大塚信一『河合隼雄 心理療法家の誕生』(トランスビュー、2009年)を読み終わる。岩波書店の編集者から社長になった大塚と河合の関係は長いが、直接的には岩波新書『未来への記憶』(河合隼雄の自伝的インタビューの記録)をもとに、河合の生い立ちから、アメリカ留学、ユング研究所での研鑽、その後を記している。ユング研究所での神話研究は、修了論文の紹介も含めて詳細なものとなっている。
「心理療法家の誕生」という副題については疑問が残る。河合は心理療法家なのかということであり、臨床心理学的な文明論者なのだろう…。
河合隼雄は、要するに充足した希代のおしゃべりで、どんな場でも適応していくし、その場その場で楽しめる人なのだなと思う。ユング研究所などでの分析や交流は、それぞれ洗練した人たちとのものであり、下々のものとの交流はみられない。コンプレックスに悩むとはいえ、屈折していない。
学生時代には、交渉の場で、貧乏揺すりを激しくしていたことを記憶している。イラッチなのだなぁとそのときは感じて、揺すられる足を見ていた。河合の講義はうけなかった。河合の臨床心理学には、子どもが正面に座っているとは思えなかったからかもしれない。
色々思うところはあるが、一つの幸福な人間形成の姿が示されている。目次は次の通り。
序章
第1章 丹波篠山に生まれて
第2章 心理学者への道
第3章 アメリカ留学
第4章 ユング研究所の日々
第5章 西洋と日本-神話研究に向けて
終章 新たな物語のはじまり
ユング研究所での資格論文は、The Figure of the Sun Godness in Japanese Mythologyで、古事記・日本書記のアマテラスを中心とした分析(要するに心理学的な解釈で日本という母系社会の原点を示したものであり、一種の文明論)。しかし、古典を読みこなしながら、英訳をし、かつその心理学的で、比較神話学的な分析をおこなったところをかいま見ると、鬼気迫るものがあり、頭が下がる。そのようなものを、おしゃべりでかくしているところに、一筋縄ではいかない扱いにくさがあある。
神話の分析として「男性と女性」として、イザナキとイザナミとの間に生まれたヒルコについての分析もある。ヒルコ神話を歴史学的に分析して、古代における障害者処遇を検討した河野勝行さんの論究とは対称的なものとなっている。
pp.289-292参照のこと
「心理療法家の誕生」という副題については疑問が残る。河合は心理療法家なのかということであり、臨床心理学的な文明論者なのだろう…。
河合隼雄は、要するに充足した希代のおしゃべりで、どんな場でも適応していくし、その場その場で楽しめる人なのだなと思う。ユング研究所などでの分析や交流は、それぞれ洗練した人たちとのものであり、下々のものとの交流はみられない。コンプレックスに悩むとはいえ、屈折していない。
学生時代には、交渉の場で、貧乏揺すりを激しくしていたことを記憶している。イラッチなのだなぁとそのときは感じて、揺すられる足を見ていた。河合の講義はうけなかった。河合の臨床心理学には、子どもが正面に座っているとは思えなかったからかもしれない。
色々思うところはあるが、一つの幸福な人間形成の姿が示されている。目次は次の通り。
序章
第1章 丹波篠山に生まれて
第2章 心理学者への道
第3章 アメリカ留学
第4章 ユング研究所の日々
第5章 西洋と日本-神話研究に向けて
終章 新たな物語のはじまり
ユング研究所での資格論文は、The Figure of the Sun Godness in Japanese Mythologyで、古事記・日本書記のアマテラスを中心とした分析(要するに心理学的な解釈で日本という母系社会の原点を示したものであり、一種の文明論)。しかし、古典を読みこなしながら、英訳をし、かつその心理学的で、比較神話学的な分析をおこなったところをかいま見ると、鬼気迫るものがあり、頭が下がる。そのようなものを、おしゃべりでかくしているところに、一筋縄ではいかない扱いにくさがあある。
神話の分析として「男性と女性」として、イザナキとイザナミとの間に生まれたヒルコについての分析もある。ヒルコ神話を歴史学的に分析して、古代における障害者処遇を検討した河野勝行さんの論究とは対称的なものとなっている。
pp.289-292参照のこと