ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

小野民樹『新藤兼人伝 未完の日本映画史』(白水社、2011年8月)

2019年11月23日 14時45分25秒 | 
原爆関係や「裸の島」関係もあり、小野民樹『新藤兼人伝 未完の日本映画史』を読んだ。面白かった。
必要な個所は、コピーをとったので、こまかなところは割愛。新藤のシナリオがすごいきれる!
目次は次の通り

故郷喪失
瀬戸内流浪
京都哀歌
泥棒の武蔵野
愛妻物語
どん底
待帆荘
大船調
近代映画協会
原爆の子
女の悲劇
裸の島へ
映画監督の生涯
老いとはなにか
ラストスパート
あとがき
新藤兼人全映画作品年譜
主な参考文献

「われら人間家族」で監督をした勝目貴久は、「裸の島」の時の助監督。この映画をつくるときには、プロデューサーと新藤の間にはいって苦労したことを回想している。

『障害児教育史研究』第2号発刊

2019年11月21日 13時45分01秒 | 田村一二
ようやく、『障害児教育史研究』の第2号を発刊できた。時間をみて発送作業をする予定。

目次
巻頭言
太平洋戦争下の東京の知的障害児教育・福祉(清水寛)
明治期の奈良県教育会による盲唖教育施設の創設建議(林喜子)
田村一二と「精神薄弱児の図画」(玉村公二彦・辻好明)
翻刻 精神薄弱児の図画(田村一二)
編集後記


『閉鎖病棟』

2019年11月15日 09時10分41秒 | 映画
映画『閉鎖病棟』をみた。
原作は帚木蓬生の小説、これは単行本のときに購入して、研究室においたままだった。著者は、文学部をでたのち、医学部に学び、精神科医で、小説家。著者の、戦争と医療を描いた『蠅の帝国』『蛍の航跡』の2部作(日本医療小説大賞)を読もうとして、その凄惨さに読めなくなったことがあり、『閉鎖病棟』の本もそのままになっていた。その他、臓器移植に関する『臓器農場』も生命倫理上の問題提起はするどかったが、なかなか受けとめられなかったもの。
映画『閉鎖病棟』は、それぞれの事情がある人たちが、精神科病棟での交流と癒やし、そして事件と新たな出発を予兆させる場面が描かれる。高齢者の介護、性的暴行、精神疾患、過程や地域への移行の困難などが織り交ぜられて考えさせられる。ちょっと、設定が無理なところもないではないが・・・。
撮影が行われた病院が、旧の国立療養所の建物のようにみえたので、最後のエンドロールで確認すると、長野県の国立病院機構の小諸高原病院であった。沿革は以下の通り。

1943年 - 陸軍結核治療研究機関として建物が落成。
1944年 - 陸軍軍医学校小諸診療所を開所、結核患者を収容した。
1945年 - 陸軍解体により厚生省へ移管され、12月1日に国立東京第一病院小諸分院となる。
1950年 - 4月1日、国立小諸療養所に改称した。同日、国立長野療養所菱野分院(北佐久郡大里村)を国立小諸療養所分院菱野療養所に組織再編した。
1956年 - 3月1日、分院菱野療養所を閉鎖し、小諸療養所へ統合。
1963年 - 4月1日、精神療養所に転換。
1977年 - 7月1日、重症児病棟を併設。
1995年 - 4月1日、老人性痴呆疾患治療病棟を開設。
2001年 - 厚生労働省へ移管。
2004年 - 独立行政法人国立病院機構に移行し、小諸高原病院と改称。
2007年 - 1月、医療観察法病棟が完成。

もともとは、結核病棟、1960年代の病棟転換で、精神の療養所になり、おくれて重症心身障害児病棟もできる。国立療養所で、精神科に転換したところについてもみてみる必要があるなあと思った。

マチネの終わりに

2019年11月08日 22時23分31秒 | 映画
「マチネの終わりに」をみた。福山雅治と石田ゆり子の主演。音楽家とジャーナリスト。パリとニューヨーク、そして日本、東京と長崎にも及ぶ、ダイナミックなラブストーリー。平野啓一郎による原作、このようなダイナミックなストーリーテリングに圧倒されて、その後、本屋に行って、原作を手におもわずとった。その序文を読んで、深く感じ入る。これは、フィクションなのか、あったことなのか。序も含めて、虚構なのか、演出なのか、それとも。この本を読んでみたいという思いは、この原作の罠なのか。

