ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

バーナード・リムランド

2006年11月30日 07時42分33秒 | 映画
自閉症に取り組んだアメリカの心理学者バーナード・リムランドが21日死去したという新聞報道があった。
リムランドは、大学で心理学を学んだ後、医師となる。息子が自閉症だったことをきっかけに自閉症の研究を進める。当時、自閉症の原因として母親の愛情欠如がいわれていたが、脳の機能障害によるとする研究を発表し注目を集めた。
ダスティン・ホフマンが自閉症の男性を演じた映画「レインマン」(88年)の撮影のアドバイザーを努めたことで知られる。

レインマンは、確か大学に赴任した年に当時の学生さんたちと見にいった映画。ダスティン・ホフマンとトム・クルーズが共演した映画だ。上映から、すでに18年が経過しており、今の学生さんたちは知っている人はほとんどいない

日曜日の夕方はなぜか焦る

2006年11月26日 21時00分25秒 | その他
昨日の公開講座の後、特別専攻科の同窓会で飲んだのが後をひいて、朝早く目が覚めたのはよかったが、二度寝をして、午前中はほとんど寝て終わってしまった

午後から雨

何もやる気が出てこないのは、この1週間いろいろあったことが響いているからだろう。

それでも、明日の3つの講義を何とかしなければとおもい、パワーポイントに手をいれた。月曜日の講義の資料の印刷は、金曜日に一応すんでいるのだが…。

日曜日の夕方頃になると、もう休みは終わってしまったのかとため息が出るとともに、なぜか焦っている。日曜日のサザエさんを見ながら憂鬱になったり、焦ったりする、世に言う「さざえさん」現象というやつだ。


子どもたちにとってどうしても必要なところ(貝塚養護学校)

2006年11月24日 16時33分19秒 | 生活教育
昨日、貝塚養護学校の方から電話をいただいた。大阪市が学校指定の停止を発表したことに対して、保護者が中心となって守る会ができつつあること、その集まりが12月3日(日)にあることなどを知らせていただいた。

これまで、貝塚養護学校の教育実践に接する機会があり、軽度発達障害や困難をもった子どもたちにとってどうしても必要な寄宿舎をもつ学校だと強く感じているので、以下のような意見を書いた。大阪市の教育委員と議会に送っていただくようお願いした。

貝塚のみなさん頑張りましょう

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寄宿舎のある貝塚養護学校の教育実践の意義を再確認し、学校指定停止の撤回を求めます。

