ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

小沼通二編『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』(京都新聞出版センター、2020年9月)

2021年01月25日 16時13分35秒 | 

小沼通二編『湯川秀樹日記1945 京都で記した戦中戦後』は興味深かった。

湯川秀樹の戦中の京都での記録である。京都を中心とした障害児教育史をたどっているが、戦中戦後の京都のあり様を全般として知りたいと思っていた。田村一二関係では、「新型爆弾」という表現ではなく「原子爆弾」という表現がいつくらいから一般化されたのか、大雅堂という出版社の戦中戦後の動向やGHQの出版言論統制のことが気になっていた。解説で「占領軍の言論統制」について詳細に検閲・削除の方法が示されている(p.216-)。湯川の出版物も修正があったこと、敗戦後1年での心境の変化ともども変化を対照していた。京都大学での終戦終結直後の書類焼却についての記録と解明も重要だと思う。

また、京都の馬町空襲のことや京都帝国大学でのF研究(これは、2020年8月15日に放送されたNHK特集ドラマ「太陽の子」のモチーフとなっもの、その一か月ほど前に自死した三浦春馬も出演していた)、そして広島原爆投下後の調査、京都学派と呼ばれた哲学者との交流などについても記述があることでも、貴重なものだと思った。

小沼通二の「解説」がおもしろい。ほかの記録などと対照させて「湯川秀樹日記」に記述された事実を読み解き、その背景を説明して見せている。日記は事実を記述しているが、湯川の心情は和歌になっている。それが解説の終盤におかれている。

末弟の戦死の方をきく:「弟はすでにこの世になき人とふたとせをへて今きかんとは」など8首 P.247

原子雲:「天地のわかれし時になりしとふ原子ふたたび砕けちる今」など3首

核兵器禁止条約が発効したことは先に書いたが、湯川の「今よりは世界一つにとことはに平和を守るほかに道なし」という和歌をそえ、小沼が最後に記した、「個人・家庭・社会・国家・世界系列の中から国家だけを取り出して、これに唯一絶対の権威を認めたこと」が誤りだったとして、国家の絶対性と決別したのだった(p.249)とのことばを結びとしておく。

本に付箋を付けたが、この本は図書館から借りたもの。

小沼の解説は以下の内容

1.はじめに 湯川のあゆみ/日記

2.当時の情勢 広がる世界大戦/枢軸国の敗色/幸福の選択肢がない全滅と自決/日本空襲 被災者の戦後 飢餓/京都の馬町空襲/広島・長崎の報道/戦争終結直後の書類焼却/占領軍の言論統制

3.湯川の行動と思索 京都大学と東京大学で/旅行/原子爆弾開発を目指した海軍のF研究への参加/熱戦吸着爆弾開発と湯川の視察/占領軍の軍事研究調査/吉井勇との交友/哲学者たちとの交流/湯川の思索/ヒューマニスト湯川の形成

京都新聞での報道について、記者の峰政博が経緯を書いている。

 

 


核兵器禁止条約の発効と湯川秀樹日記

2021年01月22日 23時30分42秒 | 

今日、2021年1月22日は、核兵器の開発や保有、使用などを全面的に禁止する核兵器禁止条約が、批准した50カ国・地域で発効した日となった。

『湯川秀樹日記1945』の解説を興味深く読んでいる。広島の原爆が、当時どのように報道されたかを新聞から拾っている。湯川が読んでいたのが朝日新聞で、1945年8月11日、「帝国、米に厳重抗議 原子爆弾は毒ガス以上の残虐」との見出しがあり、それ以後、朝日新聞は「新型爆弾」「新爆弾」「原子爆弾」の表現が混在するという。毎日新聞は、「原子爆弾」の表現は敗戦までは使わず。

興味深いのは京都新聞。1945年8月9日、「原子爆弾 的米英必死で研究」と記事があり、8月13日にも「原子爆弾 既に独ソ戦で応用」との記事ありで、「原子爆弾」の内容と表現があることである。

日本政府と軍部は「原子爆弾」の表現は敗戦まで使わず。だが、8月10日、広島での「陸海軍合同特殊爆弾研究会」にて「原子爆弾たりと認む」と10日中に、大本営に発送されているとのこと。この会議には、広島の調査をおこなった仁科・川勝らの物理学者が参加した。


竹中均『自閉症の時代』講談社現代新書、2020年5月(承前)

