週は月に1回の会議がある週なのでその影響かもしれない。
そんなこんなで、午前中は、インビクタスをみて、南アフリカでのアパルトヘイトとその和解過程にふれて、ちょっとがんばろうという気持ちになった。

ようやく、貝塚養護学校の資料集ができた。まだ、DVDに焼いていないが…。これを、貝塚の方々にお渡ししなければと思う…なるべくはやく。
2時から、障害者制度改革奈良フォーラムの実行委員会。どうも、打ち合わせができておらず、車いすの方に守衛さんの所で不便をかけてしまう。財政的な問題を抱えているので、何とかならないかと思うが…。いろいろやってしまうと、なにも考えずに頼られることになってしまうので、我慢のしどころ。結局、いろいろやってしまうが、そんなこんなで叱られる。このごろは叱られてなんぼと開き直っている。
4時半から、改組の委員会。
6時過ぎに研究室にかえってから、明日のレジュメと資料などをつくる。院生や研究生が仕事を止める。最低限のことはしてほしい。
卒業生も来たので、話をする。

「ぼくらの仕事は、できないことをすることなのだから、3割打てたらいい方で、1年間で、ホームランがでたらいいな…でも、いつもはアウトばかりです。そこが、いつもある一定の線を保つことが求められる教師とは違うところではないかと思う。だから、いつも不出来を謝っているようなもん。みんな誤解しているよな」

結局、いろんな妨害にあったので、11時前に資料とレジュメをようやく送って、家に帰る。

長崎…再度

2011年02月05日 21時44分19秒 | その他
来週の準備もしないといけないのだが…心身ともにムリ!
結局、一日、ゴロゴロする。その中で、嬉しいことが一つ…東京のNさんからのメール。

以前、長崎での原爆と障害について、その映像を探して、いろんな人に話したり、お願いしたり、ご意見を頂いたりしたことがあった。その中の一人が長崎出身の東京のNさん。そのNさんが、放送の映像を探していたものが届けられたことをメールしてくれた。

「もう、ほとんどあきらめていたのですが、相談したNHKの方から、1枚のDVDが届きました。えっ、ホント?!と思って開けたら、そう、『彼は生きた ~小頭症被爆者47年の生涯』という、まさにあの番組でした」「今日中にやらなければならない仕事に追われていたけれど、がまんできずに見てしまいました」「最後に、戦争はしてほしくない、二度と自分のような人をつくらないでほしいと言っていました。泣いてばかりいられません。この事実を、若い人に伝えなければ…と思った次第です」

 僕のところにも、全通研長崎支部から聴覚障害関係のビデオやDVD、書籍が届いたことを返信の中で伝えました。また、探していた、城山小学校の原爆学級の番組は、卒業生から、NHKのティーチャーズライブラリーで貸し出ししてくれるシステムがあるとのことを教えられました(平和教育)。まだ、頼んでいないのだが、なんとか手にはいるだろうと思っている。

 強く思って努力をすれば、時間はかかってもいろいろな人が援助してくれるんやなと思った。懲りずに、若い人に伝えていかなければと思っている。
 ただ、最近のまじめな若い人たちの中で、特攻の青春を美しいと感じたり、それに対していまの時代や大人は…といったとらえ方をする人たちも多くなっているのではと感じることもある。


