フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

hijiri

2017-05-11 06:55:07 | Weblog

聖神社へ再び。天気がいいので久しぶりに聖神社に行ってみようということになった。といっても久しぶりは自分だけだが。シェルパ君は四国八十八カ所の歩き遍路に出かけた。彼にとっては初めてのロングトレイル。その前に龍馬脱藩の道で体ならしとけばよかったのにと思うけど。さてどうなりますやら。聖神社は投げ込み堂だから初めて見た人はびっくりするだろうね。ガムシャラ君やイガン君は初めてだから驚くだろうな。それでは、行く準備をじます。時間的余裕があるから今から準備で間に合うんですよ。

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月の宿

2017-05-10 08:47:44 | Weblog

南の大統領が決まりましたね。さほど日本では話題にならなかったのですが朴がパクられての選挙でしたので保守系旧与党は旗色が悪かったでしょう。それで革新系野党からの候補ムンジェイン氏がこの度大統領として選出されました。英語での発音を聴いているとムーンジェインと聞こえるので「月の宿」かとムーディに感じてました。が実際はmoon jae-inとnが1個ないので月だけなんですけどね。まぁ、韓国に現れた「月よりの使者」と言ったところでしょうか。韓国人のメンタルって北の核開発に対しても「わが民族は頭がいい」くらいなもんだからこのムーンもそんなに違っていないんでしょうね最初は一生懸命やるんでしょうが最後は逮捕が待ってるもんですから彼も慰安婦像の設置をせっせとやるんでしょうとくらいにしか思っていない。彼も最後には「私のことは読売新聞を読め」とどこかのバカのように言うんでしょうかね。オレは読売はとってないんだけどな。まぁ、どこもかしこも似たり寄ったりだから笑えないことではあるけどね。

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人がいなくなった

2017-05-09 07:59:19 | Weblog

「人がいなくなった」限界集落から消滅へ。今朝の高知新聞の見出しは衝撃だった。高知県香美市物部町の中津尾という山の中の集落だそうな。2015年には2世帯2人が暮らしてるという調査結果だったが1人は94歳で昨年死去、もう一人は80歳で町の病院に入院となり今は誰もいない集落だそうな。物部町と言えば限界集落が多いところだから今後も消滅という集落が出てくるだろう。何にもできずにただ消滅を見守るだけの行政と住民。自給自足ができる村という構想で何かできるような気がするけどな。サバイバルクルーを呼んでそのノウハウを学ぶとか原始の種子を育てるとか限界集落ネットワークで「林業山の民」を結成するとか世界中から人を読んで国際村を作って運営し将来はバイリンガルは物部村からとかいうのもいいな。今の日本の体制なら限界集落には核のゴミ捨て場を作って道を整備し雇用を創成し村の存続に寄与しますと言いかねないけどそんなのは願い下げだ。このまま朽ちるほうが100万倍ましだと高知は言うだろうな。原発とか核のゴミとか反対投票で住民の意思を明確に示したのは高知だけだからな。「金は要らん、青い空ときれいな水と美しい緑の山があったらええ」と言い切ったのは高知だけだからね。「自由は土佐の山間より出ず」の精神は骨身にしみついているが「人が土佐の山間より出ず」はちょっと困ったよ。そうじゃトランプにでも言うたら「ババ抜き」なんてぬかしよるかのう。

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おいらの時間

2017-05-08 07:31:14 | Weblog

うっとうしいゴールデンウィークも終わり清々した気分で迎える月曜日。やっと「おいらの時間」が戻ってきたような落ち着きを感じる。フランスでは5分でマクロンが大統領に。マカロンとルンペンの闘いならやっぱりマカロンを取るよな。日本はなんで外国の大統領選に夢中になるのだろう。マクロンの選挙後のスピーチを聴いたけどまったく面白みのないお坊ちゃまの言い分だったね。ミッテラン、シラク、サルコジとアクの強さがフランスだったのにね。オランドなんか選んだところからフランスという国が変わったんだろう。アクの強さで言えばルペンだろうな。昔ならルペンが勝ってるかな。ルペンvsトランプが見たかったな。そういえば昨今みんなつるんとしてゴツゴツしたところがない社会だね。それで面白みがなくなったのか。といま気づく。せめて自分だけでもゴツゴツしていようとずっとこのままを思う。「おいらの時間」の始まりだ。

