朝刊の京都シネマの上映スケジュールでみると、『春画と日本人』が10月10日まで(つまり今日まで)とのこと。朝にクリニックで腹部の検査があったが、その後、京都烏丸に行って、『春画と日本人』を観る。江戸時代、享保の改革までは、日本人は性について非常におおらかで、春画も、ちょっと微子を皮肉った笑い絵などにもなっていたという、しかし、明治維新、西欧化が進む中で、取り締まりの対象となっていく。とくに、軍部が勢力をもってくる戦前・戦中には厳しさを増す。その傾向は、戦後も継続し、今日に到る。とくに、自民党の性教育パッシングがはじまり、安倍政治のなかで教育の現場が苦しくなっていくのと同時に、学術の世界にも政府の統制が強まった。春画の展示は、イギリスの大英博物館でおこなわれたが、もともとの祖国での展覧会開催はできずにきた。このドキュメンタリーは、ようやく春画の展覧会が開催されるまでを記録したものである。女性の研究者が、つぶやいた、春画の展覧会が終わって、「逮捕者がでなくてよかった」(皮肉をこめて)と。
細見美術館で「美しい春画」の展示会が11月24日まで行われている。前期は、14日まで。16日から24日まで後期となっている。展示物がかわるのだろう。みておかなければ。
京都シネマで、1週間の限定公開ということだったので、21日に見に行った。京都シネマでは26日までという。
50年のおもみ、これまで制作してきた映画『奈緒ちゃん』『ピグレット』『ありがとう』『やさしくなあに』、それからこの『大好き』。5作目である。1973年から撮影を開始したという。はじめのキャメラは、『夜明け前の子どもたち』を撮った瀬川順一。そこから、おかあさんの奮闘、作業所ピグレットの設立、奈緒ちゃんのグループホームでの自立の一歩、そして津久井やまゆり園と優生思想に抗する障害のある人たちの生活の姿、そして今回、お母さんの終活への思いなど・・・・。奈緒ちゃん50歳、お母さん・西村信子さん80歳。
これまでの奈緒ちゃんの成長の記録、これまでの映画の映像も取り入れられ、50年がふりかえられる。奈緒ちゃんの赤ちゃんの頃の写真ははじめてじゃなかったか。小学校の頃、小学校に送り出す場面、奈緒ちゃんが友だちと一緒にだまってジュースを買って、お母さんにひどく叱られるところ、てんかんのキャンプでボランティアの学生さんと奈緒ちゃんの結婚についての希望をかたるお母さんの気持ち、ピグレットの仲間たち、映画撮影で初めて発作で倒れる奈緒ちゃんの姿、そして、奈緒ちゃんが先導して、お母さんが休み休み石段を登っていく場面。家出の食事を作っている姿。年月の重さを感じる。
水の音、月の姿・・・・、お母さんのピアノ。
弟の記一さん、職場・家庭でのしんどいときのこと、すべてなくしてどん底の生活をおくったこと。お父さんの大乗さん、デリカシーがないが、奈緒ちゃんとお母さんにボロカスいわれても、ひょうひょうとしている。距離をとりながら、へらへらしている。昔の男はつらいよね。これまで、お母さんと父さんの2人の生活にお母さんがたえられずに・・・いろいろな物語があっただろう。だけど、奈緒ちゃんの寝姿といびきは豪快だ!そこがいい、安心していられる。そして、「やさしくなあにっていわなくっちゃ」「人生まだまだ」ということばに支えられる。
いろいろ考えながら、映画の余韻に浸ってぼーっとして出てくると、ポケットに中に入れていた財布がない!あせった。座席のところにあったとのこと、「人生まだまだ」
NHKで放送されたドラマの劇場版(京都シネマ)。戦争にアナウンサーはどのように処したのか。主演は、さいきんテレビではみていない森田剛。言葉の強さはなんのためかを問う。最近、「映像の世紀」で、ドイツナチスのゲッペルスをとりあげたものをみたが、宣伝・プロパガンダの罪と罰を考えさせられた。「不都合な真実の隠蔽」と「不条理な大衆扇動」がいまなおある。現在、自民党の総裁選挙が「華々しく」報道されているが、これまでの統一教会との関係、パーティ収入の問題などは、総裁選の華々しさに、塗りつぶされてしまっているかのようである。