来年度より全面的に実施される特別支援教育が、その対象を広げようとしているなかで、大阪市立貝塚養護学校の学校指定の停止が発表されたことは、いかにも拙速であり、性急なものといわざるを得ないと考えます。なぜなら、特別支援学校が困難で難しい課題をもった子どもたちの受け皿となり、今後の特別支援教育の全面実施の中で重要な役割をもつものと想定されているからです。
 子どもの発達をめぐる問題は、いじめや暴力、対人関係の問題などいっそう複雑化してきており、発達のゆがみやもつれが複合化・多様化してきています。病弱教育の中心は、かつて喘息、腎炎、ネフローゼなど慢性疾患でしたが、しかし、小学校3~4年生から中学生頃におこってくる情緒や思春期的な問題を抱えた子ども-特に心身症として扱われる不登校などの問題を持つ児童・生徒が、小児科や精神神経科に通院や入院をし、治療・教育を受ける事例が全国的に増え、病弱教育の直面する課題となっています。
 なかでも不登校問題は、通常の教育の中でも大きな問題で、すそ野の広い教育問題となっています。不登校児への対応も、担任教師を中心にクラスづくりの工夫、スクールカウンセラーの派遣による相談室での受けとめや養護教諭による保健室への登校、地域での適応指導教室の設置などが展開されていますが、まだまだ十分でありません。また、近年では、学習障害、注意欠陥/多動性障害等によって、周囲との人間関係がうまく構築されない、学習のつまずきが克服できないと言った状況が進み、不登校に至る事例は少なくないとの指摘もあります。広汎性発達障害、アスペルガー障害やADHDなど軽度発達障害で、集団への不適応を起こしたり、いじめられたり、いじめられていると思いこんだりするなどして、二次障害的にこじれてしまうケースもあります。学校での不適応ばかりではなく、家庭や地域での生活にも影響を及ぼします。逆に、家庭での養育力が乏しいことによって、状態が悪くなる場合もあります。不登校問題の背景には、養育や教育環境の複雑さや困難があります。自分を探し、自分をつくっていく主体はあくまでも子ども自身ですが、しかし、その基盤を整えることへの援助は重要です。特に軽度発達障害や発達にアンバランスのある場合、また、虐待など様々な付随的な問題を抱えている子どもと家庭にとって、とりわけ重要です。通常の教育的な枠組みの中では対応しきれない場合が多いからです。必要な場合には、生活と学習の枠組み全体をかえた取り組みも必要となります。そのような取り組みの一環となっているのが、病弱教育養護学校の不登校への取り組みです。
 病弱養護学校の不登校への取り組みの歴史の中で、寄宿舎のある大阪市立貝塚養護学校はその先駆けとなってきました。貝塚養護学校の不登校へのアプローチは、不登校の子どもたちの生活の枠組みを整え、学部での学習と寄宿舎での生活によって、紆余曲折や葛藤はありながらも、仲間の中で、仲間とともに困難を乗り越えていくという点で貴重な実践をつくっています。寄宿舎をもった貝塚養護学校は、困難をもった子どもたちに向き合い、不登校、そして行動障害のある子どもたちへの特色あるアプローチを展開してきたことはよく知られています。このような教育実践が、今後本格的に実施される特別支援教育の深みを創るものと思われます。貝塚養護学校のこのような重要な役割を大阪市教育委員会が認識し得なかったことは残念でなりませんし、撤回も含めた再考を求めたいと思います。

田中先生を偲ぶ会

2006年11月23日 21時49分55秒 | その他
勤労感謝の日
午後から、「田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい」に出席。
とても多くのともに学んだ人たち、お世話になった人たちとお会いすることができた。
自分自身、不勉強だったので、「教え子」を冠する集いに出席する資格があるのかは問わないこととしよう。

帰ってから『土割の刻-田中昌人先生を偲ぶ教え子のつどい記念誌』を読む。

記念誌の「結びのことば」には、「先生は、(このような名称のつどいの)集まりは、承諾されなかったでしょう」と指摘されている。しかし、続けて、「せめて一度くらい『反抗』する機会をもつことを了承下さい」とある。一種の「反抗」なのである。

夜中まで、『あの頃の若き旅立ち』(クリエイツかもがわ)を読んでしまう。今年亡くなられた稲葉先生の原稿がないのが寂しい。田中昌人先生の遺稿となった文章は後になるほど「発達論」の今後の展望となっていっている。「若き旅立ち」の事ではないが、逝くものとの自覚のもとで、最後に書いておかなければならないと思ったのだろう。中内敏夫先生の文章には、田中先生や稲葉先生との若かりし頃の交流が綴られていて興味深いものだった。


全障研奈良支部「たちあがる」の一文を書き改め、ここに掲げさせていただき、ご冥福をお祈りいたします。 

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 全国障害者問題研究会は、今年第40回全国大会を開催し、2007年には結成40周年迎えます。
 40周年というのは、半世紀でもなく、中途半端なようにみえます。しかし、この40年というのは全障研の歴史を担ってきたそれぞれの人たちに即してみるとなかなかの重みがあると思われます。とりわけ、全障研の結成を直接担い、初期の発展を支えてきた人たちは、例えば、20代から30代だった方達は60代から70代になっています。
 その中の一人だった、全障研の初代委員長田中昌人先生が、昨年11月にお亡くなりになりました。いろいろお教えいただきたかったと心底残念に思っています。実は、昨年10月末に田中先生とお会いする機会がありました。その時は、少し声が出にくいといっておられましたが、ご自宅から一人で京都駅まで出てこられ、外見からはお元気そうに見えました。話の中で、全障研の全国大会が奈良で開催されることをお伝えしたところ、おもむろに2006年の手帳を取り出し、大会の日程を書くようにとおっしゃられました。まだ何も書かれていない、7月28日から30日までのところに線を引き全障研奈良大会と記しました。「2006年に全障研の奈良大会が終わると、2007年には全障研結成40周年になります。おそらく、2007年には国連で障害者権利条約が採択されることとなると思います」というと、手帳のその部分をじっと見つめておられました。じっと見ていたその視線の中にはどのような思いがあったのでしょうか?
 田中先生の視線の先にあった全障研40周年。全障研の歴史を担ってこられた方達の願い、そして、この時代のなかですべての障害のある人たちと関係者の願いに思いをはせながら、全国障害者問題研究会40周年の重みを受け止めていきたいと思います。


