AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

前田敦子の卒業は、宝塚トップスターの退団と同じ。(ときめき研究家)

2012-04-12 23:51:07 | ときめき研究家
AKB48と宝塚歌劇団の共通点は、このブログでも時々言及されて来た。

1.女性だけの芸能集団。
2.専用劇場を持ち、ほぼ毎日公演している。他に全国ツアーもある。
3.いくつかの組、チームに分れている。時々組替えもある。
4.音楽学校入試、オーディションで新人を採用。
5.新人公演、研究生公演があり、先物ファンに人気。
6.時々、過去の演目のリバイバル公演がある。
7.「お茶会」「握手会」といったファンとの交流の機会がある。

もちろん相違点もある。
宝塚歌劇団は100年続いているが、AKB48はまだ6年である。
現役のタカラジェンヌは基本的に外の仕事はしないが、AKB48のメンバーは積極的に外の仕事を入れる。そのため、本来の公演を休演し、「アンダー」が代役を務めることが日常化している。

前田敦子の卒業は、AKB48の新陳代謝・活性化と、本人のソロとしての活躍のために必要なことなのだと思う。
宝塚でも、各組のトップスターを数年務めたら、退団し、芸能界で宝塚OGという肩書を背負いながら活躍することが一般的である。そういう循環があるから、100年続いているのだ。
前田は、これまでのAKB48の顔だし、アイドルとしての魅力があると私は思うので、まだ数年間はセンターとして在籍することも可能だとは思う。しかし、AKB48が宝塚のように100年続いて、芸能人の供給源となっていくことを狙うとしたら、このタイミングでのトップ交代は賢明な判断だと考える。
もちろん、今後の前田のソロとしての活躍と、残ったメンバーの活性化がうまく行くことが条件になる。

卒業発表の翌日のスポーツ新聞では、もちろん1面トップ記事だったが、朝日新聞の社会面でも、写真入りで「前田敦子さんAKB48卒業を発表」と報じていた。宝塚のトップスターが退団を発表した時と、全く同じような記事だった。朝日新聞は、既にAKB48の宝塚化を見込んでいる。
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1927年の口パク ロンドン観劇でアイドルの歴史を考える(ナッキー)

2012-04-12 20:00:00 | アイドル論
1927年の口パク ロンドン観劇でアイドルの歴史を考える(ナッキー)

SINGIN’ IN THE RAINを観ました。
「CHICAGO」が大人のエロティックなダンスで、SDN48的だったのに対して、こちらは、明るく、華やかで、愛らしく、衣装もそのまま秋葉原のシアターで使えそうと、AKB48的。

私はアイドルに加え、野球が好きなので、どうしてもアメリカ系の作品を選んでしまうのですが、この作品を見ようと思ったのは、傘をさして踊っているポスターが、チームA5thの「スコールの間に」を連想したから。

一幕のエンディングで、舞台天井から雨が降ってくる中で歌い踊るという演出。
ステージは水びだしで、俳優のステップで、客席に水しぶきが飛んでいました。
一幕と二幕の間、25分かけて、6人がモップでステージの水を吸い上げる。

AKB48の「モップ」コールを思い出しました。
桜の花びらたち、を歌う時に天井から降らせた花びらをアンコール前に掃除する、あのモップ。舞台の感想はここまで、

このミュージカルは、ストーリーがよかった。
「アイドルとは何か」「アイドルは進化していく」がテーマ。
アイドリアン(アイドル鑑賞家)として、考えさせられた。

以下あらすじ。(ネタばれあり。ヒラリーほどの英語力はないナッキーが、このように理解したという程度。)

******  あらすじ  *******

無声映画全盛の1927年ハリウッド。
ステージ後方に映画の映像が出てくる。俳優が何かしゃべると、前面に台詞が文字で出ている。
リナ(女優)は、その美貌で、ドン(男優)とのコンビで、ヒットを続ける。二人は私生活でも恋人と噂されている。実は、リナは、なまりが強く、スクリーン以外ではファンの前でしゃべることを止められている。イメージが崩れ、ファンの夢をこわしてはいけないから。