2021年01月16日 22時55分50秒 | 

竹中均『自閉症の時代』(講談社現代新書)。この新書は面白かった。イギリスのところ、スウィフトやニュートンなど、アメリのところなども。

とはいえ、学べたのは、第9章のPrimaryとPrimitiveのところ。フロイトの精神分析を論じて、PrimaryとPrimitiveを同一視すべきでないことを説く。Primaryは第一義は「最も重要な」といういいであり、一次的(一次過程)をいい、secondaryが二次的ということである。Primitiveは原始的・原初的なということであり意味は異なるという。その意味からすれば、初等教育はprimaryで最も重要な教育ということになる。これは、自然科学教育を説いた科学者ハックスレイの言にもある。初等教育を甘く見てはならないのだ。ちょっと、教育に脱線したが、このことだけは記しておきたい。

プロローグの「野生児」の「自閉症児」説はもともと「冷蔵庫マザー」の言説を強化した情緒説のブルーノ・ベッテルハイムがいっていたことだと記憶しているが・・・。いま、日本のアニメ界でも、「もののけ姫」から「おおかみこどもの雨と雪」、今年は「ポケットモンスターココ」もまた「ザルード」に育てられた「ココ」は狼に育てられた子どものアナロジーのようだ。いま「野生」が復活しているのも、このプライマリへの回帰ということかもしれない。

構成は次の通り。

プロローグ

第一章 自閉文化とは何か

伊藤若冲の反復/自閉文化という視点/空間と時間/反復/高精細/物との関係/ゲームとパラドクス

第二章 空間

ヘッドフォンと被影響性/キャロルとホームズ/ルドルフ二世の部屋/涼宮ハルヒの部屋/新海誠のセカイ/『コンビニ人間』の同居/時間の空間化

第三章 反復

常同行動/完璧な反復とデジタル/ウォーホルの缶詰/繰り返すサティの音楽/同じものを食べる/職人とリナックス

第四章 機械

機械と「弱い求心性統合」/機械とモノトラック/チューリングと機械/『コンビニ人間』と「世界の部品」 第五章 高精細・パラドクス・ゲーム 高精細/パラドクス/ゲームとパズル

第六章 奇人たちの英国

スウィフトの国々/キャベンディッシュの実験室/ニュートンの争い/W・B・イェイツと妖精/ラスヌジャンと証明/ウィトゲンシュタインの「奇抜な設定」/ヒュームの懐疑/大西洋を越えて

第七章 自閉症のアメリカ

ジェファーソンの二面性/メルビィルと表面/エジソンの失敗/ミニマルミュージックの静寂/ファンタジーとテクノロジーの出会い/村上春樹のゲームと「マシーン」/GAFAの実験

第八章 自閉症と近代

ルーティンと近代/言わんとバーとルビー/受動性と職人/物から人へ/建築と物語

第九章 PrimaryとPrimitive

PrimaryとPrimitiveのあいだ/「直接体験の原則」を生きる人々/一次性としての縄文/暴力性はどこで生じるか/二つの「モード」

エピローグ

「野生児」の野生/「おおかみこども」の二つの道

あとがき


宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』新潮新書、2019年

2021年01月12日 13時30分52秒 | 

一昨年話題になったのが本書、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』である。いまの3回生の人達が、2回生の終わりに読みたいと言っていたので買っていた。宮口さんには、以前の大学でコグトレの研修でお世話になったことがある。精神科医の中には文学畑の人が多いと思っていたが、このひとは違う。もともと、工学部出身で、その後、医学部にいって、精神科医となった。公立の精神病院から医療少年院の医官へ、それから大学に移ったということだった。もともとの出自が工学部ということもあるのか、わかりやすい文章を書く人だ、ねじれがない。精神科の医者のなかには、おもいっきり文学的な人もおったりするので、そのような人たちとは対照的だ。

要するに、軽度知的障害の逸脱行動、非行・犯罪を中心にその矯正プログラムから出発して、逸脱行動にいたる前に、コグニション(認知の前提)のところから訓練するという提案である。曰く

認知行動療法は「認知機能という能力に問題がないこと」を前提に考えられた手法です。認知機能に問題がある場合、効果ははっきりとは証明されていないのです。では認知機能に問題があるというのはどんな子どもたちか。それが発達障害や知的障害を持った子供たちなのです。つまり発達障害や知的障害を持った子どもたちには、認知行動療法がベースとなったプログラムは効果が期待できない可能性があるのです。でも実際に現場で困っているのは、そういった子どもたちなのです。(p.6)