ダウン症の弟、兄はどう思うのか?思春期の頃の兄のかっこつけた嘘。その後のこと。yutubeに公開した動画が縁となって、制作された映画。
「弟は僕のヒーロー」は小学館文庫からも翻訳が出ている(買ったはずだが、どこにはいってしまったのか?)。
イーちゃんの白い杖(特別編)を観たのは、6月頃だったか? これはテレビ静岡が25年間取材続けてドキュメンタリー番組として制作したものを映画化した。京都シネマでみた。静岡での盲学校生活、そして東京の盲学校で出会ったいじめなど、、、
イーチャンは、視覚障害者。そして、弟は医療的なケアなども必要とする重度の肢体不自由。
「ドクちゃん フジとサクラにつなぐ愛」を京都シネマでみた。フォン博士が年齢を重ねていた。僕が30歳頃に、藤本文朗先生がベトナムにいって、二重体児のベトとドクに面会。。車イスをつくり、送る運動がはじまった。その後、ベトが急性脳症になり、日本に運ばれる。そして、ベトナムでの分離手術。ベトの介護、死などがあった。一方の、ドクのこれまでと今を追っている。なぜ、いま「ドクちゃん」なのか?
2024年にはいったころ、観に行った。「哀れなるものたち」ー設定はフランケンシュタインを想わせるが、女性の設定。成長の物語として観ても興味深いかも。いまは、ディズニー+でもみれるようだ。
「典子は、今」は、1981年の国際障害者年の年に上映された。京都での上映運動について書かれている(障害の説明がちょっと?)。「青い鳥」は、重松清の小説から映画化されたもの。
大澤豊監督の「アイラブユー」(忍足亜希子主演)の記事。大澤監督は、「遙かなる甲子園」(1990年)の映画も作ったとのこと。「アイラブユー」見に行ったように記憶しているが、「アイラブフレンズ」の方だったかもしれない。
「アイラブユー」のロケ地は静岡の磐田市だったとのことなので、再度見てみたいと思った。
10月半ば疲れ果てていたときに、気分転換に見に行った。オックスフォード英語辞典の成立の物語。辞典の編纂については、日本での現代的な物語で『舟を編む』がある。映画にもなったので、対比的にみてもよいかもしれない。それにしても、戦争とPTSDなど、いろいろ考えさせられることも多かった。
ドキュメンタリー映画。過剰適応気味のぼくは、上からものをいわれると受けとめてしまう傾向がある。そろそろ、人がいいのもいい加減にして、「友達やめた」の精神でいかないと!
新型コロナウィルスで感染症の恐怖を味わっていることもあって、それを予言したといわれる小松左京原作「復活の日」が注目を集めている。たしか、NHKの番組でも取り上げられたように記憶している。
小松左京については、文庫版の自伝が出ているので、1930年生まれ。生きていれば、90歳。大野松雄さん・田中杉恵先生と同じ年齢である。戦中勤労動員、戦後三高に入学してすぐに、新制大学になり再度兄弟の文学部を受験するということになった。そんな激動の時代を生き、高橋和巳などとともに文学部で学ぶ。たしか、卒論はイタリア文学だったか。その後、編集の仕事などをして作家として独立。「日本沈没」などのSFの世界を構築。堺屋太一などと、万博などをプロデュースしたこともあったか・・・。
「復活の日」は、1964年刊行され、映画は、角川が1980年に製作した。いつ映画館で見たのかわすれてしまったが、草刈正雄とオリビアハッセーのことをうっすらと記憶している。オリビアハッセーはこの後、布施明と結婚したと思う。今回はAmazonPrimeの映画で見た、というより聞いた。英語が多かった、多岐川裕美なども登場していた。はじめのところで、アメリカのメリーランド大学のウィルス研究所が登場するが、このメリーランド大学の図書館に占領期の検閲の図書が所蔵されているのかとふと思った。
映画のストーリは追えていないが、ところどころチラ見する程度だった。SFとは縁遠いのだが、原作もよんでみようかと。