ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

西尾典祐『城山三郎伝-昭和を生きた気骨の作家』(ミネルバヴァ書房、2011年3月)

2011年07月12日 18時33分57秒 | 
西尾典祐『城山三郎伝-昭和を生きた気骨の作家』(ミネルバヴァ書房、2011年3月)に目を通した。経済小説の分野、政治小説の分野を切りひらいた作家の生い立ち、こだわり、作品づくり、人とのつながりを記したもの。作者は、よく知らない人だが、城山三郎が自身の資料を寄贈した「文化のみち二葉館」(名古屋)を担った人。奇遇な縁でのつながり、城山三郎の資料の整理をしつつ、書き下ろしたものである。目次は次の通り。


はしがき
第一章 少年時代――模範的な学校生活、そして戦争体験
名古屋の繁華街に生まれる/八重小学校/名古屋商業/軍隊生活

第二章 学生時代――学びの日々、病から生じた詩心
小林歳雄との出会い/予科時代/本科時代


第三章 兼業作家――大学に勤めながら、経済小説の旗手へ
新生活・結婚/文筆活動開始/「総会屋錦城」・直木賞/流行作家へと邁進する/ある触発

第四章 足軽作家――歴史小説に進出、文章家として開眼
中国人作家との交流/再び小林歳雄/足軽作家/多作多忙、ゴルフで気分転換/『落日燃ゆ』にて開眼す

第五章 反骨作家――権力におもねらず、我が道を行く
オイルショック後、作品の多面化/『男子の本懐』/身体の不安・放送文化賞/反骨精神/父と死別/昭和の終焉


第六章 一日即一生――愛妻との死別、国家との対立
バブル崩壊/平成2~10年の活動/愛妻との死別・個人情報保護法/二葉館会館/お別れの会

参考文献
あとがき
城山三郎略年譜
人名・事項索引

総括は、p.338 「昭和」を描いた作家の項参照

「人」と「障害児のとりで」-京都府議会議事録から

2011年07月07日 23時33分42秒 | その他
京都府の障害児教育の発展を調べている。
議会の議事録を調べてくださっている特別研究員(奈良教育大学障害児教育研究室所属)からの情報があった。
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府議会議事録に「障害児の砦」が二回放映されるなど……という昭和49(1974)年に教育長が教育長の答弁がある。
昭和49(1974)年2月府議会
3月6日の杉本源一議員の

「私はこの際、京都における障害児教育を推進するため、また障害者の生活と権利を守る要求を実現していくために、すぐれた与謝の海養護学校を生きた教材にして、これを映画にし、多くの府民に、また学校で、障害児者に対する正しい理解を育てるために、大々的な宣伝、啓蒙、教育の活動を展開してはと思います。近畿テレビが、2回にわたって放映をし、視聴者に大きな感銘を与えていますが、これはまさに憲法をくらしの中に生かし、人間を大切にする民主府政にふさわしい計画だと思います。またすぐれた府民の財産をみんなのものにしていくうえからも重要です。」

の質問に、大八木教育長が次のように答弁していた。

「与謝の海養護学校の活動等につきましての広報映画をつくってはどうかというふうなお話でございますが、昭和43(1968)年に、向ヶ丘養護学校の障害児を扱った映画であります「人」というものの製作を広報課のほうでしていただきまして、府民をはじめ関係者にこれを見せて、障害児教育、向ヶ丘養護学校についての紹介につとめております。昭和45(1970)年には、与謝の海養護学校を中心といたしました「障害児のとりで」という映画を製作いたしまして、これまたテレビで放映をいたしましたり、一般の利用に供しておるわけですが、この映画はとりわけ全国各地の教育関係者から非常な関心を呼びまして、現在までに百数十件に及ぶ利用が記録されております、非常に効果をあげておると申していいと思うわけでございます。障害児教育というものは、もちろん年々教育内容が充実、向上いたしておりますし、施設等につきましても新しいものができていくわけでありますので、先ほどお話がございましたように、今後はこういう新しい、さらに進んだ内容等につきましての映画記録等を撮りまして、広く府民の方々なり関係者に見せていくという方法は大切であろうと思いますので、今後検討を進めさせていただきたいと存じます。」