鬼は外、福は内

2011年02月03日 20時33分08秒 | その他
節分
1日の中に「鬼」がいろいろ潜んでいる…。
会議があったので、いつもより早く、家を出る。
京奈和道路で、事故で大渋滞に巻き込まれる。これは…ということで、途中で見切って、強引にUターン。地道にでて、心は焦りつつ、トロトロと奈良へ。
結局、朝の9時からの会議は少し遅れて、参加。もうすでに始まっていた。もうしわけない…。しかし、この会議も、次の仕事の関係で早く出ざるを得ないので、意見を強引にいって出ざるを得ない。
10時過ぎから、幼稚園に。今日は節分。豆まきに参加。はじめに、あいさつ。幼稚園の先生方の演技は絶品、上手、上手。「赤組」の子たちが鬼のかぶりものをしていたので、ついつい「赤組」というところを「赤鬼」といってしまう。鬼が出てきて、やっつけられて、ほうほうの体で逃げていく。後で、子どもたちが、「鬼やってたやろ。知っているもん」といってくる。年少さんでもそんなふうにいっていて、鬼がきたときには先生方にひっつかまっていたり、必死で豆を投げていたりしていた姿ととても対比的でおもしろかった。
11時30分前に、子どもたちとはわかれて、また、会議へ。K教育大学の先生などと協議。12時半頃まで。
その後、教室会議。改組後の特色カリキュラムの件。1時過ぎに終わる。
1時過ぎから、大学院の講義。院内学級について、1月にあったNHKプロフェッショナルのビデオをみる。子どものそばにいるということを考える。オーストラリアにいたとき、ロイヤルチルドレンホスピタルでの経験を思い起こしてしまう。院生さんから「赤鼻のセンセイ」というドラマを教えてもらう。

3時から、障害者制度改革推進会議関連の奈良フォーラムの打合会。5時過ぎまで。その間、いろいろメールをかいたりする、同時進行で。いっしょに事務局にて、講堂を借りる手続きなどをおこなう。
教育相談のだんどりをしたり、院生たちのはなしをきく。

一日、食事もとらずに、いろんなところを飛び回る。なにがなんだかわからない…。

秘密の県民ショーをみた。その中で、宮城の仙台四郎の話が出た。
ウィキペディアで、「仙台四郎」を調べてみた。

仙台四郎、仙臺四郎(せんだい しろう、1860年頃 - 1902年頃)は、江戸時代末から明治時代に仙台(仙臺)に実在した人物。本名は芳賀四郎。知能障害で話すことができなかったが、四郎が訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされた。没後、商売繁盛の福の神としてその写真が飾られるようになった。



盲学校での薬師寺模型(ジオラマ)の授業

2011年02月02日 20時47分54秒 | その他
朝、大学でビデオをもって、盲学校へ。
盲学校で、薬師寺模型(これは、少年院の職業訓練でつくられたもの)をつかった授業を見せてもらう。いろいろな意味で、ビデオ記録をとらせていただく。
盲学校の先生の指導の言葉はいろんな意味でおもしろかった(正確で、しかも、ちょっとくどいとも思えるほど丁寧で…)。ビデオカメラは一つはダメだった(準備不足)。
次回は、来週8日に、薬師寺へ行っての学習を記録することになる。

帰ってすぐ、小学校の研究授業へ。3年生の国語の授業。子どもの思考と発言が面白かった。授業検討会にはいけなかったが、どんな議論になったか…。

職員会議…6時まで。
研究室に帰ってから、メールなど。
今日もいろいろあって、なにがなんだかよくわからない状況である。
昨日の人間ドックがひびいている…寒くて、消耗気味。


薬師寺のブログ(薬師寺日記)に以下のような記事有り
ジオラマ奉納
平成22年1月17日11時から大講堂・彌勒縁日法要の中で、奈良少年刑務所・職業訓練生の制作された「薬師寺金堂と東西両塔」のジオラマ(模型)が奉納されました。
 これは、目の不自由な方に触れて頂き立体的に薬師寺の伽藍配置や建物の形を知っていただけるものです。海外の名所旧跡などにはよくあるようですが、日本ではまだ珍しいものです。
 奈良少年刑務所の篤志面接委員の田渕五十生・奈良教育大学教授の提案で制作されることになりました。
 このジオラマ制作をした受刑者は「制作する中で相手の立場になって物事を考えられるようになり、喜んでもらえることがうれいしい」と感想文の代読がありました。
 法要後、大講堂にて一般に公開中です。

 合掌