今日は寒い-けれども日が照っているので、日中は大丈夫
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土曜日につくったパワーポイントを渡し、午後からの講義レジュメを印刷。図書館で、資料をコピー(新井英靖・渡辺健治「病気による長期欠席児の教育的対応に関する研究-寄宿舎併設養護学校児童生徒の実態と特別な教育的対応について-」『東京学芸大学紀要』第1部門、51、2000年)。
2コマ目は、「障害児の発達と学習」の講義-3回目「障害児と文化」の関連から「教育実践を創る」ことへ
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谷川俊太郎・詩、和田誠・絵『いちねんせい』は、新しく1年生になる子供たちに手渡す絵本。軽妙なテンポの谷川の詩に、とっつきやすい和田のイラストがマッチしている。その1ページ目は、「あ」と題されて、「せんせいが こくばんに【あ】とかいた…」と「あ」について書かれている。次が、それをうけて「あたし しってる あたしの あと あなたの あは おんなじ あなのよ」と続く。そうやって前の詩と絵とつながって、続いていく。その5ページ目に、「あたらしい こ」という詩と絵がでてくる。「あったことのないこに あった…あったことのないこにあった そのこはいつも くるまいすに のってる あったことのないこと わたし もうすぐ ともだち」-もうすぐ友達になろうとする女の子は車いすにのった足の不自由な子だった。
谷川俊太郎は、初めての友達になぜ車いすの子をもってきたのだろうか…?
その一つの解答は、波瀬満子の「あたしのあ あなたのあ-障害児の言語指導」(名前・題名は不確か、ご容赦あれ。ちなみに太郎次郎社より刊行)の中にあるようにおもわれえる。その中に、「『あ』の詩から『ふゥのうた』まで」という項があり、江戸川養護学校で「ことば遊び」の実践を行い、そのビデオをみながら、谷川俊太郎が「もっと有効な詩が書けるんじゃないか、かいてみたい」といって、創った詩「あ」が掲載されている。そういえば、『いちねんせい』の始まりも「あ」であった。そうなると、谷川俊太郎は、『いちねんせい』を創作するときに、この肢体不自由養護学校での子どもたちの姿があったのではないだろうか。そう考えると、詩人谷川俊太郎と障害のある子どもたちのとの出会いが、新たな創作を生み、それをすべての子どもたちに分かち伝えたいと新たな文化を創っていったということが推察される。
その他、組み木作家の小黒三郎の障害のある子との出会いと実践なども興味深い。
障害のある子どもたちとの出会いをもとに、新たな文化が創られる。その創造の場を、障害児教育を担う教師が下支え、演出し、コーディネートしている。そのことが貴重だし、本物の文化が分かり、子どもを理解することができる教師がとっても大切であると思う…。
そんな思いで講義をしていたのだが、とはいえ、学生さんたちはそんな話はどうでもいいのかな? わかって
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12時10分前に講義は終わり、またまた、1時間かけてK教育大学へ
。途中のコンビニでおにぎりを買って、車を走らせながら、食べる。よくないよね。
概論では、『夜明け前の子どもたち』の前半をみる。監督だった柳澤寿男が「療育との出会い」という項目も含めた講演をしていて、その文章をレジュメに載せておいた。しかし、1968年の作品で、今の学生さんには「異世界」を見るような感覚で、遠いものと感じさせてしまっているのかも知れない。戦後障害児教育の歴史を整理してみたいのだが、学生さんたちはそんな必要を感じていないのかもしれない。
特別専攻科と大学院の合同授業は、修了論文のことを話し、その後、アスペルガーの小学校生活についての文章を読む。
疲れたので、からふね屋のケーキセットで疲れを癒す。月曜日は大変だが、「発達と学習」はあと1回だ。来週もう1回
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