ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

『名作うしろ読み』

2019年12月27日 23時31分00秒 | 
ようやく、斎藤美奈子の『名作うしろ読み』を読了。
小説の最後「おしり」が多々紹介されている。多々あるのでいちいちかかないが、次のような柱で作品が位置づけられている。
1.青春の群像
2.女子の選択
3.男子の生き方
4.不思議な物語
5.子どもの時間
6.風土の研究
7.家族の行方
名作のエンディングについて

いくつか面白いところ、
路傍の石は、3種類の末尾がある(要するに、はじめの朝日新聞の連載、戦前版、戦後版 なんと、戦前は軍部の、そして戦後は占領軍の圧力で完結しなかったとは)p.178
君たちはどう生きるかの、「おじさんノート」、コペル君は父を亡くしていたが、おじさんは人生論だけではなく社会科学的なものの見方を説いていることなど、p.188
などなど

最後は「名作のエンディングについて」
●「お尻」が無視されてきた理由
●閉じた結末(ハッピーエンドやバッドエンド:エンターテイメント文学)、拓かれた結末(多様な解釈で、独自の余韻を残す純文学)
●風景が「いい仕事」をする終わり方
 もしもあなたが何かを書いていて、終わり方で困ったら、とりあえず付け足しておこう。「外には風が吹いていた」「空はどおまでも青かった」「私は遠い山を見つめた」。
●人が「もうひと仕事」する終わり方
 あるく、つぶやく、しゃべる、かんがえる。人の動きや状態や思索ではなしが了と、「物語はここでいったん終わりだが、彼や彼女の人世一はまだこの先も続いていくのだ」というと条件が出る。新たな、展開を予想させる行動を盛り込むと、よりそれが強調される。なお、○○がむせび泣いた、涙は最強の武器。
●語り手がしゃしゃり出る終わり方
●フィニッシュをどう決めるか
 その他の本や誌の引用、後日談、「神よ」と呼びかけ、続編の予告・・・・いろいろある。どんな作品も、書き出すことは出来るが書き終わるのはむずかしい!

コーヒーを浴びせてしまって、本にお詫びをしておきたい。このエンディングは、語り手がしゃしゃり出る形?

クリスマスキャロル

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
クリスマスイブだから、ディケンズの『クリスマスキャロル』のことを特別に書いておきたい。
イブの晩、けちで強欲で冷酷なスクルージのもとに、共同経営者だったマーレイの亡霊が現れて予言する。
その夜、スクルージのもとに、3人の精霊が表れ、彼の過去・現在・未来を見せる。
孤独な死の未来、それ以上に、現在は、スクルージの雇っているポップの家、食卓を囲んでクリスマスを祝う一家。足の悪いティム。スクルージは「あの子は生きのびられるのだろうか」と問う。精霊が「子どもは死ぬ」というと、「死んだらいい、そうすれば、余分な人口が減る」と、スクルージが口にしたセリフが続く。さらに貧しい子どもたちの幻に、「この者たちが避難する所、頼りになるところはないでしょうか?」と問うと、「監獄があるんじゃないか?」「貧窮院があるんじゃなかったかね?」と、ふたたび彼自身が口にしたことばがかえってくる。
1843年に発表されたこの小説、産業革命のもと、貧富の差の大きな19世紀イギリスの姿を示すが、しかし、それは今日の社会にも通底するものがある。

とはいえ、「クリスマスキャロル」というと、稲垣潤一の歌しか思い起こさないのが、現代の日本の状況かもしれない。
「クリスマスキャロルが流れる頃には 君と僕の答えも、きっとでているだろう」

斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社、2013年

2019年12月24日 11時37分55秒 | 
斎藤美奈子の『名作うしろ読み』を読んでいる。
小説のはじまりは、よく語られるのだが、「たとえば、トンネルを抜けるとそこは・・・」とか、しかし、その最後は語られない。
その最後の言葉を記して、その小説を簡単に論じるのがこの本のみそ。とはいえ、1つの小説で、見開き2頁なので、そう長くはない。もともと、新聞連載のものをあつめたもの。
この斎藤という人、小説などの解説の解説をしてみたり、最後に注目してみたり、以外と面白い発想をする。
とはいえ、今回の本で考えたのは、文章の最後の部分ということ。
よく、論文の最後の締めをどうするか悩む。結論があるわけじゃない場合もあり、終わり方がわからない・・・。これでいいやという踏ん切りができないときは、だらだらと書いてしまって、結局何が言いたかったのかわからなくなっちゃうという経験を積んできた。
そういう意味での、最後のことばをみてみると、その論文や文章を書いた人の人柄や、躊躇、葛藤などもほんのりと判るのかもしれない。

斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』岩波新書、2017年

2019年12月18日 23時25分53秒 | 
数日前に、図書館から借りていた斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』を読み終わった。
文庫の解説に対して辛口の批評を綴った、目の付け所のおもしろい本。解説は、「基本はオマケ」と書いている。目次は次の通り

序にかえて 本文よりエキサイティングな解説があってもいいじゃない

1.あの名作に、この解説
坊ちゃん 四国の外で勃発していた解説の攻防戦
伊豆の踊子・雪国 伊豆で迷って、雪国で遭難しそう
走れメロス 走るメロスと、メロスをみない解説陣
放浪記 放浪するテキスト、追跡する解説
智恵子抄 愛の詩集の陰に編者の思惑あり

2.異文化よ、こんにちは
悲しみよこんにちは、ティファニーで朝食を 翻訳者、パリとニューヨークに旅行中
ロング・グッドバイ、グレート・ギャツビー ゲイテイストをめぐる解説の冒険
ハムレット 英文学か、それが問題だ
小公女 少女小説(の解説)を舐めないで
ヨーロッパ退屈日記、女たちよ! おしゃれ系舶来文化の正しいプレゼンター
武士道、葉隠 憂国の士があこがれるサムライの心得

3.なんとなく、知識人
赤頭巾ちゃん気をつけて、なんとなく、クリスタル ン十年後の逆転劇に気をつけて
君たちはどう生きるか、資本論 レジェンドが鎧を脱ぎ捨てたら
されど われらが日々 優しいサヨクのための嬉遊曲 サヨクが散って、日が暮れて
モオツァルト・無情という事 試験に出るアンタッチャブルな評論家
Xへの手紙、共同幻想論 ソラからコバヒデが降ってくる
三四郎 友情 悩める専念の源流を訪ねて

4.教えて、現代文学
限りなく透明に近いブルー、半島を出よ 限りなくファウルに近いレビュー
点と線、ゼロの焦点 トリック破綻を解説刑事が見破った
三毛猫ホームズシリーズ 私をミステリーの世界に連れてって
ひとひらの雪 解説という名の「もてなし」術
ビルマの竪琴、二十四の瞳、夏の花 彼と彼女と「私」の戦争
火垂るの墓、少年H、永遠の0 軍国少年と零戦が復活する日
あとがき

To be or not to be, that is the questionの訳の話(p.84)
赤川次郎作品は「17歳」がキーワード。18歳になれば大人の世界に足を踏み入れてしまう。その一歩手前の、まだ日々の暮らしに戸惑いを持っている、ナイーブな世代。『セーラー服と機関銃』はその第一歩(p.204)
原爆文学の『夏の花』に関するリービの解説 西洋と違って、近代の日本文学の中では、フィクションとノンフィクションの区別がそれほどはっきりしなかった。・・「「自然現象おなかの私」が文学の大きな流れとなった」p.225-226
野坂昭如の『火垂るの墓』、野坂は、1930年生まれ。大野さんと同じ。野坂らの戦争体験:昭和五年に生まれた昭如は、生まれて1年後にいわゆる満州事変がおこり、小学校に入学した年に盧溝橋事件がはいjまり、中学のときに太平洋戦争が終わっている。もう少し早く生まれていれば、特攻隊員として散華していたかもしれないし、もうすこしあとに生まれれば、学童疎開で田舎へ行き、飢餓を通して戦争を実感したかもしれない。しかし彼の世代は、戦争と戦後の陥没地帯に似て、そのどちらにもついてゆけず、規制の権威や木津所を音を立ててくずれるのを、その目で見、その肌で感じた世代ということになる。p.229

解説をくさす、辛口の言葉が小気味がいいというか。

斎藤美奈子『日本の同時代小説』(岩波新書、2018年)

2019年12月06日 14時17分57秒 | 
西宇治図書館で借りてきた斎藤美奈子『日本の同時代小説』を読んだ。
ネットでは、内容紹介として、次のように書かれていた。
メディア環境の急速な進化、世界情勢の転変、格差社会の深刻化、そして戦争に大震災──。創作の足元にある社会が激変を重ねたこの50年。「大文字の文学の終焉」が言われる中にも、新しい小説は常に書き続けられてきた! 今改めて振り返る時、そこにはどんな軌跡が浮かぶのか? ついに成る、私たちの「同時代の文学史」。
目次は次の通り

