ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

相馬御風『馬鹿一百人』(実業之日本社、1933年)

2017年10月24日 15時39分02秒 | 
田村一二の『ちえおくれと歩く男』をよんでいたら、相馬御風の『馬鹿一百人』を愛読していたとあったので、取り寄せて読んでみた。
相馬は
早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よこい」などの作詞者。糸魚川出身の文人である。糸魚川には、糸魚川歴史民俗資料館(通称を相馬御風記念館)があり、御風の生涯や業績を展示しているが、「明治・大正・昭和の三代にわたり歌人、詩人、自然主義評論家、作詞家、翻訳家、随筆家、郷土研究家、さらに良寛研究の第一人者と、文芸全般にわたって活躍しました」とある。

この本は、相馬が、20年近く心がけて書き溜め書き試しておいた約60篇の痴人行状記。
緒言にいわく・・・
世間から痴者と認められ、阿呆とさげすまれ、馬鹿と嘲られているような人たちの生活ぶりに、異状な興味を感じてきた。本書に収められた物語の大半は、私の見聞したそれらの人々の行状記である。そしていずれも私みずから泣かされたり、笑わされたり。反省させられたり、また教えられたりしたところのものであった。

農村社会が、知的障害や精神障害のある人たちを、ゆるやかに、寛容に受け止めていたことが知られるので、興味深い。
しかし、今の社会と世相にたいして、「何が馬鹿なのか?」「馬鹿はどっちやねん」との、相馬の声が聞こえるような気がする。

ホープの煙

2017年10月22日 09時16分47秒 | 
森まゆみ『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)を読んだ。この題名、アンナ・ハーレントの著書からとったもの。戦前の日本での「小さな灯火」をともし続けた人たちのことを記したもの。
取り上げられている人たちは、斎藤隆夫、山川菊栄、山本宣治、竹久夢二、久津見総子、斉藤雷太郎と立野庄一、古在由重、西村伊作である。それぞれにつて、記しておきたいことはあるが、特に印象にのこったひとつだけ。

京都の喫茶店フランソアに集った人たち、その人たちが発行した「土曜日」の記事。おおらかで庶民感覚にあふれた斉藤の文章、「七円と九銭の弁当」のこと。昭和の12年頃、近衛文麿が「社会正義」をかかげて登場。その近衛の弁当の値段をあげて近衛内閣の本質を指摘したもの(その箇所はみてほしい)。
「かように考えれば、近衛さんは日本のホープだと評判はよいけれども、ホープはホープでも、専売局から売り出す両切りのホープで、吸えば煙になるホープではあるまいか」(「土曜日」昭和12年6月20日)

いまの時代も、「暗い時代」となりつつある。言論の自由はなくなりつつあるし、民主主義もあやういのだが、それを冠した政党が、機密保護法、安保法制など戦前回帰の自由と民主主義を圧迫する始末。これまた、たばこにたとえれば、両切りの「ピース(平和)」で、だいぶニコチンが強く、強い刺激のきな臭いにおいを発している。、それに対抗するといってでてきた新しい勢力もどうなのか。「ホープ(希望)」とはいえ、両切りホープ、斉藤が書いているように「吸えば煙になるホープ」。「新しい」「しがらみのない」というが、斉藤が「吸えば煙になるホープ」と書いた暗い時代のにおいがする。


大義なき総選挙の日に

2017年10月22日