AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

本当に見て欲しい時に…君がいない(ピーナッツ)

2012-10-21 22:33:43 | AKB48
あれは、『DUMP SHOW』(大阪公演)のお見送り会でのこと。
僕は、長い列, 動きの遅い人の流れ, "あ、また、途切れた"…。
もう、あんまりヒマだったんで、チョット大きめ、とりあえず、手を振っといたんだ…シンディーにね。
すると、
シ : おーっ!
僕 : お、おーっ!
シ : おーっ!ひっさしぶりー!
僕 : おーっ!
"あぁ、シンディー、僕のこと、知ってるんだ~"…それを確信した日。
僕は、関西人だから、そこは、もちろん、"おーおー教の教祖か!"って、心の中、ツッこんではおいたんだけど、あれは、嬉しい出来事だったなぁ~。
ただ、その日の夜、チビチビ…酒やってる時に、突然、別の感情?が入ってきた…"あれ~?"って。
ふと、思ってしまったんだ。
それは、
"あの会場に、シンディーのファン…何人ぐらいいたのだろう? 来たのだろう?"って。
"AKBの劇場公演を経験している人、どれくらいいたのかな?"って。
"そっちは好きでも、こっちには、そんな興味なし。チケット獲得に心動かねぇ~…って、そんな考えとか…あるのかな?"って。
なんか、素朴なギモンとしてね。
あの時、前100人, 後ろ100人、いや、もっとかな?
あの立派なロビー内、少し…ポツーン気味のシンディーをずっと見てた。
ここは、大阪だからか? いや!…でも。
別に自分をエエように言いたい訳じゃない。
ただ、なんでしょう? あの感じ…。
そして、この夜、僕が、勝手に気付いたこと。
それは、僕…"チームBのシンディーも、SDNのシンディーも、『中野ブロンディーズ』のシンディーも、『DUMP SHOW』のシンディーも…全部一緒だなぁ~"って。
"ただ、スタイルが違うだけ。たった、それだけのこと"なんだって…。
再確認というには、あまりに当たり前過ぎて、自分では気付かなかったこと…だよ。
あ、だからか~。
なっちゃんが、アイドルであろうとなかろうと、そんなもん、どっちでもいいこと…。

今年の夏、『おおかみこどもの雨と雪』をシネコン…観に行った時、他のシアターゲートで、上映時間終了の準備をしている知り合いの係員さんを見つけてね…"おーっ!"。
で、この前のお礼と立ち話。で、で、たまたま、彼女のその時間帯の担当が、『苦役列車』でね。
これは! あの手この手の誘導リサーチをせねば! と、2組…"え、2組って?! 200席以上あるでしょ? " 。
で、その内訳は、中高年のカップルと若い女性。
"あれ~? 入ってないんだ~"と思った。
折しも、テレビでは、連日、「あっちゃん卒業宣言特集」のさなかにね…あのギャップ。
これはもう、もしかしたら?ということではなく、確信したよ…"そっちの前田敦子に興味はあっても、こっちの前田敦子には、全然興味ないんだな…"と。
チョット、前田敦子が、可哀想に思えた瞬間だった。
だって、彼女からしたら、女優…ようやく夢が叶った時、1番見て欲しい人に、それ、見てもらえない…ってことでしょ。
"なんだかなぁ~"って。"晴れ姿なのになぁ~"って。
しかし、前田敦子ファン、いや、そもそも、アイドルファンって、みんな、そういうトコあるのかな?
それが、当たり前なのかな? とにかく、2つの "あれ~?"…いろいろと考えさせられた。

ところで、チョイ、話は変わるけど、上戸 彩, 岡田准一, 前田敦子。
この3人の共通点って、分かります? あ、これは、僕の思いが入り過ぎた。
失敬、失敬。
じゃ、これでよろしく、
『結婚』(橋田壽賀子ドラマ)…上戸 彩, 『反乱のボヤージュ』(学生と舎監の心の交流を描いた社会派ドラマ)…岡田准一, 『強行帰国~忘れ去られた花嫁たち~』…前田敦子。
この共通点…。