一日雨(当世大学祭事情)

2006年11月19日 23時21分25秒 | その他
一日雨
寒かったです。暖房をつけるとあつくなりすぎるし、切ると寒い。
沖縄の選挙は残念だった。基地の問題だけではなく、今の教育基本法などの国会審議にも影響を与えることになるからだ。
沖縄での研究集会で、この「ちゃ~すが」という言葉をおぼえてきただけに、複雑な心境。

今日まで、京都教育大学、立命館大学などの大学祭だったようだ。最近の大学祭の全体の傾向として、期間が短くなっているように感じる。講義の時間を確保するために、行事の短縮化である-小学校から大学まで行事は圧縮されている。子どもや青年の自主的な活動はどうなる…。
また、立命館は、お酒を出すような出店はないと聞いた。青年の大人としての位置づけがなくなっているのかも?

故田中昌人先生

2006年11月18日 22時20分32秒 | その他
今日は、田中昌人先生が亡くなって1周忌の日。
学生時代は、休講が多く、講義を受けた記憶はあまりない。そのころは、『人間発達の科学』、『人間発達の理論』を出され、その間に、『子どもの発達と診断』を乳児期前半から順次刊行されていった時期にあたる。
研究者というのは、田中先生のような方のことを言うとすれば、「研究者にはなれない」と思ったのもこの時期であり、今もその思いは続いている。

教えていただきたかったことはたくさんある。残念で仕方がないし、それができなかった自分のふがいなさでいっぱいである。しかし、今、それはかなわぬことである。先生の思索の跡をたどりながら、切りひらかれた発達研究の遺産をできるところで受けとめていきたい。

今日午前中から附属小学校の公開研究会。附属小学校の東側の障害児学級への階段をおおうモミジが紅く紅葉して美しかった。公開従業と研究授業を見て、授業研究と分科会討議に参加。
附属小学校公開研究会の終わる頃、雨。冷え込みが身体にしみた。

教育の特集番組

2006年11月12日 19時21分50秒 | 生活教育
 昨日の雨の後、今日は1日寒い。
 子どもの生活と教育をめぐっても、「寒い!」
いじめ自殺や高校世界史未履修問題、「やらせ」のタウンミーティングと教育基本法の改悪などなど、子どもの生活と教育に関するニュースも相次いでいる。文部科学大臣宛に自殺予告が来たり、今日の朝も大阪で中学1年生が飛び降り自殺という報道もあった。
 この間、テレビで教育の特集番組が組まれている。昨日(11日)にあった「たけしの日本教育白書」もその一つだ。
 「いじめ自殺」「学級崩壊」「給食費の不払い」「わが子を主役にとの要望で台なしになる学芸会」などなど、子どもと学校、そして保護者にかんして「日本人の品格」を問題にしながら取り上げられていた。
 「給食費の不払い」問題では、学校や教育委員会が取り立てに行く姿や払う払うと言って払わない保護者の姿が映し出されていた。給食費か携帯の費用かとの問いに、躊躇なく「携帯」を選択するとの答えが返ってくる。その論理はこうだ。
「義務教育だから、子どもを学校に行かせてやっている。だから、学校が学校生活に責任を持つのはあたりまえ…」「義務教育は義務だから無償…」
 国会では、このような「品格のないのは教育基本法のせいだ」とばかりに、「愛国心」を入れた教育基本法案の審議を強行していく。しかし、教育や学校をそのようなものとして捉えることは、教育は国のものだという論理で、実は、給食費を滞納する論理とコインの裏表の関係のようにみえる。
 学校を「教化(教え化かす)」機関にしていこうとする、政府と文科省の「品格」が問われる。
 この社会の未来を担う子どもは、国家のものでもないし、保護者のものでもない。学校教育が、一人ひとりの中に内在する可能性を引き出し、人類の蓄積してきた文化遺産を継承し、社会の形成者となっていく子どもたちを援助するという本来の姿を取りもどすことが求められている。それは、人権としての、権利としての教育という考え方からしか導き出せないのではないだろうか。
 いじめ自殺の連鎖は終わりを見せない。学習指導要領に殉じて高等学校長も自殺をする。子どものいじめを「金銭トラブル」と教育委員会に報告していたとのことで小学校長が自殺したと報道があった。管理職の悲哀なのだろうか? 
 男性教師の抑鬱感は、通常の男性に比して1.8倍という結果が労働科学研究所の調査で判明したという。しかし、学校の関係者は憂鬱ばかりであるとはいえないだろう。教師や指導員としての喜びを感じるとき、保護者が子どもの成長をともに喜び合うとき、教育の再生の光が見えると思う。そんな経験は、学校教育の中で日々、子どもを中心において、教師、指導員、保護者によって蓄積されているのではないか。そんな水脈を大切にしていきたい。