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85歳の挑戦

2017-05-07 08:02:49 | Weblog

エベレストに登頂、最高齢記録に挑んでいたミン・バハドール・シェルチャン氏がヒマラヤのベースキャンプで亡くなったとの訃報。無謀ではなかったのかなとも思うけど無念ではあったでしょうね。まぁ、自分で登れると判断しての参戦だから仕方ない。最高齢記録は三浦雄一郎氏の80歳でしたね。ミンはそれまでの記録保持者で76歳の時に最高齢記録を樹立してたんだ。そこで引退とピッケルを収めたんだけど三浦さんが80歳でやってのけたことに刺激を受けたんでしょうかね。失敗すれば「年寄りの冷や水」と言われる。成功しても高齢だから賞賛は一瞬。名前は残るけど記録はまた誰かに塗り替えられる。ネパール人だからオラが山はオラが登ると思ってたのかな。そうじゃないだろうな。また単に登りたいと思っただけかもしれない。と思いたいけどエヴェレスト登山は金がかかるからね。地元の人といえども。スポンサーやサポーターの意向がどれだけ働いていたのかな?それもこれも併せ飲んでの85歳の挑戦だったんでしょうね。85歳で道半ばなんて「かっこいい」ね。事情はともあれ「挑戦」ていいな、いくつになっても。たまたま三浦さんが勝利の果実をもぎ取ったけどまだまだ果実は沢山あるからと夢は追いかけてもらいたい幾つになっても。山に生まれ山で死んだミン・バハドール・シェルチャンさんのご冥福を祈ります。

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2017-05-06 08:01:03 | Weblog

たまたま今朝は5時半に目が覚めた。いつもは6時頃だからまったくの偶々なんだ。それで5時半過ぎにラジオをつけて昨日読んだメルトスルー、フクシマ原発事故の本のことをあれこれ思っていると5時45分に時間帯が変わった「落合恵子の絵本の時間」が始まった。拾った猫の絵本だった。ふんふんと聞いていると番組の最後にかかる音楽がノエルハリソンの「風のささやき」だった。思わず「エッて」反応した。これってリンク?落合恵子とは年も近いからその年代の人はこの季節、この歌を聴きたいのかな。とニンマリ。映画「華麗なる賭け」の主題歌。マックィーンとフェイダナウェイでしたねって。映画も歌も俺たちの世代以上じゃないと知らないだろうからなんというか「お宝共有」というか「共犯幻想」というか暖かい絆のようなものを感じた。間違いなくリンクだね。Round like circle in a spiral Like a wheel within a wheel Never ending or beginning On an ever spinning wheel L ike a snowball down a mountain Or a carnival balloon・・・・・・Like the circles that you find In the windmills of your mindとノエルハリソンは囁くように歌っている。この歌を聴いて日本題を「風のささやき」と決めたんだろうか。この選択もありかな?と「風のささやき」の歌声とマックィーンとフェイダナウェイを思い描く輪のようにオレの心の中で風車は回る。

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round

2017-05-05 08:14:11 | Weblog

「The windmilles of your mind」(風のささやき)を聴いている。ダスティスプリングフィールドの歌声で。映画「華麗なる賭け」の主題歌だった。映画では違う人が歌っていたね。スティーブマックィーンとフェイダナウェイの映画だったっけ。アメリカ映画もやるじゃないかと当時思って見てた一作だ。ちょっとグレードが違う雰囲気でシャンソンのような主題歌でオシャレっていいなと思わせる映画だった。直訳すれば「あなたの心の風車」ってタイトルを「風のささやき」って訳した訳者のすばらしさ。あなたの心の中で回る思い出の風車の音、あれは囁くような風の音。とでもこの原題から意訳したんでしょうかね。さすがですね。当時の日本人。(まるで渦巻く車輪のように始まりも終わりもなく回り続ける糸車のよう…もうお終いだとわかった時、ふとわかるのだろうか秋色に染まった葉の色はあの人の髪の色と同じだったと…思い描く輪のように風車は回るあなたの心に)すべてに夢が持てた時代、映画スターが生きていた時代。あの頃が最高だったと僕の胸で「風のささやき」が聞こえる。