答えは、(共演者としての) 渡 哲也。
僕には、昔から思っていることがある。
それは、渡 哲也と共演した役者(特に、若手)って、その共演後、芝居が変わる…ってことだ。そして、上戸 彩, 岡田准一は、その代表格。
ぶっちゃけ、その前後で、全然、演技が違ってる。
"無駄なものが取れた"っていうのかな? それを表現するのが、とても難しいんだけど、とにかく、"演じよう!演じよう!"ではなく、その役が本人に吸い付いていってる感じ…。
上戸 彩の場合は、『3年B組金八先生』で、世に出た後、正直、伸び悩んでいたと思う。
ぶっちゃけ、「CM女優」だったと思う。
でも、この渡 哲也との共演後の作品、『10年後も君に恋して』,『絶対零度』,『テルマエ・ロマエ』は、別人…というか、なんか、別の女優みたいだ。
岡田准一の場合は、V6だけのなんだか訳のわからない、それこそ、学芸会レベルの作品&演技のすぐ後、つまり、デビューしてすぐ、渡 哲也と出会っている。
『木更津キャッツアイ』,『SP』…そして、最近の『天地明察』まで、若い頃から、堂々の一枚看板…すべて素晴らしい。でも、僕は、そのキッカケって、『反乱のボヤージュ』だったと思っているんだ。
そして、前田敦子。
2人のようになれるのか?
僕、ポイントは、これだと思っている。
つまり、渡 哲也の人間性から、ちゃんと影響を受けられたか…どうか?
"渡さんて、スゴイ人だなぁ~"だけで終わっていないかどうか?
前田敦子は、その感性を持っている役者であるかどうか?だと思っている。
上戸 彩は、その共演後、"私も参加させてください!"…。
事務所なんて関係ない。
石原軍団の炊き出しに自ら希望して出かけたり、つまり、そういう積極的…変化、周りの人は、その部分…とても驚いたのだそうだ。
岡田准一は、今でも、渡 哲也のことを話す時、本当に嬉しそうな顔をする。
本当に嬉しそうな顔をするんだ。
そして、影響を受けている。
2人は、その人間的な成長が、演技にも出ていると思っててね…。
おそらく、前田敦子も、あの2人と同じことをされていると思う。
例えば、直筆の手紙。
例えば、ドラマ組の一員として、現場スタッフは、自分も含めて、同じように扱われていること…その平等感。例えば、初顔合わせ、若手が挨拶する前に、両手で手を握られ、真っ直ぐ見つめられ、しかも、あの声で、"渡 哲也です。よろしくお願いします!" + "前田さん、時々、敦子ちゃん"…etc etc etc。…あの対応。

そこで、何を感じたか?で、彼女の女優人生は、今後、大きく変わっていくと思うんだよなぁ~。
上手い役者, 上手くない役者, 心を感じる役者, 心を感じない役者, 一生懸命な役者, "現場に慣れただけ"の役者…いろいろいる。
そして、僕、"役者は、少しずつ、演技が上手くなる"って、実は、ウソだと思ってんだ。
"突然にしか、上手くならない"と思っている。
ターニングポイントになる作品, 人との出逢い, 脱皮…。
根底から変わる瞬間がある。

あっ、そうそう。『強行帰国~忘れ去られた花嫁たち~』観ましたよ~。
僕は、今までの彼女の作品…演技の中で、1番良かったと思う。
何より、観終わった後、"次の作品、楽しみだな"…と思った。
申し訳ないけど、彼女の場合、初めてね。
ところで、前田敦子ファンの人は、あれを観たのかな? いや、観てやってほしいなぁ~。
"本当に見て欲しい時に…君がいない"って、僕は、やっぱり、不幸だと思うから。
なんか、幸せじゃないと感じるから。
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300人のホールで着席観戦、定期公演をしたアイドル 吉田真里子(ナッキー)