「マチネ」とは昼の公演のこと。「マチネの終わりに」

「米軍が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯」

2019年11月06日 14時27分39秒 | 映画
「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が上映されて2年。日記をもとに「カメジロー 不屈の生涯」が製作された。
前作も見に行ったが、本人の演説を学生時代に聞いたことがあるものとしては、いまひとつ迫力が・・・という感想。あのときの、ちんちくりんな小柄のおっちゃんの印象が強すぎるのか、もうひとつものたりない。その生涯、戦前、鹿児島の七高に在学し、運動で放校となり、治安維持法の弾圧も受けたことなど、戦後一貫する姿勢をつくったものに触れる思いもあった。


越野和之『子どもに文化を 教師にあこがれと自由を』全障研出版部、2019年

2019年11月05日 22時11分28秒 | 
『みんなのねがい』誌に連載していたものをまとめた『子どもに文化を 教師にあこがれと自由を』をいただいた。
はじめから、「子どもの味方になる」と直球が。続いて、「子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ」と、ド・ストライクが投げられる。カーブとか、チェンジアップとかはないのかと、ぼうぜんと、見逃してしまうのであった。
讃岐うどんのようなもちもちとした文体。教育実践のうまみをすくい取るような表現でもある。ある意味、そつがないのは、茂木先生にも似ているのかな・・などと思ったりもした。もくじは以下の通り。

序 「子どもの味方になる」ために
1.子どもの〈声〉を聴き、その悲しみをつかむ
2.悲しみを乗り越える糧となる文化を手渡す
3.障害をもって生きる社会の主人公を育てる
4.教師にあこがれと自分の頭で考える自由を
5.なかまと出会う、なかまの中で生きる―教育における集団の意味と集団指導の課題

ぼくも、文化を中心に教育を考えるのだが、僕のイメージする文化はちょっと下品なので、著者のいう「文化」とちょっとちがうかもしれない。「こういう表現はできないなぁ」とつくづく思う!

新藤兼人『新藤兼人・原爆を撮る』(新日本出版社、2005年)

2019年11月04日 10時24分04秒 | 映画
『新藤兼人・原爆を撮る』を読んだ。奈良の「であいのある世界展」に行ったり、来たりしている間に、そして、夜に一気に読んでしまった。文体が簡潔で、読みやすい。これは、映画の監督であり、脚本を書く人だからだろう。自分自身の文体の見直しも考えたい。
その一方、ひかれたのは「ヒロシマ」である。戦後の映画が見つめてきた「原爆」これについて、書いてみたいと思った。

目次は次の通り
1.原爆の子
2.第五福竜丸
3.8・6
4.さくら隊散る
5.原爆小頭児
6.ヒロシマ-未発表のシナリオのこと
シナリオ ヒロシマ
「あとがき」にかえて-短編小説「蟻」

それぞれについて、資料・脚本などがついている。特に、長田新の「原爆の子」の本からストーリー映画をつくることについては新藤のヒロシマへの思いや実の姉が看護婦で、直後に、看護要員として広島に入り、その惨禍を聞いていることも動因としてあるだろう。原爆小頭症については、テレビドキュメンタリー(1978年8月6日)テレビ朝日での放送のもの。原爆小頭症のことなどについてはコピーを取っておこう。

「星に語りて」を観る

2019年11月03日 22時39分13秒 | 映画
奈良教育大学で行われている「で・あいのある世界展」と同時開催された「星に語りて」の映画会にいった。2011年3月11日の東日本大震災をテーマにした「きょうされん」製作の映画。脚本は、「どんぐりの家」の作者山本おさむ、監督は松本動。8年前の当日のことを思い出し、その一週間余後に開催された「障害者制度改革地域フォーラム」でのことを思い出した。地域フォーラムの開催にあたって、震災についてどのように対応したら良いかも議論したように思う。そのときの、閉会の挨拶の担当だった。このブログにも、そのときのことについては書いていると思うが、「声が出せない人の分まで声を出そう」というものだった。この映画も、そのとき、声が出せなかったことを思い起こしながら、支援活動をどのようにしていくかという実践的な観点からつくられている。映画として見るというより、事実を思い起こしながら考えるということが期待されているものだろう。