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鯉のぼり

2017-05-04 07:51:46 | Weblog

今日は何の日か知らないが明日は「こどもの日」。鯉のぼりの日だ。仁淀川では川の中を鯉のぼりが何匹も泳いでいる。男の子を授かった家ではここぞとばかり鯉のぼりやフラフを上げる。住宅事情で市内では大きな鯉のぼりやフラフは上げられないが田舎へ行けば空を我が物顔で泳いでる。ましてや山の中とくれば鯉のぼりやフラフは立て放題だ。この家も、男の子が生まれたんだろうな。いや、孫の為に爺ちゃんが」気張って立てたのかな。山の風に乗って鯉のぼりは泳ぎ、フラフは揺れてのぼり旗は震える。                                いいなこれ。と思ってパチリ。何年か前に撮った写真だけど当時は自分の腕では描けないと思ったからそのままにしてた。当時は写真に映ったものは全部描かないといけないと思ってたからね。絵を初めて1年かそこいらだったと思うけど。今じゃ、バッサリと余分なものは切り捨てて描きたいとこだけ描けばいいと思ってる。これって慣れなんでしょうかね。それにしても「鯉のぼりっていいな」腹に一物、背に荷物がなくて「風任せ」って言うのがいいよね。男はこうでなくっちゃ。

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無為自然

2017-05-03 07:25:51 | Weblog

自然に感化する。これが教育の基本というか理想だとか。「力を抜く」これが水彩画の奥儀だとか。老子の言葉だったかどうか「無為自然」あるがままに任せること。相対的な社会の中ではこれがなかなかむつかしいのだが「水彩画はいかにして抜くかだ」という議論になった時、その時は分からなかったがある時、抜くのは色ではなく自己主張だと気づいた。あるがままに任せて見る人に感じてもらうこれが水彩画だと。というのも、絵画教室のよさこいのおんちゃんがずっと前からこのテーマに取り組んでいて勢いだとか線画だとか墨絵だとか工夫を重ねているのを見てたから。おんちゃんが今のところ行きついたのは「薄めた色で塗る」という表現方法だ。おんちゃんは表現のプロでフォトショップの職人を自負しているから薄めた色の水彩画もそこそこ鑑賞に堪えるものを作ってはいたが自分はこれは違うモノと感じていた。ある時、本を読んでいたら「飲み物はすべて水に近づいていく」という文があってハタと気づいた。色は濃くても描きこんでもいいんだと。抜くのは「押しつけがましい自己主張」だと。ところがこの自己主張、いかにして抜くかの方法がまだ分からない。慣れれば慣れるほど自己主張が強くなっていく自分の絵の傾向に自分では辟易としながらも抜き方がわからないまま考え込んでいる。川久保玲が今ニューヨーク美術館で個展をやっている。服飾デザイナーとしてはサンローラン以来2回目だそうな。彼女の服は主張はあるが自己主張はない。そこら辺かなヒントは。と僕が言うとなんと軽々しく聞こえるのだろうとブツブツ。絵は哲学だ。

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八十八夜

2017-05-02 07:18:02 | Weblog

夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか 茜だすきにすげの笠。と歌われる八十八夜は今日だとのこと。昔の映画、東映時代劇の「清水の次郎長」には必ず1シーンこの茶摘み風景が入ってましたっけ。そういえば静岡は茶どころですからね。八十八夜には摘んだばかりの新茶でと思ってましたがこのところ忙しくしていますので新茶を摘む時間がなく今朝はルイボス茶を淹れました。別にうまくもないお茶ですけど朝飲むと体によさそうに感じます。なんかアフリカの大地というかゴビ砂漠の味というかそんな雰囲気でしょうかね。健康茶としては有名ですよね。何に良いかは知りませんけど。アフリカでは「あかねだすきにすげのかさ」というわけにはいかないだろうな。緑の茶畑に淡いベージュの笠、藍色の野良着、その背中に赤い襷。絵になりますね日本の風景。静岡茶には土佐茶が長い間ブレンド茶として使われてたんだよね。味が良かったからでしょう。いまでは土佐茶も独立して土佐茶のブランドで立ってますけどね。なんせ殿様が掛川から来たもんで静岡とは縁が深いんだよね。駿河と言えば今川義元。今川の時代もお茶を作っていたんでしょうかね。千利休ってもっと後かな。どっちみち庶民にはお茶は飲めなかったでしょうが。最近思うのですよ今川義元はどうして負けたかと。優れた武将だったことは間違いないらしいが生存説が出ないということは人気があまりなかったからでしょうかね。一方的に信長の視点での解釈ばかりでちょっと腑に落ちないところがありまして。まぁ脅す殺すが当たり前の時代だったからゆっくりと茶の一杯も啜れないことはわかりますけどね。八十八夜のころ今川義元は京に上ると全軍にふれを出し軍を進めてますからね。夏が来る前に京で号令をかけるという構想だったんでしょうかね。夢と夢とのぶつかり合い。どちらの夢が勝つかなんて夢にも思わなかったでしょうね。

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