ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

不破哲三『マルクスは生きている』平凡社新書、2009年

2009年06月16日 14時25分51秒 | 
『マルクスは生きている』は、マルクスの哲学・経済学・そして革命(未来社会)論の3つの柱で、マルクスの功績を跡づけつつ、その現代的な発展、あるいは現代社会の見方に関する問題提起をしたものである。
構成は次の通り。
第1章 唯物論の思想家・マルクス
第2章 資本主義の病理学者・マルクス
第3章 見たい社会の開拓者・マルクス

いくつか興味深い箇所を記しておきたい。
「”大洪水よ、我が亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国家のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの考慮も払わない。」(社会による強制・ルールある社会への要求)
「(生産者と消費者の美徳振り捨てさせて)一般庶民の生活様式そのものが、大量消費・大量廃棄型につくりかえられた…資本者主義社会は人類に対する責任を果たすことができない…」
「(生産者が主人公になる社会)生産活動そのものが、多くの場合、生産者の集団的な活動として発展しています。だから、生産手段を労働する生産者の手に移すといっても、個々の生産者の手にではなく、集団としての生産者の手に移すことが問題になります」(集団の役割)
「人間のぜっめんてきはったつの問題、すなわち、すべての人間にその能力を全面的に発達させる機会と条件を保証することが、社会自身の大目標になる、という点です」(p.163)→「その要となるのが『労働日の短縮』」(「人間の力の発達の根本条件」)発達の物質的条件

この間、発達権と発達保障ということで、「個人の発達と集団の発展、そして社会の進歩」の関係を考えていて、集団の位置づけが曖昧だったのが、すこし整理がついたように思える。

全国大学高専教職員組合編『大学破壊-国立大学に未来はあるか』旬報社

2009年06月01日 13時22分30秒 | 
大学情勢ということで、最近出版された『大学破壊』をよんだ。
国立大学の法人化以降の大学の状況を示したもの。

はじめに
第1章 「駅弁大学はもういらない」!?
第2章 「大学教授」を目指す若者がいなくなる日
第3章 いつまで続く「研究費獲得コンテスト」地獄
第4章 沈没寸前の国立大学号、乗組員の大脱走が始まった
第5章 高すぎる教育費は少子化・隠させ合い精算の元凶だ
第6章 混迷深める国立大学の近未来

この間、人事院勧告にそって0.2ヶ月分の夏期一時金のカットがあり、交渉となっているが、この本の中では…次のようなことも記されている。

「法人化後の多忙でこうした実態(勤務実態)は厳しくなる一方だが、給与水準はなんと逆に悪化している。文部科学省はホームページで、大学職員の給与水準が田の国家公務員全体とどれくらいの差があるか、毎年公表している。それによれば、2007年度は、国家公務員全体の平均を100とした場合、国立大学の職員は86.7%にすぎない。しかもこの数字は、前年よりも0.3%悪化しているのだ」(p.90)
給与水準が、国家公務員の86%にとどめられていて、業務はそれ以上している実態があり、そこに公務員と同じ0.2ヶ月のカット自体が不利益を増幅させているといえる。

同じく、付属の先生方は、公立学校の教員に比して月2万円程度給与が下回っている実態もある。

大学教員では、民間の病院から着任された方が教育職となり、保健管理センターの業務を行いながらも、医者としての手当ても十分出ていないという実態がある。通
常の教員の場合も、裁量労働制で多忙に重ねて、私学に比して低い給与水準になっていることは事実です。これでは、他の大学に出て行ってしまう教員が出ても仕方がない。