知的障害児の施設の園長・西蓮寺千香を主人公とした小説。元夫は保守系の衆議院議員であり、離婚をしている主人公が、革新系から立候補する。選挙選の進展を時間軸にして、施設の人間模様や元夫との関係などが展開していく。もともとは、昭和34年10月から昭和35年10月まで『婦人生活』に連載され、1961年12月に中央公論社から刊行されたもの。
知的障害の描き方に時代の制約を強く受ける。知的障害児の施設は「人間の心を失った子どもたちを抱えて、果てしない苦労を背負わされた家族のための施設」と描かれている。知的障害が「精薄」とよばれ、困った・やっかいな存在として語られている。障害者への視線が冷たい。施設の運営にストイックに取り組む主人公の姿は、曽野綾子的「博愛主義」としてのキリスト教的なものが感じられるが、それはあくまでも高いところからしもじもを見るという視点のようにも感じられる。
曽野綾子は、その後、教育など精神世界と関わって政治的な発言を強めていく。夫の三浦朱文は文化庁長官にもなり、学習指導要領などでのタカ派的な発言もあった。曾野綾子の人間観が問われざるを得ない。
知的障害の描き方に時代の制約を強く受ける。知的障害児の施設は「人間の心を失った子どもたちを抱えて、果てしない苦労を背負わされた家族のための施設」と描かれている。知的障害が「精薄」とよばれ、困った・やっかいな存在として語られている。障害者への視線が冷たい。施設の運営にストイックに取り組む主人公の姿は、曽野綾子的「博愛主義」としてのキリスト教的なものが感じられるが、それはあくまでも高いところからしもじもを見るという視点のようにも感じられる。
曽野綾子は、その後、教育など精神世界と関わって政治的な発言を強めていく。夫の三浦朱文は文化庁長官にもなり、学習指導要領などでのタカ派的な発言もあった。曾野綾子の人間観が問われざるを得ない。