ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

武田篤司『物語「京都学派」-知識人たちの友情と葛藤』(中公文庫)

2018年08月19日 10時54分21秒 | 

糸賀一雄没50周年。その源流をたどると木村素衛、そしていわゆる「京都学派」にいく。そんな関係で、「京都学派」について、よんでいる。武田篤司『物語「京都学派」』(中公文庫、もともとは、2001年に中公叢書として出されたもの)。これは、京都学派最後になくなった下村寅太郎の史料整理からできたもので、私信の引用などがあって興味深い。晩年の田辺元の生活、野上弥生子との関係など、人のつながりがよくわかる。

東大の井上哲次郎との関係で、自ら考えることを追求した西田・田辺たちの京都帝国大学の哲学科。その広がりの中で、いろいろな人たちの開かれた学びができあがっていく姿をとらえている。東大のケーベルの弟子、波多野精一の哲学史・宗教哲学では、糸賀が最後の卒業生となった人その晩年が「波多野精一「バラの情熱、白百合の清楚」」。糸賀が代用教員時代に慕った木村素衛は、「木村素衛の「玉砕」」として西田の亡くなった後の死を書いている。「数理哲学はいきな学問」(木村)「教育学はやぼな学問」(高坂)「いや、俗な学問さ」(木村)と・・・。俗のなかにずっぽりとつかりながら、教育学の構築を行おうとしたのだが。

同時に、哲学科をでてから教師になったものも「小学教師、唐木順三」のこともたどりたい。戦後は築地書房をつくった。それ以外は、『われらが風狂の師』のモデルとなった、「奇人「土井虎」の面目」も面白い。


大門正克『語る歴史、聞く歴史 オーラルヒストリーの現場から』(岩波新書、2017年)

2018年08月12日 22時14分25秒 | 

大門正克『語る歴史、聞く歴史 オーラルヒストリーの現場から』(岩波新書)を読んだ。

歴史を受け止め・受け継ぐ主体とは切り離して、傍観者的に、情報を横のものを縦にしたり、文字情報を入れ替えてみたする歴史研究や外国研究について違和感を持っていたところだったので、この本はとても響いた。いま、戦後史を生きた人の聞き取りをやっているので、重ねて、反省もするところも多くあった。

本書の目次は次のようになっている。

はじめにー「語る歴史、聞く歴史」から開ける世界

第1章 声の歴史をたどるー幕末維新の回顧録から柳田民俗学まで

第2章 戦後の時代と「聞く歴史」の深化ー戦争体験を中心にして

第3章 女性が女性の体験を聞くー森崎和江・山﨑朋子・古在ゆき子の仕事から

第4章 聞き取りという営みー私の農村調査から

第5章 聞き取りを歴史叙述にいかす

第6章 歴史の広がり/歴史学の可能性

あとがき

 

「沈黙」ということ、語られなかったことを、歴史に位置づけるという仕事を考える。

 


『やさしくなあに』(伊勢真一監督)

2018年08月09日 22時33分58秒 | 映画

8月7日、ホテルオークラの設立130周年記念の映画会で『あさしくなあに』が上映された。

伊勢真一監督のあいさつもあった。奈良の方々、元寄宿舎指導員の人たちと一緒にいった。ぼくは、3回目だが、見るたびに新たな発見がある。日比谷では、『夜明け前の子どもたち』との対比で、『やさしくなあに』をみた。今回は、『奈緖ちゃん』『ピグレット』『ありがとう』の継続として、『やさしくなあに』をみた。『やさしくなあに』は、これまでの映画との入れ子構造になっているので、『やさしくなあに』だけ見ても気づかないこともある。自分たちの仕事との関係で見ている元寄宿舎指導員の型は次のようにコメントしてくれた。

 ご飯をみんなで作ったり、男性と一緒のフロアだったり、とてもアットホームなところだなと思いました。寄宿舎の雰囲気に近かったですね。電話のシーンはほんとそうそう(^.^)と思いました。昔は公衆電話に並んだりしてました。今は携帯ですからいつでもかけられますね。安心を確かめたいんですね。本人さんにしたらお母さんが寂しがってると思ってるかもしれませんが。

 それと、お母さんにお薬を飲ませてあげるシーン、お茶をお父さんにとテーブルに置くところ、寝たら風邪ひくよとこれまで自分がしてもらってたことをさりげなく、親にしてあげる。そんな力も家だけでなく、学校や作業所やホームでつけた力なのかなと思いました。撮っている人への信頼があって、ごく自然に生活の様子が切り取られていてすごいと思います。生活の視点で撮るとはこういう事なんだと改めて思いました。人の内面が表現されたリアルな映像でした。

 ご飯をみんなで作ったり、男性と一緒のフロアだったり、とてもアットホームなところだなと思いました。寄宿舎の雰囲気に近かったですね。 

 思ったより、お家のシーンが多かったのはやはり家族の物語だからですね。お父さん、お母さんの葛藤に35年という年月の重みをひしひしと感じました。きれい事ではない真実があって、やさしくなぁにが染み入りますね。

 お母さんたちは、また別の見方をしているように思う。「おとうさんはわかってない!」ということも・・・。

 最後に、津久井やまゆり園の事件に関するコメントがでて、身が引き締まったのだが、その後、奈緖ちゃんの寝顔が映し出されたところは、夜の安心やねむりをなんとしたも守るという決意を見せつけられたように思った。

やさしくなあに応援団

 


