阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』(ちくま文庫)を読む。
ヨーロッパ中世の社会史の開拓者である著者の思考の軌跡を記したもの。
指導教官は上原専禄。卒業論文に何を書くかについて、上原専禄が阿部にいった言葉-「それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」。
そこから、本書のに示された「自分のなかに歴史をよむ」ことがはじまり、「歴史のなかに自分につながる人々を探す」旅が始まる。
もうひとつ、阿部が強調するのは、「解る」ということ。だから、「ヨーロッパが解るということはどういうことか」を執拗に問題にする。キリスト教がヨーロッパの人間関係を根底から変えたのだが、しかし、ヨーロッパ社会の根底にはそれとはちがう異教徒的、ゲルマン的人生観や世界観もなお存在した。異教世界とキリスト教世界の境界に存在する「ハーメルンの笛吹き男」を発見し、それを通じて二つの世界の意味、現代にまで貫徹するその歴史的意味を検討したのである。
古文書を読むということ、小宇宙と大宇宙、差別される人たち(被差別民)、キリスト教化の波、メルヘンの世界などなど興味深いことが多い。
障害児教育史との関係で、キリスト教化の波として、巨大寺院と都市のことについてだけ摘記しておきたい(ベルギーのリューベンやブリュッセルにいった時感じたこともあってのことだが…)
キリスト教の浸透の中で、生と死についての考え方が変わっていく。それまでは、小宇宙から大宇宙への移行に過ぎなかったものが、大宇宙と小宇宙の区別が原理的に否定された。キリスト教では、死は生の延長にあるのではなく、生前に行った善行と悪行が計られ、前任は天国に入り、悪人は地獄に落とされる。そこで問題となるのが「善行」ということだ。マタイ伝の第25章では6つの善行があげられている。カトリック教は基本的に貧者に対する喜捨を善行の筆頭にあげている。善行とは、いわば古代的な互酬関係の回路が、彼岸での救いを媒介として変更されるために手続きということになる。イエスはルカ伝第14章12~14節で、次のようにいっている。
「午餐または晩餐の席を設けるばあいには、友人、兄弟、親族、金持ちの隣人は呼ばぬがよい。おそらく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼をうけることになるから。むしろ宴会を催すばあいには、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。そうすれば彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう」
お返しはこの世ではなく、天国で受けとるという形に回路を変更したものとみることができる。こうした善行を、教会への財産の寄進という形になり、教会はその一部を貧民の救済や慈善活動にあて、大部分を教会の建設に使うということになる。こうして、強大な大寺院が建立され、中世教会文化の中心に立つことになる。この根源的なエネルギーは、生と死の考え方の変化にあった。
ヨーロッパ中世の社会史の開拓者である著者の思考の軌跡を記したもの。
指導教官は上原専禄。卒業論文に何を書くかについて、上原専禄が阿部にいった言葉-「それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」。
そこから、本書のに示された「自分のなかに歴史をよむ」ことがはじまり、「歴史のなかに自分につながる人々を探す」旅が始まる。
もうひとつ、阿部が強調するのは、「解る」ということ。だから、「ヨーロッパが解るということはどういうことか」を執拗に問題にする。キリスト教がヨーロッパの人間関係を根底から変えたのだが、しかし、ヨーロッパ社会の根底にはそれとはちがう異教徒的、ゲルマン的人生観や世界観もなお存在した。異教世界とキリスト教世界の境界に存在する「ハーメルンの笛吹き男」を発見し、それを通じて二つの世界の意味、現代にまで貫徹するその歴史的意味を検討したのである。
古文書を読むということ、小宇宙と大宇宙、差別される人たち(被差別民)、キリスト教化の波、メルヘンの世界などなど興味深いことが多い。
障害児教育史との関係で、キリスト教化の波として、巨大寺院と都市のことについてだけ摘記しておきたい(ベルギーのリューベンやブリュッセルにいった時感じたこともあってのことだが…)
キリスト教の浸透の中で、生と死についての考え方が変わっていく。それまでは、小宇宙から大宇宙への移行に過ぎなかったものが、大宇宙と小宇宙の区別が原理的に否定された。キリスト教では、死は生の延長にあるのではなく、生前に行った善行と悪行が計られ、前任は天国に入り、悪人は地獄に落とされる。そこで問題となるのが「善行」ということだ。マタイ伝の第25章では6つの善行があげられている。カトリック教は基本的に貧者に対する喜捨を善行の筆頭にあげている。善行とは、いわば古代的な互酬関係の回路が、彼岸での救いを媒介として変更されるために手続きということになる。イエスはルカ伝第14章12~14節で、次のようにいっている。
「午餐または晩餐の席を設けるばあいには、友人、兄弟、親族、金持ちの隣人は呼ばぬがよい。おそらく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼をうけることになるから。むしろ宴会を催すばあいには、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。そうすれば彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう」
お返しはこの世ではなく、天国で受けとるという形に回路を変更したものとみることができる。こうした善行を、教会への財産の寄進という形になり、教会はその一部を貧民の救済や慈善活動にあて、大部分を教会の建設に使うということになる。こうして、強大な大寺院が建立され、中世教会文化の中心に立つことになる。この根源的なエネルギーは、生と死の考え方の変化にあった。