
ブログやフェイスブックで「今年はメジロが多い?」、そんな投稿にいくつか出会った。1枚の写真にメジロ数匹が写っている写真も載っていた。大方は梅の花や河津桜の蜜をとる姿のアップで、目の周りの白い輪がひときわ目立っていた。セミプロカメラマンのホバーリングから花にとまる寸前と思える1枚はしばらく眺めていた。
我家の庭にもミカンを置けば2羽がやって来てくれた。縄張りがあるのか、いつも同じ連れ合いに思えた。いつだったか、隣家の屋根で鳴き声がする。みると2羽が我が家の庭を見下ろしているように見える。「ミカンがない、早く出して」とねだるように聞こえる。急いでミカンを置き部屋から食べっぷりを眺めた。
メジロも安心してはいない。交替で監視役を務める、その間にもう1羽はついばむ、監視役が飛び立つとついばみ中の連れも後を追う。感覚が下がりつつある高齢者にはわからない何かが起きているのだろう。もう一つ、ヒヨがミカンを狙ってくる。メジロは自然の掟か身を守るためか飛び立つ。ヒヨに気づいたら急いで追っ払っている。ヒヨが去ってもメジロはしばらく姿を見せない。
そんなメジロともそろそろ別れが近づいた。それは箱買いしていたミカンがもう少しで底をつく。毎年、何か月間かの短いおつき合いだが、必死に生きている姿を見ていると、老け込んではいけない、そんな気を呼び覚ます力をくれる小鳥だった。でも、餌を与えることが小鳥にとっていいことなのか、いけないことなのか、と思いながら今年もミカンを切っていた。