映画

2006年11月11日 19時58分13秒 | 映画
土曜日だが、一日

雨で、気温が下がってちょっと寒い。まわりをみると、おなかにくる風邪がはやっているようだ。

ずいぶん前から、障害のある人たちが描かれた映画を集めて、一定のテーマのもとに数本をまとめて紹介する文章をかこうとしてきた。いろんな雑誌に障害者映画1本1本についての紹介はあるが、それではおもしろくないと思ったからだ。

しかし、そう思って集めてみるとかなりの数となるし、次々に新しい映画が出てきてしまって、いまのところまとまったものとなっていない。

今日も、レンタルビデオ屋さんにいって、いくつか借りてきた。
統合失調症を発症した数学者のジョン・ナッシュを描いたビューティフル・マインドはその一つ。ゲーム理論で、ノーベル経済学賞を受けた人物の伝記的な映画である。統合失調症の発症とその寛解ということなのだが、高い数学的能力の一方、鼻持ちならない性格や社会性の欠如など考えさせられることも多い。

東洋蝙蝠研究所その3

2006年11月10日 22時46分48秒 | その他
館内の展示
コウモリの標本。その生態の説明。
洋の東西から集めたコウモリグッズがいっぱいある。
お酒、コウモリの書かれた血の飲み物(トマトジュースだが)などなど。
その中には、わたくしめが寄贈したコウモリの描かれた絵本や児童文学の本もある(「おばけちゃん」には名前が書かれている)。

東洋蝙蝠研究所その1

2006年11月10日 22時33分25秒 | その他
5時半に、大学を出て、学生さんとその彼を乗せて「東洋蝙蝠研究所」へ

奈良市内から、山道を通り、京都府笠置町へ向かう。
あと10メートルで京都府の県境、向こうは笠置町というところに、「東洋蝙蝠研究所」はある。細い道の山肌にそって2階建ての建物だ。

6時過ぎで、もう夕暮れもすぎ、外は真っ暗で外観は確認できない。写真のフラッシュでようやく「コウモリ博物館」と記されているのがわかる。

生活教育全国研究集会その後

2006年11月07日 16時00分26秒 | 生活教育
第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄で記念講演をする大泉先生



第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄での発見は、沖縄時間があるということ、さらに沖縄にはいると時間の流れが変わって、一種の時差ぼけ状態になるということ、また、飲み会などでは来た人から飲みはじめ、みんながそろうまで待つという習慣はないということだった。

行事や集会が終わって気づくということが多くあるが、そのことは別の機会に書いてみたい。

不思議な時を過ごして、帰ってくると、連休の終日、夕暮れ時の寂しさからか、「人身事故」で電車が止まって動かずということだった。日常の生活に帰って来たことを実感した。

