ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

『翻訳と日本の近代』(岩波新書)

2008年01月29日 14時01分24秒 | 
「障害のある人の権利条約」の訳を検討しているので、訳語の問題、翻訳の姿勢、それを支える思想などが気になる。そん問題意識から、丸山真男と加藤周一の対談というか、加藤が問うて、丸山がしゃべるという『翻訳と日本の近代』(岩波新書、1998年)を読む。

これは、率直に言って、対話の形式になっていることと、その対話する両者の教養の高さが障壁となってついていけなかった。

明治期初期の前後、大量の洋書が翻訳されたのだが、その社会と文化への影響は大なるものがあった。その翻訳は、何を、どのように訳したのか、そして、その訳が可能となった条件は何であり、その功罪はどのようなものかを問い、語ったもの。
まずは、その対談の前提となり、その成果であった『翻訳の思想』(岩波書店、1991年)を読まなければならない。

あとがきで、加藤が書いているが、翻訳の問題は、日本の近代化と切り離しては考えられないこと、同時に、短時間に、文化のあらゆる領域において洗練された翻訳をなしとげるための前提となる言語的手段と知的能力はどのようなものだったのかが示されなければならない。後者については、江戸時代の儒家の思想までたちいっている。荻生徂徠の「公」と「私t」の区分論などは興味深い。そもそも、江戸時代の儒学にしても、中国語の翻訳であり、中国語そのものではなかったということも指摘されている。訳の問題としても、「一人」「数人」「大勢」「すべて」の区別を日本語はしないが、しかし、欧米の言語はその区別をする。それと因果関係のところなど。そんなところは、どのように訳されているか、また、訳語はどうか、どんな造語をつくったか(この辺のところは、石田雄が「自由」の翻訳を調べて、書いているようだ)。

『素粒子の世界を拓く-湯川秀樹・朝永振一郎の人と時代』

2008年01月28日 13時21分05秒 | 
湯川・朝永生誕百周年企画展委員会編『素粒子の世界を拓く-湯川秀樹・朝永振一郎の人と時代』(京都大学学術出版会、2006年)を読む。
物理学のことは解らないから、それは読み飛ばし、人となり、研究の方法、時代との関係、平和運動などの晩年の社会活動などを興味深く読むことができた。本のつくりで、章が短いのも読みやすさに結びついているのだろう。湯川の中間子論というのは、ようするに原子核の陽子と中性子の間に働く力を、中間子をやりとりすることで生まれるものとして説明したもののようである。コミュニケーションでの言葉のやりとりによって親密な力が相互に発生するようなことにも通じるような気がしておもしろかった。

もしかしたら、物理の人たちは、文章を複雑に書かずに、シンプルことをよしとしているのかもしれない。もともと、湯川・朝永生誕百周年企画展の内容があり、展示ものをベースにした本作りということからかもしれない。

それはともかく、湯川も、朝永もどちらかというと一人で理論を構築していったように見受けられる(もちろん、最新の物理学の欧米文献をもとにしてだが)。その研究の気風には、欧米のようなディスカッションということが少ないような気がする。もともと、湯川は、漢籍の文献の素読などに通じているので、そういった特徴があるのかもしれないし、朝永は学生時代病弱だったということから来ているのかもしれない(戦後の学長時代や科学技術政策の推進をしていった時期はちょっとちがうかもしれないが)。ボーアのように、寝ても覚めてもしゃべって、議論して、研究を進めていくという動的な姿とは対比的な静的な姿があるように思える。

欧米の言語が、しゃべり言葉を基礎としているのに対して、日本語が書き言葉を基礎としているという違いかもしれない。

茂木俊彦『障害児教育を考える』を読む

2008年01月22日 13時17分50秒 | 
茂木俊彦『障害児教育を考える』(岩波新書)を読む。
以前の『障害児と教育』(岩波新書)は、1990年に出されたもので、2年前に1回生のゼミで使ったが、その時点で、もう古くなっていた。新しい情勢を踏まえて入門的なものとして書かれたものが、この『障害児教育を考える』である。
内容的にはオーソドックスで、そつなくまとめられているという印象が強い(その意味で、インパクトが無いようにも感じられる)。逆に、障害児教育の最前線を新書で書くとしたら、どういう内容となるのだろうかと考えた。
「インクルーシブ教育」のところで、「障害者権利条約」の教育条項が紹介されているが、「合理的配慮(これは、個人の特別なニーズに対応する特別なケアのことである)」とされていて、半分はまちがっていないが、半分はまちがっている表現があったことが気になった(「合理的配慮」は「特別なケア」とはイコールではない)。また、障害児教育を考えているにもかかわらず、障害以外の要因による特別なニーズを持つ子どもへ傾斜をかけた記述も、焦点がぼける印象を受けた。

