4月4日の朝日新聞朝刊の文化面に面白い記事があった。
「Jポップ歌詞 瞳閉じすぎ?」「目立つ紋切り型に批判も」という見出しで、最近のJポップにはどこかで聞いたような歌詞が目立ち、そのことに対する批判がネット上でも渦巻いているとの内容。例示されているのは、西野カナ、GReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズ。紋切り型の歌詞とは、「瞳を閉じる」「翼を広げる」「信じてる」「キセキ」「そばにいて」「桜舞い散る」「胸が痛い」など。
東京経済大の山田晴通教授は、「紋切り型が悪いわけではない。『翼をください』など、昔から紋切り型の歌詞はあった。むしろ多くの人に支持されるからこそ繰り返し使われてきた。」と擁護する。
文芸評論家の加藤典洋氏は、「歌と歌詞の関係性が希薄化し、歌詞が劣化している。いわば歌詞のファーストフード化で、歌詞のパーツごとに入れ替え可能。これは、楽曲をパーツで切り売りする着うたの流行とも関連する。」と批判。
大坂市立大大学院の増田聡准教授は、「Jポップは従来の歌謡曲と対比して、最先端でなければならないという信仰があるため、紋切り型が批判される。西野カナも『ギャル演歌』と思えば気にならない。」と指摘。
芸人のマキタスポーツさんは、そうした紋切り型の歌詞を散りばめた楽曲『十年目のプロポーズ』で、配信ランキングの上位に入った。皮肉半分、からかい半分だが、東日本大震災以降は、紋切り型への批判よりも「信じて」などベタで共感できるアンセム(賛歌)が求められているとも言う。
私も、アイドルポップの歌詞を分析的に研究しているので、大いに参考になる記事だった。どの論にも、うなずける部分がある。
アイドルポップにも、繰り返し歌われて来た状況や、何度も繰り返し使われたキーワードがある。それは、紋切り型と言うより、俳句における「季語」のようなものだと思う。
同じテーマや歌詞を使うことは悪いことではない。しかし、そこに過去の作品とは一味違う工夫やヒネリを加えることが、創造だと思う。その歌に創造があるのかないのか、それは1曲ごと、聞いて吟味してみなければ分からない。西野カナ、GReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズは、残念ながらあまり聞いたことがないので、評価は差し控える。
1つだけ言えるのは、「瞳を閉じる」というのは生理学的におかしい。強い光を浴びれば瞳孔は小さくなるが、完全に閉じることはできない。「眼を閉じる」「瞼を閉じる」が正しいだろう。
「Jポップ歌詞 瞳閉じすぎ?」「目立つ紋切り型に批判も」という見出しで、最近のJポップにはどこかで聞いたような歌詞が目立ち、そのことに対する批判がネット上でも渦巻いているとの内容。例示されているのは、西野カナ、GReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズ。紋切り型の歌詞とは、「瞳を閉じる」「翼を広げる」「信じてる」「キセキ」「そばにいて」「桜舞い散る」「胸が痛い」など。
東京経済大の山田晴通教授は、「紋切り型が悪いわけではない。『翼をください』など、昔から紋切り型の歌詞はあった。むしろ多くの人に支持されるからこそ繰り返し使われてきた。」と擁護する。
文芸評論家の加藤典洋氏は、「歌と歌詞の関係性が希薄化し、歌詞が劣化している。いわば歌詞のファーストフード化で、歌詞のパーツごとに入れ替え可能。これは、楽曲をパーツで切り売りする着うたの流行とも関連する。」と批判。
大坂市立大大学院の増田聡准教授は、「Jポップは従来の歌謡曲と対比して、最先端でなければならないという信仰があるため、紋切り型が批判される。西野カナも『ギャル演歌』と思えば気にならない。」と指摘。
芸人のマキタスポーツさんは、そうした紋切り型の歌詞を散りばめた楽曲『十年目のプロポーズ』で、配信ランキングの上位に入った。皮肉半分、からかい半分だが、東日本大震災以降は、紋切り型への批判よりも「信じて」などベタで共感できるアンセム(賛歌)が求められているとも言う。
私も、アイドルポップの歌詞を分析的に研究しているので、大いに参考になる記事だった。どの論にも、うなずける部分がある。
アイドルポップにも、繰り返し歌われて来た状況や、何度も繰り返し使われたキーワードがある。それは、紋切り型と言うより、俳句における「季語」のようなものだと思う。
同じテーマや歌詞を使うことは悪いことではない。しかし、そこに過去の作品とは一味違う工夫やヒネリを加えることが、創造だと思う。その歌に創造があるのかないのか、それは1曲ごと、聞いて吟味してみなければ分からない。西野カナ、GReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズは、残念ながらあまり聞いたことがないので、評価は差し控える。
1つだけ言えるのは、「瞳を閉じる」というのは生理学的におかしい。強い光を浴びれば瞳孔は小さくなるが、完全に閉じることはできない。「眼を閉じる」「瞼を閉じる」が正しいだろう。