オリジナルアルバム『ここにいたこと』も、相当聴き込んだ。
1曲目から10曲目までとラストは新曲。特に、チームを越えたユニット曲は、どれも魅力的だ。
その中で、まず『風の行方』が耳を引いた。
「『波乗りかき氷』への期待と不安」という記事に書いたが、夏の海が舞台の曲にこれまでよく使われたアイテムが、ここでも沢山使われている。
8つ挙げたアイテム(「波乗り」「かき氷」「サンダル」「日焼け」「海の家」「水着」「監視(員)」「キス」)のうち4つという高率だ。
「波乗り」・・・「ウエットスーツを脱いだサーファー」
「日焼け」・・・「君は陽に灼けたくないって」
「海の家」・・・「海の家の骨組みが」
「キス」・・・・「キスをする時に邪魔になったよ」
この他にも、色々な仕掛けがある。
「犬を連れて砂浜を歩く」という状況は、中森明菜の『スローモーション』で、海辺で出会った彼がシェパードを連れていたことを思い出す。
「キャップを目深に被って、キスをする時邪魔になった」エピソードからは、石野真子が『狼なんかこわくない』で、「鼻が邪魔だと誰かが言ってた」と歌っていたことが甦る。
「今年また来ればいい、別れた理由は忘れて」は、キャンディーズ『春一番』の「別れ話したのは去年のことでしたね、大人になって忘れませんか」と、どことなく文脈が似ている。
「波打ち際で消えてしまった君の足跡」では、つい最近『Everyday、カチューシャ』で「2人の足跡消されてしまった」ことと重なる。
あと1つ、「君と食べたとうもろこしに火が通っていなかった」というエピソード。これが何の隠喩になっているのか、他の曲で類似するような歌詞がなかったか、考えたが思いつかなかった。今後の研究テーマとしたい。
1つだけ不満は、「僕は君に癒されていた、もう君はいないので誰に癒されればいいの?」という歌詞の基本スタンスだ。
切ない曲調で、過ぎた夏と彼女への喪失感をいい感じで歌っているのに、それを「癒されていた」と総括するのは、言葉が軽い気がする。それに「癒す」とは、相手に片務的に求める概念だ。もう少し違う言葉はなかったのか。
1曲目から10曲目までとラストは新曲。特に、チームを越えたユニット曲は、どれも魅力的だ。
その中で、まず『風の行方』が耳を引いた。
「『波乗りかき氷』への期待と不安」という記事に書いたが、夏の海が舞台の曲にこれまでよく使われたアイテムが、ここでも沢山使われている。
8つ挙げたアイテム(「波乗り」「かき氷」「サンダル」「日焼け」「海の家」「水着」「監視(員)」「キス」)のうち4つという高率だ。
「波乗り」・・・「ウエットスーツを脱いだサーファー」
「日焼け」・・・「君は陽に灼けたくないって」
「海の家」・・・「海の家の骨組みが」
「キス」・・・・「キスをする時に邪魔になったよ」
この他にも、色々な仕掛けがある。
「犬を連れて砂浜を歩く」という状況は、中森明菜の『スローモーション』で、海辺で出会った彼がシェパードを連れていたことを思い出す。
「キャップを目深に被って、キスをする時邪魔になった」エピソードからは、石野真子が『狼なんかこわくない』で、「鼻が邪魔だと誰かが言ってた」と歌っていたことが甦る。
「今年また来ればいい、別れた理由は忘れて」は、キャンディーズ『春一番』の「別れ話したのは去年のことでしたね、大人になって忘れませんか」と、どことなく文脈が似ている。
「波打ち際で消えてしまった君の足跡」では、つい最近『Everyday、カチューシャ』で「2人の足跡消されてしまった」ことと重なる。
あと1つ、「君と食べたとうもろこしに火が通っていなかった」というエピソード。これが何の隠喩になっているのか、他の曲で類似するような歌詞がなかったか、考えたが思いつかなかった。今後の研究テーマとしたい。
1つだけ不満は、「僕は君に癒されていた、もう君はいないので誰に癒されればいいの?」という歌詞の基本スタンスだ。
切ない曲調で、過ぎた夏と彼女への喪失感をいい感じで歌っているのに、それを「癒されていた」と総括するのは、言葉が軽い気がする。それに「癒す」とは、相手に片務的に求める概念だ。もう少し違う言葉はなかったのか。