本庄豊『なつよ、明日を切り拓け 連続テレビ小説「なつぞら」が伝えたかったこと』(群青社、2019年)

2019年11月01日 08時48分42秒 | 
本庄豊『なつよ、明日を切り拓け 連続テレビ小説「なつぞら」が伝えたかったこと』を読むことができた。今年前半のNHK連続テレビ小説「なつそら」を題材に、戦後史として対話していくというもの。
7月18日に起こった「京都アニメーション放火事件」にも触れられている。目次は次の通り。

まえがき
序 京都アニメーション放火事件
1.戦争孤児たちの終わらない「戦後」
2.開拓一世・柴田泰樹と十勝の人びと
3.未完の画家・神田日勝
4.新宿中村屋とムーランルージュ新宿座
5.「白蛇伝」「太陽の王子 ホルスの冒険」
6.戦後に花咲く新劇運動
7.よつば乳業の創立
8.東映動画争議と「アルプスの少女・ハイジ」
終 労働と芸術、反戦と共同、そしてジェンダー
特別寄稿 依田便三と晩成社-柴田泰樹前史(平井美津子)
あとがき
「なつぞら」関連略年表

著者は、『戦争孤児』(新日本出版)の著者でもあり、その観点から「なつぞら」の主人公で孤児だった「なつ」の成長とそれを支えた人たちを温かくみつめ、同時に、それを可能にした大森寿美夫の脚本を歴史と重ねて読み解いていく。それには、著者の体験も書き加えられている。東京の大学で青春時代をおくった著者であるので、アニメ映画やテレビの思い出と同時に、東京を舞台にした新劇運動、東映動画のこと、新宿の様子などのイメージも書き込まれている。僕は、関西にきてしまったので、大野松雄さんの聞き取りをしていても、東京の様子はイメージがしにくいことも多いので、叙述のリアリティということも考えさせられた。時はたっていても、その場にいかないといけないよなと出不精な自分に反省。
末尾にある「なつぞら」関連年表は一目で成長や時代背景がわかり、ありがたかった。

「あとがき」に「心残として、「日本アニメの創成期を支えた音楽家たちに言及することが少なかったことである。これは音楽家が「なつぞら」に登場していないことや、ぼくの力不足あんどが理由で或。別の方の研究に待ちたい」とある。さしずめ、この本で「口パクテレビアニメ(人間が静止したまま口だけ動く虫プロの「鉄腕アトム」のようなアニメのこと)」として名前が挙げられている「鉄腕アトム」の音響をやった大野松雄さんの聞き取りをまとめるないとと思う(最近、あってはいるが、意識的な聞き取りはできていない)。

「口パク」アニメの大変さのことについては、よくきかされていたが、同じような仕事の状況を東映動画も抱えていたのだろう。とはいえ、そこでつくられ、本庄市を魅了した「白蛇伝」(1958年)の最初の企画の歳の音づけは大野さんが関与したとのこと(いったん企画が没になったので、その音は使われなかったのが結末だが)。
この「白蛇伝」、声優に森繁久彌と宮城まり子を起用。

「宮城まり子は一九五五年、戦争孤児の暮らしを歌う『ガード下の靴みがき』(作詞・宮川哲夫、作曲・利根一郎)を大ヒットさせる。当時、靴磨きは戦争孤児たちの仕事だった。歌詞の一部を唱歌しよう。

 おいら貧しい 靴みがき
 ああ 夜になっても 帰れない
 墨に汚れた ポケット覗きゃ
 今日も小さな お札だけ

 宮城まり子を女優・歌手に押し上げたのは、作家・菊田一夫である。菊田は戦争孤児を主人公にしたラジオドラマ「鐘のなる丘」の脚本を書いた。「なつぞら」では、ムーラン・ルージュの歌手だった煙カスミが、メランコリーのステージで「ガード下の靴みがき」を歌った。なつも孤児だったとき、靴みがきをしていた」(73頁)

「百獣の王サム」が「狼少年ケン」、「魔法使いアニー」が「魔法使いサリー」、「キックジャガー」が「タイガーマスク」(タイガーマスクも孤児)、「大草原の少女ソラ」が「アルプスの少女ハイジ」などなど、それにまつわるコメントが興味深い。

装丁のことで、ちょっと一言。どうも、行間がひろくって、読みづらい。目が悪くなっているせいかもしれないが、技術的なこと。