はじめに
1960年代 知識人の凋落 (へたれ知識人の純文学)
1970年代 記録文学の時代
1980年代 遊園地化する純文学
1990年代 女性作家の台頭
2000年代 戦争と格差社会
2010年代 ディストピアを超えて
あとがき

同時代小説なので、その時代を生きてきたものとして、そうだよねとお思うところも多い。この作者、もともと編集畑のひhとだったようで、辛口、一刀両断の修飾語(「へたれ」だとか)でずっぱりきられてしまう。しかし、21世紀後になってくるとその論調はかわるように感じるのだが・・・。
いろいとメモを取りたくなるところがあったが、ちょっとおいて自分なりに振り返ってみると、同時代とはいえ、ここに登場する小説はほとんど読んでいないことに気づき、唖然とした。自分は何をやってきたのだろうかと? 小説は好きだから読んではいるのだが、その中でも、障害関係のものに職業柄いくので、現代小説、あるいは話題となったものを読んでいないと言うことなどもあるのだろうが、しかし、そこに豊穣な世界が1つひとつに詰まっているとおもうと、その世界を楽しみたいという思いが募る。ドラマのない論文などをかく、あるいは卒論などにかまけているのは、時間がもったいないともおもったりしてしまう。

障害関係でもいろいろありそう
赤坂真理(五感に訴える作品の書き手)『ヴァイブレーター』(1999)、幻聴や摂食障害に加えて或オール異存という、いささか問題含みの女性ライターのロードノベル、同『ヴォイセズ』(1999)、成田空港に勤める女性航空管理官を主人公にした小説で、彼女の働きぶりも、盲目の青年との恋愛も鮮烈。p.150
「自伝」系
乙竹『五体不満足』(1998)、大平光代『だから・あなたも生きぬいて』、柳美里『命』(2000)、飯島愛『プラトニックセックス』(2000)など「愛と感動ノンフィクション」壮絶人生系の本。これにてういて、赤坂真理「『障害』と『壮絶人生』ばかりがなぜ読まれるのか」(『中央公論』2001年6月号)で批判しているのも面白い。「ここ数年、およそ希望と名のつくものが、一見それが欠落していると見える地点からもたらされている意味を、「普通」の人びとは、感動するだけでなく、よく考えた方がいい」「涙や感動の話はいまや消耗品である」。そして、それが「弱い人」の「普通の人生を抑圧」するものとなっていることも指摘している。(169)
難病もの
住野よる『君の膵臓をたべたい』(2015)、片山恭一『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2001):徳冨蘆花『不如帰』(1898)、伊藤左千夫『野菊の花』(1906)、堀辰雄『風立ちぬ』(1936-38)、河野実・大島みち子『愛と死をみつめて』(1963)など、若くして芯d奈女を生き残った男が振り返る「難病もの」の歴史は古く、「涙と感動」を求める速射に愛好されてきた。なぜ、21世紀にもなって、こんな手垢の付いた小説をy間亡ければならないのか。(181)
震災関連
『東日本大震災後文学論』(2017)の編者のひとり飯田一史は、審査意見連ディス飛び亜小説の多さに触れ<「どうにもできなかった」人たちばかりを積極的に描く不可思議さ>を問題にしている。<それは、責任を引き受ける、覚悟を決めて自分たちで対処するという当事者意識の欠如に見える。主体性を削ぎ、無力感を助長するだけに見える。大事な本質を見ない、それに取り組まないで周辺をぐるぐるまわることで済ませる悪癖にも>(「希望-重松清と『シン・ゴジラ』」)。この点、第二次世界大戦の日本社会と同じ思想構造が表れていることに注意。

その他、
「ディストピア」という特徴づけはなるほどとおもう。ディズニー映画盛んなりしも、ディズニーランド的なユートピアに妄想していると其の絶っている地点は「ディストピア」ということに・・。まあ、逆に、現実が「ディストピア」なので「ユートピア」の世界にいくのだろうが。「厳しい時代に厳しい証跡は誰も読みたくない」と筆者も言っているじゃないか。

孤児の関係
『世界の果ての子どもたち』、満州の国民学校で出会った3人の少女。残留孤児となった珠子、戦災孤児となった茉莉、日本に渡った朝鮮人の美子のそれぞれの戦後を描く。