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この日、別室登校してる中学生が相談室に来る。その子とオセロをやって負ける。夜、夜間の大学院生の修士論文構想の検討。

第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄

2006年11月06日 21時24分02秒 | 生活教育
11月4日から5日まで、沖縄で障害児の生活教育全国研究集会があった。

全体集会の開会の挨拶をした。基調報告は、山崎さん(和歌山大学)、特別報告は島尻さん(島尻養護学校)、記念講演は大泉さん(日本福祉大学)。2日目が分科会と閉会全体会。閉会全体会では、嶋村さん(八幡養護学校)が挨拶。
全体を通して、160名強の参加者でした。

沖縄は、4日が、5日は

第25回障害児の生活教育全国研究集会in沖縄 開会挨拶

 第25回障害児の生活教育全国研究集会を開会するにあたって、寄宿舎教育研究会常任委員会を代表しまして一言ご挨拶させていただきます。まず、この集会を準備していただいた現地沖縄のみなさんに感謝申し上げるとともに、交流と討議を深めようと、全国からお忙しい中、南国の地にお集まりいただいた参加者の皆さんにお礼申し上げます。
 さて、昨年、寄宿舎教育研究会は、創立25周年の研究集会を大阪で行いました。また、昨年度の末には滋賀で春の総括合宿研究集会を開催し、そこで正式に研究会の事務局の体制を新たなものとしてきました。25周年を経て、新たな研究会としての第一歩を踏み出しているところです。その新たな第一歩の研究集会がこの集会ということです。この後の基調報告や特別報告でも述べられると思いますが、今回の沖縄での研究集会は、2度目ということです。前回は、1988年の第8回全国研究集会だったということです。個人的なことを述べさせていただければ、この年、私は今の職場・奈良教育大学に赴任した年で、バブル景気の泡が急速に大きくなっていった時期として思い出に残っています。
 今日、構造改革の中で景気は順調に回復しているといわれていますが、それは一部の人たちや大企業のことだけのようです。高齢者の介護や障害者の生活は、介護保険の改悪でベッドの取り上げやホームヘルパーの介護の引き上げといった事態の中で、社会的介護の必要がいわれて登場した介護がまた個人に帰せられています。障害者や障害のある子どもたちの生活もまた、自立を掲げながら、自立を支援しないという自立支援法の下で、サービスに対して応益負担が課せられ、障害があることが心苦しいとさえ思わされる事態となっています。障害児の教育をめぐっても、特別支援教育への転換がいわれながらも、その財政的な基盤は脆弱といわざるを得ませんし、特別支援教育の土台となっている教育そのものにおいても、今日、いじめ自殺の連鎖、進学競争の激化の中で共通教養がないがしろにされる事態が進行しており、子どもたちのあたりまえの生活と教育がないがしろにされているばかりか、見通しや展望、生きる力といったものが衰退しているとさえいえる事態になっているといえます。
 憲法は健康で文化的な最低限度の生活を行う権利を規定しており、国の責任として社会保障・社会福祉の増進をする必要を説いています、しかし、障害や困難を持った人たちの生活へ寄り添ってみると、現実は、逆に、たとえば、防衛庁の防衛省への昇格の議論が国会でなされ、平和・民主主義の主体としての人格を形成する教育基本法の改悪法案が上程されるなど、軍事大国化路線への経済的投資がなされようとしています。子どもたちの現実に触れればふれるほど、今日の社会を考えざるを得ないものとなっています。
 私たちは、春の合宿の際に「希望」ということを学び合いましたが、この研究集会においてもそれを引き継いでいきたいものであると思っています。その希望への想像力を喪失している時代でもあるのではないかと危惧の念を禁じ得ないからです。この生活教育全国研究集会で、私たちと子どもたちの現在(いま)を、これまでの歴史を検証しながら考え合い、また、議論しあって未来を展望しあおうではありませんか。
この2日間が、次の四半世紀の第一歩となる充実したものにするようお互い力を合わせようではありませんか。

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この日、午後からK教育大学で概論と特別専攻科の講義