糸賀一雄没50周年。その源流をたどると木村素衛、そしていわゆる「京都学派」にいく。そんな関係で、「京都学派」について、よんでいる。武田篤司『物語「京都学派」』(中公文庫、もともとは、2001年に中公叢書として出されたもの)。これは、京都学派最後になくなった下村寅太郎の史料整理からできたもので、私信の引用などがあって興味深い。晩年の田辺元の生活、野上弥生子との関係など、人のつながりがよくわかる。
東大の井上哲次郎との関係で、自ら考えることを追求した西田・田辺たちの京都帝国大学の哲学科。その広がりの中で、いろいろな人たちの開かれた学びができあがっていく姿をとらえている。東大のケーベルの弟子、波多野精一の哲学史・宗教哲学では、糸賀が最後の卒業生となった人その晩年が「波多野精一「バラの情熱、白百合の清楚」」。糸賀が代用教員時代に慕った木村素衛は、「木村素衛の「玉砕」」として西田の亡くなった後の死を書いている。「数理哲学はいきな学問」(木村)「教育学はやぼな学問」(高坂)「いや、俗な学問さ」(木村)と・・・。俗のなかにずっぽりとつかりながら、教育学の構築を行おうとしたのだが。
同時に、哲学科をでてから教師になったものも「小学教師、唐木順三」のこともたどりたい。戦後は築地書房をつくった。それ以外は、『われらが風狂の師』のモデルとなった、「奇人「土井虎」の面目」も面白い。