要するに、軽度知的障害と境界知能の人達に焦点をあてて、教科学習とは異なった別の学習・訓練法の開発こそが課題なのである。端的に、いまの世の中は、IQ100ないと生活していくうえで困難が付きまとうとはっきり言ったりもする。また、「ほめる」ことが強調されていることに対してもはっきりと批判もしている。わかりやすいですね。1年間で、23刷となったのは、カズレーザー絶賛したこともあるかもしれないが、さらりとした語り口、でも問題をはっきりいうことでの読みやすさもあろう。深みや癖のようなものはないけど、学生さんや現場の先生にはちょうどいいかもしれない。

はじめに/第一章 「反省以前」の子どもたち/第二章 「僕はやさしい人間です」と答える殺人少年/第三章 非行少年に共通する特徴/第四章 気づかれない子どもたち/第五章 忘れられた人々/第六章 褒める教育だけでは問題は解決しない/第七章 ではどうすれば? 1日5分で日本を変える/おわりに

なお、宮口のきょうだいは、OTらしく、その教材は多く出されている。公文のプリントによく似ているかもしれないが、その使用の方法は、公文が勝手に一人でやっていくのに対して、人との関係を重視したプログラムになっている点が大きく違っているようだ。これらのプログラムと教材の研究をしてみないといけないが・・・、学生さんだれかやってみないか。ぼくらに商売は、このようなプログラムに付き合うこともその一つなのだが、もうそんな力は残っていない。

 

 


竹中均『「自閉症」の時代』講談社現代新書、2020年5月

2021年01月06日 17時29分42秒 | 

竹中均『「自閉症」の時代』を読んでいる。自閉症の歴史社会学のような感じで、読み物。この本については、読み終わってから、紹介することとして、その中に出てくるアメリカの小説家メルビルの話、その『捕鯨』について記しておきたい。

というのは、以前書いた、首藤瓜於のわけのわからない小説『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』の中にでてくるのも、捕鯨の話であり、その生き残りの語りであった。この首藤の小説の基礎をなしているのがメルビル『捕鯨』ではないか。とすると、その不思議な世界は、「自閉」文化の一種なのかもしれない。


『ちえおくれと歩く男』再読

2021年01月05日 18時00分41秒 | 田村一二

田村一二『ちえおくれと歩く男』柏樹社、一九七四年)を再読することとなった。というのは、その本が見当たらずにいたので、また、古本を買って、年末にそれが届いたからだ。再度みてみると、近江学園の初期の頃のエピソードとして「ガンジー自叙伝」についてのの田村の経験が回想されているではないか。

というわけで、昨年、書いたものの修正を新年そうそうすることになった。おおあわてである!

あたらめて読んでみるといくつ発見があったし、触発されて考えることもあった。しかし、それまた、いまはもう忘れている。そんなことだから、目次だけでも書いておこう。

序章 いのちを見つめて

ゴリラの眼/母なるもの/ちえおくれの子どもたち

Ⅰ章 鳴かされた艸虫(くさむし)

「オイ、タム」/赤面恐怖症-五は五なりの人生/アダ名作り-代用教員/絵の勉強

Ⅱ章 福祉の目ざめ

約束の二年間/掃除結婚/香山和尚/両刃漸撃-忘れられた子ら

Ⅲ章 本格的な取り組み

京都から滋賀へ/共に生きる-石山学園/二本立-近江学園Ⅰ/ガンジー自叙伝-近江学園Ⅱ

Ⅳ章 何のためでもない-この子らの教育

社会が施設へ復帰する/待つことの意義/教育と過程

Ⅴ章 人間愛について

福祉ということ/ふれあい/本音/神の恩寵

Ⅵ章 運命と生きがい

母と子の間/何故こういう子どもを授かったか/おばあちゃん/遺伝的記憶

Ⅶ章 福祉の時代をつくる

つながりということ/しあわせな家庭/日本列島の悲願

あとがき


首藤瓜於『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』講談社、2012年

2021年01月03日 10時55分41秒 | 

昨年読んだ『脳男Ⅱ』は、結局、自宅にあったので、二度読んだということになる。続けて図書館でかりたのが首藤瓜於『大幽霊烏賊 名探偵面鏡真澄』である。図書館でちょっと読みをすると、呉秀三らしき人が、年老いて病院の院長をやっている精神科病院の昔の話。妄想が広がり、そして、何が何だかわからない状況が続いていく。捕鯨の話が長く続いて、「大幽霊烏賊」の妄想が延々と続いたり、最後には、急速に話が展開して、とんでもない結末にいたる。

この小説、出てくる人の名前が読めない。呉秀三らしき人、精神病院がでてくるし、そして、どうもこの作者が「自閉症」やら精神疾患についてテーマとして小説を書いているということだけで、読まされている。だいぶ時間がかかった。全574頁。

字面をおっているだけ・・・。これからの読書はそんなことなんやろなとおもう新年。