東京都立梅ヶ丘病院の統廃合

2008年01月18日 23時57分52秒 | 生活教育
発達障害の診療で有名な、東京都立梅ヶ丘病院が統合され、廃止されるという。

国内で最大規模の児童・思春期精神疾患の専門病院・東京都立梅ヶ丘病院を、東京都は、新設する小児総合医療センター(仮)に統合し、廃止する方針。
梅ヶ丘病院は、発達障害の病院として有名。外来だけでなく、入院もできる。入院する小中学生は、都立青鳥養護学校分教室で学習ができる。
発達障害への対応が掲げられながら、どうして、これまでの蓄積をちゃらにしようとするのだろうか? 石原が知事になっている東京都だからか?
新しい取り組みを行う際のスクラップアンドビルドの方式-この国のやり方はよくわからない。

だいすき!!(新番組)

2008年01月17日 23時44分55秒 | 映画
新番組「だいすき!!」がはじまった。知的障害の女性の子育ての物語。


2005年3月から「BE・LOVE」 (講談社刊) でスタートし、現在も連載中の 『だいすき !! ゆずの子育て日記』 が原作。主人公、福原柚子は軽度の知的障害がある23歳。柚子は、子供のような純粋さで恋に落ち、結ばれ、妊娠。やがて母親になり、そのひたむきな気持ちを母親や支援者は必死にサポートする。

けれど柚子を待っていたのは、想像よりはるかに辛く厳しい道だった。
“母親” であることが難しいのは誰でも同じ。みんな不安な初心者なのだ。
幼児虐待事件や家族の間で起こる悲しい事件が後を絶たない今だからこそ、懸命に悩んだり笑ったりしながら、 “母親” になっていく柚子を通して「子供を生んだから母親になる」のではなく、「子供と成長することで母親になっていく」姿を感じて欲しい。
子どもにとって一番必要なのは愛情ではないだろうか。
どんなトラブルにもへこたれず、我が子の幸せだけを願い、誰にも負けない「だいすき!」という感情でまっすぐに子供を愛しぬく柚子。
この物語は、そんな柚子の子育て感動奮闘記だ。
主人公・柚子には香里奈。ドラマ初主演でこの難役に挑戦する。
愛情一杯で柚子を包む母に女優デビュー30周年の岸本加世子、柚子を支える人々を平岡祐太、福田沙紀、紺野まひる、余貴美子が演ずる。

人物で語る物理入門

2008年01月17日 22時56分07秒 | 
米沢富美子『人物で語る物理入門(下)』(岩波新書)を読む。
現代の物理学を創ってきた巨人の業績をコンパクトにまとめて、興味深いエピソードも入れて述べられていて、面白かった。下巻から読んだが、20世紀の物理学の飛躍的な進歩を、一般相対性理論、量子論、宇宙論、物性、クォーク、複雑系などを取り上げている。原子核物理学を築いた女性達ということで、キュリーとマイトナーをとりあげたり、湯川秀樹と朝永振一郎をとりあげ日本の物理学の揺籃期をつくった人たちも取り上げている。物理学の説明はわからないことがたくさんあったが、人物で綴る物理学として読みやすいものである。
女性研究者らしく、女性の視点から辛口のコメントなどもあり、興味深い(アインシュタインの不倫やノーベル賞の賞金を慰謝料とした離婚のことなど)。また、語り口も、女性らしい(「~ですね」などの表現が時折出てくる)。
個人的には、ボーアとその「コペンハーゲン精神」による研究所運営が興味深かった。対等でつきない議論、それを保障するところなど。
それでも、本格的な研究は、20代から30代の若い頃に成果をあげていることが驚異である。「神が降りる」というか、いつでも物理のことを考えているような、寝ても覚めても一つの問題を考えて、議論しているというようなところがあって、そうでないと、研究などはできないものなのだろう。
ところで、著者の米沢富美子はあとがきの中で、「本書に登場した人物は一人残らず、私のすぐ傍らまで来て、生き生きとした声を聞かせてくれました。…そういう半ばトランス状態の空気が、執筆中ずっと私を包んでいました」と書いている。また、「物理より面白いものはないという気がしています。こんな好きになれるものに人生でめぐり合えたのは、この上もない幸せ」とも書いている。米沢さんも、物理人生なのだなあと思う。

