ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

出久根達郎『逢わばや 見ばや(完結編)』(講談社文庫)

2016年02月28日 11時05分22秒 | 
古本屋独立以後の日々を綴ったもの。自伝的長編小説というが、短い文章の連続もの(これは、前編のときにも書いた)。

あとがきに、「書名について」とあり、興味深い。

「逢わばや 見ばや」というタイトルは、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』の、次の歌から借りた。
「恋ひしとよ君恋しひとよゆかしとよ、逢わばや見ばや見ばや見えばや」

この歌の解釈岩波書店の『新日本古典文学大系』第56の梁塵秘抄では、宴席で遊女が歌うこの歌は今感じる以上に情熱的肉感的なものであるとのこと。
この古本屋作家は、そのようなことを知っていて、あえて知らぬ事として表題にするようなところがあるのだろう。

ドン・ガバチョ主義

2016年02月22日 23時55分34秒 | 
武井博『泣くのはいやだ、笑っちゃおう 「ひょうだん島」航海記』(アルテスパブリッシング、2015)
一つだけ浮かんだ言葉 「まるい地球の水平線」

ガバチョ大統領の歌う「人生ソング」である「明日を信じる唄」

今日がダメなら あしたにしましょ
あしたがだめなら あさってにしましょ
あさってがだめなら しあさってにしましょ
どこまでいっても明日がある ホイ
チョイチョイチョーイのドン・ガバチョ ホイ

楽観主義者の「ドン・ガバチョ主義」

奈良障害フォーラムあいさつ

2016年02月22日 23時20分03秒 | その他
奈良障害フォーラム(2016年2月21日)

奈良障害フォーラムにおあつまりのみなさま、お忙しいところ、おいでいただきありがとうございます。

ふりかえてみますと、東日本大震災直後の2011年3月19日、「障がい者制度の改革を推進する地域フォーラム・奈良」として開催され、それからはや5年目となりました。はじめての地域フォーラムは、当時障害者総合福祉部会委員だった荒井知事にも来ていただき、奈良教育大学講堂でシンポジュームを開催し、深めたことを今思い起こしています。
それ以後、毎年、こういった形のフォーラムの場を設定し、組織としての奈良障害フォーラム準備会を経て、ようやく障害者権利条約批准1年目の昨年1月に奈良障害フォーラムが正式に発足しました。NDF結成総会では、障害者権利条約の批准の2年後に、国連障害者権利委員会に、政府報告が出されることになること、奈良の障害のある人の現状と声を集約していこうと話し合いました。
それから1年たち、政府の報告がすでに準備され、先日、パブリックコメントがありました。日本障害フォーラムは、総括的に次のようなコメントしています。

全体にわたって日本の法制度や実施した事業の紹介で終わっており、権利委員会のガイドラインが求めている内容とは程遠いものとなっています。ガイドラインは、その国の障害者の生活状況がわかるように、達成できたことと達成できてないことを「正直に」報告することを求めています。達成できていないことは率直に取り組むべき課題として明記すべきです。

報告自体は、条約の条項に即して、政府がやってきたものを概括的に記述されています。これもあれもやりましたというようなものです、省庁別の施策の羅列の印象が強いのですが、細かい施策に目がうばわれてしまい、全体の問題、障害者のある人達の権利がどのように保障されているか、権利条約の趣旨に即してどのように拡げていく課題があるのかが抜け落ちてしまいます。権利の総合保障の観点が重要です。

そのためにも、こまぎれではなく、障害のある人のまるごとの生きることをトータルに捉える事が必要です。障害も多様です、当事者、家族や関係者の方々、施設や事業所の関係者の方々、広く県民が手をつなぎ合っていくことが本当に重要な課題だと考えています。

あと、1ヶ月後には、障害者差別解消法が施行されることになっています。合理的配慮の提供なども含めて、関係者が理解し合い、合意しあって、障害のある人にとって豊かな奈良にしていくきっかけを作っていただきたいと思います。