キャッシー(女優)は、芝居小屋で出演していたが、映画全盛時代で、仕事がない。でも、俳優という夢はあきらめずに、バックダンサーをしてチャンスを狙っている。

ドンは、お忍びで街を歩いていると、ファンに囲まれ、「私はドンに似ていると言われることはあるが、ドンではない。彼女とのデートの邪魔をしないでくれ。」と、ベンチに座っている見知らぬ女性(キャッシー)の隣に座る。
驚くキャッシー、恋人の振りをしてくれと頼むドン。

芝居至上主義のキャッシーは、映画の演技は、本当の演技でないと批判。自分の演技に疑問を持ち始めるドン。

映画会社では、無声映画から、映像と声を同時に出す映画(トーキー)を製作することに決定。

なまりのひどいリナ、歌が歌えないリナの声に、キャッシーが抜擢される。
あくまで俳優を目指すキャシーはためらうが、一作だけという条件で受ける。

ドンとリナは、私生活でも、まるで、百恵・友和みないに、恋人と思われているが、実際は、リナはドンに首っ丈だが、ドンはもともとリナとは距離を置いている。
今はドンは、キャッシーに夢中。嫉妬に狂うリナ。

自己中心・わがままな性格のリナは、無声映画からトーキーに時代が変わっていくことが、自分に不利であることを察知し、弁護士に映画会社との契約を変更させる。
自分が映画に出演しつづけ、キャッシーが自分の声として下働きを続けるという条件を。

映画発表の日。キャッシーの晴れ舞台のはずが、リナが契約を手に、キャッシーを舞台に出させない。
スピーチをするリナ。
映画の中の歌を歌って欲しいというリクエストに応えて、舞台で口パクするリナ、舞台裏で歌わされるキャッシー。

リナに対して立腹した映画プロデューサーは、キャッシーのマイクを取り上げ、自分が歌いだす。
舞台では女性が口パク、男性の歌声が流れる。
舞台後方の幕があいて、キャッシーが、観客の前に登場、万来の拍手。ハッピーエンディング。

******  あらすじ  *******

吹き替えでなく、リナ自身に歌わせようという、映画会社幹部に対して、
She can’t sing.
She can’t dance.
She can’t act.
歌も、ダンスも、演技もできない。
だから、できないと主張するプロデューサー。

演技ができないのに、人気女優として多くの映画に主演したのは、美しかったら。
1920年代のアメリカが、現代の日本のアイドルに通じる。
演技ができないのに、人気女優として多くの映画に主演したのは、可愛かったから。
山口百恵がそうだったし、前田敦子もそう。

リナがいかに性格が悪い女優であるかが、誇張されて演出されており、
日本でこれを演じることができる女優は多数いるだろうけど、地で演じることができるのは、南野陽子がはまり役だろう。イギリス人女優の顔を南野陽子に置き換えて、見ていました。


無声映画時代なら、女優として大成したであろう素質が、トーキーになると、女優になれない。
70年代、80年代なら、単純に可愛いアイドルとして大成したであろう素質が、ダンス至上主義のAKB48では、アイドルとしてのチャンスを得ることができない。

能力の基準は変われど、普遍性のあるテーマ。

AKB48はダンス至上主義と言っても、ダンスが不得意だけど、アイドルとしての素質がある島崎遥香や、佐々木優香里を輩出しているので、懐が深い。

口パクにも、歴史があるのだと知った、貴重な観劇体験でした。

ナッキー
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女優という夢には、AKB48が早道(KC)

2012-04-12 06:00:00 | アイドル論
女優という夢には、AKB48が早道(KC)

