ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

ついてない1日

2007年02月27日 22時47分04秒 | その他
ついてないことが多かった。
トイレが詰まってしまうし、研究室のイスのネジがとれて、ネジ穴がバカになってしまって修復できないし、メールを間違ったところに出してしまったり、添付を忘れたり…。

11時半から、特別専攻科の修了論文の発表会。サンドウィッチも出されて、ランチをとりながら聞く。時間厳守で進行がなされ、こたえている途中でも、時間が来ると「チン」とベルが鳴らされて、質疑は打ち切られてしまう。ちょっと機械的。3時半頃に終わり、その後、5時頃から「謝恩会」(恩をうったおぼえはないが)。二次会でカラオケ(歌ったのは「圭子の夢は夜開く」)。それでも、帰ったら、10時と意外と早かった。現職の先生の男連中とG先生は、奈良に泊まるとのこと。

京都新聞07年2月24日付より

2007年02月25日 01時19分58秒 | その他
京都新聞2月24日版より
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全特別支援学校に専門教員配置へ
京都府教委が新年度から
 京都府教委は来年度、京都市を除く府内の養護学校と盲・聾(ろう)学校が「特別支援学校」に一本化されるのを機に、地域の小、中学校の教員や保護者の相談に応じる専門の教員「地域支援コーディネーター」を全10校に1-3人ずつ配置する。特別支援教育のノウハウを持つ養護学校にセンター的機能を担わせ、地域の学校に在籍する学習障害(LD)などの児童、生徒への支援を充実させる。府教委は25人程度の教員を置く考えで「愛知など2県が各校に1人配置しているが、府県レベルでは異例の規模」(特別支援教育課)という。

 盲・聾・養護学校に在籍する子どもたちの障害が重度化・重複化し、特別な教育的支援を必要とするLD、注意欠陥多動性障害(ADHD)、高機能自閉症の児童、生徒が小、中学校に約6%の割合で存在する現状などを踏まえ、国は学校教育法を改正し、4月から養護学校などを障害種別を超えた特別支援学校に一本化する。加えて、地域の小、中学校で学ぶLDなどの児童、生徒の支援も担わせる。

 府教委は2003年度から養護学校ごとに医師や臨床心理士、教員らでつくる相談支援チームを編成し、地域の小、中学校の教員や保護者の相談に応じている。年々、相談件数が増えており、幼稚園、高校からも支援を求められるなど「タイムリーに対処できる体制整備が急務」(同課)として、専門の教員を配置することを決めた。

 4月から府立養護学校8校と盲・聾学校の全10校に各1-3人の教員を地域支援コーディネーターとして置く。自ら相談に応じるほか、ケースによっては専門家も派遣する。

 京都市教委は市立養護学校を障害種別を超えた総合養護学校に再編した04年度から、各校に置いた「支援部」を通じて近隣の小、中学校の相談に取り組んでいる。

1日寝る…

2007年02月24日 23時41分23秒 | その他
1日寝る。
笑いが、免疫力を高めるということで、お笑いのDVDを見る。
「笑うとお仕置きをされる」というもの。結構笑えた…。


『土割の刻-田中昌人の研究を引き継ぐ』(クリエイツかもがわ)が送られてきた。Sさん夫婦の原稿がなかったのは、ある種の想いがあるのだと思うが残念だ。田中先生の呪縛とでもいうような…。それは、僕にもあるのだが…。もう、気にしなくてもいいと思うのだが…。それより、発達保障論への誤解や偏見、悪意からの批判もあるので、それをより発展させていくことに集団的努力を行っていくことが大事ではないかと思う。そもそも、発達保障論を完成した理論と考えるのではなく、形成過程の論だと考える必要がある。それを、「発達保障論とはなにか」といったようなテーマでしゃべることによって、閉じられたものとしてはいないかと自問したい。

花粉症…

2007年02月23日 23時18分35秒 | その他
今週くらいから、花粉症がひどくなってきた。
目がシパシパする。今日はひどくくしゃみも出た。なぜか顔もほてっているような気もする。例年よりも早いのは、暖冬のため?
いつも、3月から4月のはじめは最悪。良い季節なのに…。
年度末のストレスもあってか、身体も弱っているのか…。

『特別ニーズ教育』の原稿の校正-ランチを食べながら、その飯粒で封筒の口をのり付けする。大学で、出張届けや本の購入の手続きをする。少々、障害者権利条約の審議過程の翻訳に手を出す。翻訳をしていると血圧が上がって、調子が悪くなったのですぐ止める。