本日は、障害者団体の皆さん、奈良県の行政に携わる方々、議員の皆さん、多くの方々に来ていただいています。いろいろな立場に人たちが、広場をつくりながら、障害のある人達のくらしのなかみを作るための議論を深めていただきたいと思います。

その基本的な視点を、障害者政策委員会の委員でもある、竹下義樹弁護士にお話しいただくことになっています。よろしくおねがいいたします。フォーラムで議論していただき、その後、奈良障害フォーラムの総会とさせていただきます。半日ですが、よろしくおねがいいたします。

竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)

2016年02月14日 11時42分25秒 | 
いまの学生さんたちの行動原理が分からない。そもそも、大学が変化しきった-自分としても腑に落ちないことが多い。
講義が成り立たない、崩れる現状の中、参加型やアクティブラーニングがもてはやされる。

竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)は、大学を中心とした文化の変容をコンパクトにまとめている。
「一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。」
「人格形成」「社会」などは中軸となる概念だった。それが、「なに?」ということになったし、そもそも「読書で人格形成って?」「そんなに難しい本をなぜ読むの?」
そんな無邪気な問いが浴びせられるのである。
筆者は歴史社会学者であり、社会学的接近を行っているのだが、このような内容を思想として深めればもうすこし違ったものになるのかもしれない。

丸山真男、高橋克己、大江健三郎、石原慎太郎、岩波茂雄と岩波書店、吉本明、ビートたけしなどの言説が歴史に位置づけられている。

文化の分かち伝えの媒体が変化している。もう、本や読書ではないのだろう。そういえば、むかし、岩波から出されている論文であると云うことだけで、中央学会誌として権威を持った。もうそんな、論文の時代ではなくなってしまった。なをもって、業績というのか、文化の創造や蓄積というのか?

唐突に(しかし、筆者にとっては必然的に)前尾繁三郎がとりあげられ、その「大事なのは何を為さざるかであり、おこなわざるも勇だ」とのことばが紹介されているのが印象的である。

この本前に一回読んだことがあるかもしれない。読んでないかもしれない。
ぼけてしまった。

森博嗣『小説家という職業』集英社新書

2016年02月11日 12時02分21秒 | 
月曜日、愛・地球博校園の近くにある大学にいった。
その間、森博嗣『小説家という職業』(集英社新書)を読み終わる。
とにかく書くとのこと、合理主義者で文人型のひとではない。ちなみに、愛知の大学では、とにかく頭の回転の速い方とご一緒させていただいた。
不必要なことは云わないし、論理的に話をはこばれる方だった。
どうも、森博嗣氏とか、頭の回転の速い方とは、違った特性である-いわゆる「浪花節」で、なにをいっているのかわからんということ!

土日と休みなしだったので、今日、やすんでいる。

森博嗣『作家の収支』幻冬舎新書、2015年

2016年02月02日 12時46分42秒 | 
世の中、金である-森博嗣『作家の収支』(幻冬舎新書、2015年)を読む。

38歳の時に国立大学の工学部助教授で、「すべてがFになる」でデビュー。大学の教員の手取り45万(これは、ボーナスも入れた平均値と思われる)、そこから印税が。その総収入が15億とのこと。
いまは、大学もやめ、作家もリタイヤ?とのこと。理系らしい正直な内容で、読みやすい文章でかかれている。仕事で書いているという感覚、仕事に生きがいを求めない、ビジネスとの割り切りも理系らしい。「人の心は人を裏切るが、金は裏切らない」との名言も…。

仕事に「やり甲斐」を求めたり、「憧れの職業」などといった幻想をもったりする若者が多い。…実社会にそんなものは存在しない。幻想なのである。

ドライというか、淡々としているというか…

浪花節の自分と比べてみてしまう。
しかし、この人、1957年生まれなので、1つ下。もう数え年で還暦とかいてある。
ということは、おれは、昨年還暦だったのか!