沖縄スパイ戦史

2018年08月07日 10時14分13秒 | 映画

京都シネマで上映されていた、「沖縄スパイ戦史」をみた。

陸軍中野学校から沖縄に派遣されたエリート将校たち。御郷隊の隊長となった、村上治夫・岩波壽と少年たちの御郷隊の運命がはじめに跡づけられる。それだけではない。住民たちを監視し、相互に疑心暗鬼をつくりだし、米軍に対抗するようにコントロールしていく。村の牛や山羊を軍隊の食料にするために、住民をマラリアの蔓延する今に強制疎開させるなどなど。それは、来たるべき本土決戦のための第一の防波堤・捨て石だった。中野学校のエリート将校は、どうなったのか?村上と岩波は、戦後、戦死した御郷隊の子どもたちをともらうことを課してきた。その一方、波照間にきた、「山下虎雄」を名乗る工作員は、やさしく子どもたちに接し、住民たちの信頼をえたうえで、突如変貌し、軍刀の圧力の元、住民へ「西表島」への移住を強要した。軍刀は、おそらく使用されたのであろうが、映画の中では暗示はされるが、その記憶は軍刀とともに遺棄されている。山下虎雄は、戦後、工場の経営者となったという。電話取材でのその肉声が残っていた。当時の軍の事情を一般的にのべ、みずからの行いについての証言はない、住民への謝罪はもちろんない。山下こと、酒井の心の中はどうかはわからないが、沖縄とは無関係に戦後をあゆむ。

村上・岩波と山下の対照的な姿を垣間見る。中野学校から沖縄にわたり、工作にあたり、戦後、特殊教育の研究者になった斎藤義夫についてその足取りを跡づけてみたい。一時は、琉球大学に職を移したこともあったという。斎藤の心中はどのようなものだったのか?

同時に、陸軍中野学校の本土決戦準備は全国にひろがっていた。参謀本部から出されたパンフレット「国民抗戦必携」「対戦車戦闘」、美術学校にいっていた兄がイラストを描いていた関係で、そのパンフレットを家で見た15歳の大野松雄は「こりゃもう2年がいいとこかな」と思ったという。

「軍隊は私たちを守るのではない。基地を守るのであり、命令を出すものを守るのである」

73回目の8月15日がこようとしている。


河合隆平『発達保障の道 歴史をつなぐ、社会をつくる』(全障研出版部、2018年)

2018年08月06日 09時36分03秒 | 

河合さんから、『みんなのねがい』の連載がまとまったということで、『発達保障の道 歴史をつなぐ、社会をつくる』が送られてきました。コンパクトにまとまった本なので、すぐに目を通すことが出来ました。

目次と概要は以下の通り

はじめに

「みんなのねがい」の歴史学へ:口丹地域での養護学校づくりと親の願い

手のつなぎ方にも教育がある:青木嗣夫と学級・学級づくり

生活と文化をつくりだすしごと:清水寛、大野英子の障害児学級での取り組み

ねがいを寄せ集める器:東京文京区の不就学をなくす運動と茂木俊彦

根っこを照らし新たな地平を開く光:「保育元年」「光の中に子供たちがいる」と大野松雄

実践に人あり、人に歴史あり:森永ヒ素ミルク中毒事件と大塚睦子

いのちをつなぐ営み:江戸時代の「捨て子」をめぐって

自分たちでいのちを守る:岩手県沢内村

生きることを肯定する社会へ:優生学・優生思想

戦争経験と平和への問い:光明学校の学童疎開

人間の痛苦と基本的人権の思想:伊東千代子と治安維持法

発達保障の道をみんなで歩く

おわりに

 

 


北杜夫『夜と霧の隅で』新潮文庫

2018年08月02日 17時34分46秒 | 

北杜夫『夜と霧の隅で』(新潮文庫)の表題の短編を読んだ。

「第二次大戦末期、ナチスは不治と見なされた精神病者に安死術を施すことを決定した。その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうと、あらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩苦闘を描き、極限状況における人間の不安、矛盾を追及した芥川賞受賞の表題作」である。


黒柳徹子『トットの欠落帖』新潮文庫

2018年08月01日 23時16分47秒 | 

黒柳本『トットのッ欠落帖』を、一連の経緯の中で読んだ。長い間、持ち歩いて読んでいたので、カバーがぼろぼろになってしまった。

ことし、自分自身の「欠落」について思うところがあり、これまでの自分自身の歩みを振り返ってみたりする。「常識」という点でも、難あり。

結婚式の祝儀を知らなかったりするところは、ちくっと刺さるものがある。知らないので、おみやげ、ご祝儀などなど、理解しがたいところがある。わたしも「欠落」している。ありがたいと感じるのも鈍感である。

黒柳さんが、早食いで、多弁のことを記しているが、早食いは共通している。僕自身は食べ物にこだわりもあまりないが、自分自身の食の経験が乏しいことにも思い当たった。みんなは、「給食はまずかった」というが、給食には食べたことのないものがでた、「パン」「ハムカツ」などなど、それと「牛乳」も、山羊の乳で育ったものとしてはおいしいと感じていた。そんなこともあったので、給食はとても早く食べた。おいしいものを、味わって食べるという経験は乏しいのだろう。

幼稚園の職場にいたとき、言葉とは裏腹の感情については鈍感だった。「欠落」も、黒柳さんの場合には、個性だが、私の場合は顰蹙である。

この本、おもしろいのだた、苦い味もする。