一日休む

2007年02月12日 21時56分58秒 | その他
世の中は、10日、11日、12日と3連休。
この間、10日には、大学院入試と大学院修士論文の口頭諮問。11日は特別専攻科入試と卒業論文の口頭諮問。今日は、特別支援教育研究センターのプレイルームの改修工事のため大学での仕事はなし。ようやく、1日やすむ。
それでも、午前中に、K教育大学のレポートの採点をする。教育実践や教育の体験をマンガに書かせるという課題で、なかなか力作もありおもしろかった。やはり、障害のある子どもたちなどとの関わりがある方が書きやすかったようで、1回生のものはいまひとつだった。
昼からは、寝る。夕食をとってからも、寝る。寝る、寝る、寝る…。
この1週間、オーストラリアでいろいろやりたいと思っていたことが、日本での多忙な現実の中で、どんどん幻想にかわっていくように感じる。やはり、きちんと休みをとって、やりたいことをやりたい。

筆子その愛、整肢園分校の懇談会

2007年02月08日 23時08分56秒 | 映画
生駒での「筆子その愛」上映会にいく。近鉄生駒駅には、帝塚山大学のGPのシンポジュームのポスターがあって、うちの大学のG先生もシンポジストとなっていた。

映画にはF先生、O先生も来ておられた。O先生と帰りがてらちょっと話をした。

イタールからセガンへ、そして「白痴の生理的方法」と石井亮一・筆子とのつながりをたどる必要があると思った。

その後、N養護学校S分校小学部の進路懇談会で1時間ほど話す。育児の比較文化、子どもの自立と親の関与の相違、「だからこぶたちゃん」「3びきのかわいいおおかみ」などのいろんな絵本など大人も楽しめる文化があること、肢体不自由や障害が重くても、親も楽しめて、いろいろ工夫できる子育てを期待したいなどなど。

その後、飛火野を通って、ふらふら歩いて大学へ帰った。

Macquarie University

2007年02月02日 21時23分07秒 | その他
Macquarie Universityのinstitute of early childhood educationにいって懇談。約束の時間を15分くらいおくれて到着。特に、early childhood special educationのスタッフの人たちを中心に日本の制度を紹介したり、いろんなこちらの事情を聞かせてもらったりしました。0歳から8歳までをフォローしていて、25人以上のスタッフを持つセンターは幼年教師を雇用しなければならないということで、その養成をしてるということでした。
NSWの中心シドニーではやはり自閉症に関心がいっているようでした。様々な人がいろんな議論をしているようです。ADHDやダウンの親の会もいろんなプログラムを行っているようで、活発な様子がうかがわれました。
ただ、聞くところによると、教育学部と特殊教育センターが対立していて(ビッグ・ディボースといっていました)、本当は、特殊教育センターに行きたかったのですが、その話はできずでした。
どこでも、大学への予算を削減してくるので、内部での対立が引き起こされているようです。

自閉症児への巡回アドバイザリー教師

2007年02月01日 21時36分56秒 | その他
こちらはとても暑い日でした。
汗びっしょりになっています。

昨日のQUTでの話をもう少し記録しておきたい。
以前あったRUTHさんのところ。
学習困難支援教師の養成を聞きたいと思っていたのですが、それは、もう大部分がクローズされているとのこと、州政府の教育への予算が少ないこと、ハワード保守党政権がうるさい大学には金をやらないという政策をとっているためらしい。

そのかわり、Advisory Visiting Teacher for Autism Children(自閉症児ための巡回援助教師)の養成をはじめているとのこと。
LDよりも、やはり自閉症となると難しいと言うことで担任の教師へのアドバイスや支援直接的な学校を訪問しての対応などをしているとのこと。
しかし、アドバイザリー巡回教師の訪問や指導時間の制約があって密度のこい指導をどのように展開するかは課題みたいです。
もちろん、そのほか、通常の学校から自閉症のセンターにいくアドバイスもある。
知的障害を伴う自閉症の子どもは、Special Developmental Schoolに行くそうです。

インクルーシブ教育ということだが、自閉症の子どもへの対応は別格ということらしい。でも、あまり指導がうまくいっているわけではないようです。自閉症の本は、教育のところにはなくって、心理学のところです。アメリカの本がいろいろ並んでいます。

夕方、ジュリアさん宅でパーティ(卒業と就職祝い)。クィーンズランド州の教育省に勤める方(第2言語の日本語担当)から、カリキュラムの大幅改正の中にあることが紹介された(第2言語は必修から選択に格下げされるようで、英語の読み書きが重視されるという)。イギリスのサッチャー政権がナショナルカリキュラムを導入したときのような感じがする)。その渦中に、インクルーシブ教育がある(すべての人に教育をということだが、障害のある人はほんの一握り。多くは別のところに費用が行く仕組みのようだ)。