2012-10-21 03:33:16 | アイドルを回想(AKB48を含む)分析系
300人のホールで着席観戦、定期公演をしたアイドル 吉田真里子(ナッキー)

ときめき研究家さんの東京六大学野球応援ミニコミ紙『YELL』にエールを。という記事に、「ファン目線での観戦記や次戦の見どころを掲載した『YELL』を無料で配布している」を読んで思い出したことがあります。

吉田真里子(というアイドル)が、東京FMホールで、月一回の定期コンサートをしていた頃、開場前の列に並んでいると、あるファンの方が、前月のMCを書いた自作の新聞を配布していたことを。
AKB48のメモリスト メンバー観察日記の新聞版のような感じ。

この新聞は、運営(←当時はこういう言い方はしなかったけど)の取り締まりにより廃刊。新聞を書くこと自体は、言論・出版の自由で憲法でも保証されていますが、会場で配布することがNGだったのでしょう。

吉田真里子公式HPの写真を見ると、48グループの中では、森保まどかのイメージ。
吉田真里子 画像をリンクを見ると、中には須田亜香里を思わせる茶目っ気のある表情もあるが、全体的にはおとなしい。
はてなキーワードをリンク以下引用。
吉田真里子 1970年11月19日、兵庫県姫路市に生まれる。
(本名 八十島真里子)
1987年 第6回「ミスマガジン」審査員特別賞
1988年 シングル「とまどい」にて、CBSソニーより歌手デビュー
その後、所属レコード会社・所属事務所との契約終了という憂き目にあうも、インディペンデントレーベル「blue turtle」で地道に活動。その活動期間は、メジャー時代を含めると十年を越える・・・。
2002年、所属事務所の担当マネージャーであり、かつ独立後も変わらずバックボーンとして支えてきた八十島氏と結婚。同時にすべての音楽活動を終了した。
メジャー時代を含め、決して目立つ活動をしなかったにも係らず、彼女の引退後もなお、一推しを公言してやまないファンが少なからず存在するある意味希有なアーティスト。
    
感想:インディーズ時代の吉田真里子はアーティスト的でしたけど、吉田真里子を推していた(←当時はこういう言い方ではありませんでしたが)者としては、彼女は「アイドル」

吉田真里子10年のヒストリー
ファンの回想1
自分が一番多く入ったのが、吉田真里子さんのハートフル・ギャラリーと名付けられたマンスリーのライブ(1990~1992年)。
バックバンドは、ドラムは録音、ドラム以外は生演奏という変則的な編成だったと思います。
持ち歌を全く違うアレンジで歌ったり、時には無伴奏でマイク無し(!)のアカペラで歌ったりと、実験的な要素もある楽しいライブだったのを憶えています。
ファンの回想2
10代でデビューした普通のアイドルがたどる道というのは,結婚して引退か,ヌード出してVシネマか…というコースだけど,彼女のたどったコースはそれとは一線を画していたように思う。次にでた,全曲 珍康化/武部聡志の曲が並ぶ「クレッセント」がでた頃からその辺の雰囲気が現れていた。OREというアイドル雑誌があった頃(このころはTYOという雑誌もありました),彼女は毎月コンセプトライブをやり始めた。300人ほどのホールでやるライブ。それが上述の半蔵門でのライブだったわけ。この後,彼女は自分だけのインディーズレーベルを立ち上げて,全曲自作のアルバムを出し続ける。アイドルがインディーズレーベルを出して活動することも当時は非常に珍しかったこと。今にしてみたら相当先を走っていたということか。

感想:
吉田真里子 300人のホールで着席観戦、月一回の定期公演
AKB48  250人のシアターで着席観戦、毎日の定期公演
秋葉原のシアターで初めて観戦した時の既視感(ひまわり1 デジャビュ)はここに由来する。踊らない吉田真里子と、ダンスパフォーマンスのAKB48という上辺にとらわれて、本質に今日まで気がつきませんでした。ナッキー
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