ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

相互監視社会

2015年10月04日 23時02分08秒 | その他
京都新聞の「凡語」(2015年10月4日)には次のような発言があった。

表現の自由が制限された戦後の検閲は×や◯で言葉の一部を伏せて示し、あまりに
多い場合は発禁処分になったという。一方、戦後の占領軍検閲は作品そののもの
を削除する等、痕跡を残さないのが基本だった。
戦前戦中の単価を検証して来た三枝昴之さんは、検閲の後を露出することで、ブ
レーキをかけたとみる。そして、権力者の検閲より怖いのが「自主規制」だと説
いた。
永田和宏さんは、伏せ字も怖いが自主規制によって言論人に執筆依頼がなくなる
ことがもっとも怖いと語った。発言の場を奪われ沈黙させられた人は、沈黙の事
実さえ発せられずに封殺されてしまう。永田さんは<権力はほんとうに怖いだが
しかし怖いのは隣人なり互いを見張る>と詠む。民衆が民衆を見張り、自主規制
を求める社会では息が詰まる。

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1 コメント

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○と×の違いの検閲 (○×)
2015-10-06 00:36:35
 兄の本棚を子供心に読んで×が多くある本を見て変に思っていました。成人してそれが戦前の本であったとわかりましたが、特にプロレタリア文学という本には×ばかりでした。小林多喜二の蟹工船の本が一時話題になりましたが、あれは小林多喜二が書いた文そのものが復元されていません。××××ばかりを前後や検閲の特徴から考えて戦後書き加えられたものです。目に見えてわかる検閲。目に見えない自主規制という検閲。後者の方が恐ろしい気がします。日本史が必須科目になるのは、文部科学省が特に検閲を強めた教科書会社が採用され内容にさせられ膨大な損失を被ったからです。恐ろしい時代です。ちなみに戦前の検閲ではいわゆるわいせつ本は、○○○とされていました。○と×の違い。
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