あわせて、「対生成」「対称性」などの概念が、つかわれていることも興味深い。ガンマ線が、電子と陽電子をつくりだす「対生成」の過程があること、そして、オッペンハイマーによる「対生成」の正しい記述が始められた(1933年)などなど。これは、田中昌人先生の発達の法則性の研究でも未成熟ながら援用されて、使用されたものだった。

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

2008年01月15日 23時03分03秒 | 
戸井十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!!」』(小学館、2007年)を読む。

芸能界を生き抜いた人物の評伝。歴史研究をやっている人は、こういう本もよんでほしい。でも、若い人にはその存在感を実感できないかもしれない。50代以上の人の本かもしれない…。



小学館HPでの紹介-稀代のエンターテイナー初の本格的評伝

戦後ニッポンを元気にした稀代のエンターテイナーの「ラスト・インタビュー」。「無責任男」の素顔は、凛として、誠実で、優しかった―。寺の息子として育てられた幼少期の思い出や、徹底して「支離滅裂」だった父・徹誠への尊敬と相克、クレージーキャッツに参加した経緯から「スーダラ節」誕生秘話、寝るヒマもないほど忙しかった映画や舞台での珠玉のエピソード、さらに80歳を迎えた最晩年の「役者・植木等」の気概と豊かな人生観までが明かされる。そのほか、谷啓や小松政夫など、植木と親しかった人々の特別インタビューも併録。本書は、植木等の初めての本格的評伝であると同時に、戦後芸能史の貴重なオーラル・ヒストリーでもある。

カシオペアの丘で(下)

2008年01月12日 01時38分20秒 | 
重松清の「カシオペアの丘で(下)」を読み終わった。
封印していた過去にどう向き合うかを考えさせられ、いろいろ思うところがあった。


11日、海上自衛隊によるインド洋での給油活動を再開する新テロ特別措置法が、参議院で否決され、その後、衆議院本会での再議決が強行され、成立した。戦争をしているアメリカ軍への海上自衛隊の支援は、戦争行為であり、そうした憲法違反の活動に巨額の資金を提供し、その一方で社会保障、高等教育への財政削減を進める政策のあり方について、怒りを感じざるを得ない。

『発達障害と子どもたち』を読む

2008年01月04日 22時00分40秒 | 絵本
山崎晃資『発達障害と子どもたち-アスペルガー症候群、自閉症、そしてボーダーラインチャイルド』(講談社+α新書、2005年5月)を読む。2年前の本なのだが、ずいぶん2年間で進展があったので、内容的に古いように感じる。自閉症とアスペルガーの違いや区別を論じたり、自閉症とADHDの診断の問題、明確に虐待などの問題を明示してなかったり、ボーダーライン・チャイルドなども曖昧であったりなどなど…。でも、サイエンスを強調するのではなく、なによりも子どものことを第一おき、断定せずに地道に臨床を行うという姿勢には共感を覚える。それは、著者が、児童精神医学だけではなく、東海大学附属の中学校・高等学校の校長をやった経験からなのかもしれない。

あとがきに、自閉症との出会いが書いてあって興味深い。それによると、1960年代半ば頃の、北大付属病院の精神科病棟での女児との出会いだったようである。「わたしたちはなすすべもなく、母子虚しく田舎へ帰っていった」とされている。そのころから、多くの自閉症児が外来を訪れるようになる、「昭和42年、北大教育学部の仲間の協力を得て、老朽化した北大幼稚園を期限付きで借りて、今で言うデイケアを始めました。五里霧中の毎日でした。従来のカウンセリングやプレイ・セラピー、当時、日本に挿入された行動療法にも限界がありました。私たちの療育指導は大きな暗唱に乗り上げていました」とある。
自閉症療育史としてみると興味深い。北海道大学に付属幼稚園があったことも興味深い…。

ついでに、興味深かったのが、ドイツの精神科医のハインリッヒ・ホフマンの絵本が紹介されていることである。紹介は以下のようなもの。

AD/HDの子どもの様子が世界で最初に公表されたのは『もじゃもじゃペーター』という絵本だと思います。ドイツの精神科医ハインリッヒ・ホフマンがかいたものです。その絵本のなかのひとつ、「じたばたフリップのお話」は、AD/HDの子とその母親の心理がよく表現sれています。父親が「フィリップや、今日はおとなしく食事ができるかな」という場面がありますが、父親の隣で、母親がジロッとフィリップをにらんでいます。この表情は、AD/HDの子どもに手をやき、うんざりしている心理状態をよくあらわしています。

この『もじゃもじゃペーター』の表紙は髪の毛はもじゃもじゃで爪も長くのばしている姿で、アスペルガー症候群を思わせるもの…。さっそく、生協に注文した。