寄宿舎教育研究会・運営委員会で話題となった湯浅誠『反貧困』を読んだ。
セーフティネットの三層構造(雇用のネット、社会保険のネット、公的扶助のネット)それぞれが破れている。雇用のネットから滑り落ちると、すぐさまどん底の生活まで転げ落ちてしまう社会。
そのイデオロギー的表現、そして私たちが強く内面化してしまっている「自己責任論」を丁寧に引きはがしてくれる。そこで、必要な「溜め」として外界からの衝撃吸収のクッションであり、同時にエネルギーをくみ出す諸力の源泉となる「潜在的能力」(セン)の重要性を指摘している。人間は、社会的関係の総和なのであり、どれだけ社会的関係のネットがあるかが、その人の「溜め」であり「潜在能力」の豊かさを決め、人格の豊かさをも決めるのである。
アマルティア・セン「開発/発達とは、人々が教授するさまざまの本質的自由を増大させるプロセスである」「開発/発達の目的は不自由の主要な原因を取り除くことだ。貧困と圧政、経済的機会の乏しさと制度に由来する社会的窮乏、公的な施設の欠如、抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為などである」。すなわち、「発達」とは単に所得を上げるだけではなく、望ましいさまざまな生活状態に近づくたまの自由度(潜在的能力)をあげていくことであるということだ。
国も、地方自治体も、企業も、社員も、学校も、家庭も、今や誰もが「サバイバル」を口にし、一瞬でも気を抜いたら負けてしまうと危機感を煽っている。その焦りや余裕のなさ(「溜め」の欠如)が、ますます人を遠ざけている。多少でも余裕のあることが何か罪深い「怠惰」の証であるかのように、焦り、切り捨て、切り捨てられ、あげくの果てに自分で自分の首を絞めてしまっている。個人の「溜め」を増やせないのは、その組織や社会が「溜め」を失っている証拠に他ならない。
人間を再生産できない社会に「持続可能性」はない。私たちは、誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである。
NPO法人自立生活サポートセンター・もやいのホームページには生活保護費の自動計算ソフトがある。