AKB48を辞めた方が、女優、モデルになる可能性が高くなるはず(ナッキー)という記事に、直感的に反論。

女優になるのは簡単なことではない。
映画にしろ、舞台にしろ、お客が入らないと、儲からない。
客が呼べる女優とは、必ずしも、演技力がある女優とイコールではない。

アイドルとしての知名度・集客力があれば、演技力が不足でも役が回ってくる。
アイドルとして成功した(後で転向した)役者だけではない。お笑いで成功した(後で転向した)役者。スポーツで成功した(後で転向した)役者。芸能界には多数いる。
転向に否定的な意味を感じてしまうなら、転進・両立と言ってもよい。

だから、AKB48で人気者になった方が、早く女優になれるのである。
女優を目指している無数のライバルたちの中から勝者になるよりは、可能性が高い。

以上のような私の感覚を、秋元康が、文末に引用した記事で上手に表現していた。
大島優子も賢いから、AKB48を辞めないで、女優を目指す。
前田敦子が、AKB48という冠なしで、女優を続けることができるかは、はなはだ疑問である。

工藤静香は、おニャン子クラブという冠なしで、歌手を続けることができたが、他のメンバーは、おニャン子クラブが解散して、ほとんど自然消滅だったからなあ。

AKB48という力は、おニャン子クラブより大きい。
一所懸命芸能界の中で夢を目指していますという体育会的なAKB48に比べて、おニャン子クラブは放課後の同好会みないな雰囲気だったから。

女優業界(という経済活動の総意)があると仮定して、アイドル業界にスカウトにくるとしたら、いい加減なイメージのおニャン子クラブは避けてしまうが、真面目で一所懸命なAKB48は人材の宝庫かもしれない。
一所懸命だけで女優になれるわけではなく、素質や感性、教養や読書量など総合的にふるいにかけられる。
女優はAKB48より、ずっと厳しい世界。

KC

秋元康・大島優子インタビューより引用。

優子 「それじゃあ…反骨精神って事でお聞きしたいのですが…。私が5年間ずっと『女優をやりたい』っと言ってきたのに、なぜここに来て女優ではなく、歌手『Not yet』に入れたのでしょうか? スタッフさんから、ユニットでデビューさせていただける聞いたとき、ありがたいんですけど…どうして?って。女優として経験を積む時間が無くなるんじゃないかって…。それが不安で、久々に落ち込んでいたんです。すいません」

秋元 「実は、大島優子には映画やドラマなど様々なところから、女優として出て欲しいというオファーは来ているんだよね」

優子 「そうなんですか……?」

秋元 「だけど僕は、それが主役、もしくは3番手までじゃないのであれば、申し訳ないのですが、と辞退させて貰っている。番手にこだわっているんじゃなくて、ちゃんと優子の演技を注目してもらえる役で出したい。言い方を変えれば、番手は悪くても難しい演技を要求される役だったら挑戦させたいと思う」

優子 「………」

秋元 「それは大島優子という女優を成功させたいから。優子が他の人でも出来る役でドラマに出させて貰うより、Not yetとして頑張った方が女優として上手くいくと僕が判断したからなんだ」

優子 「………?」

秋元 「女優という“山”と、ミュージシャンという“山”が並んでいるとするでしょ。優子は女優の山を一歩一歩登りたいと思う。でも頂上にたどり着くまでどれだけかかるのかと僕は考える。一方でミュージシャンという山を登るなら、今のAKBなら、ロープウェイに乗せて頂上まで連れて行ける。デビュー曲はオリコン1位だった訳でしょう。ミュージシャンとして頂上に行ったら、絶対にいろんな話が来るわけ。その時に、『この子は女優なんですよ』と僕が言うよね。だったら、『女優として使わせて欲しい』ってなるんだよ。つまり(歌手の)頂上から(女優の)頂上へ飛べるわけ。芸能界というのは、下から上に登る大変さに比べれば、横の移動ってはるか簡単なんだよ。優子は既に女優だけど、今のAKBをちゃんと利用して、もっとメジャーな女優にしたい。一見、回り道の様だけど、そういう考えがあるんだよ」

優子 「今うかがって、やっと納得しました」

以上
コメント (2)
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