tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

コーヒー(2)

2007-03-26 19:54:55 | old good things

昨日書いた「コーヒー糖」。調べてみたら、物理学者で随筆家としても有名な寺田虎彦先生が「珈琲哲学序説」に書かれている。
コーヒー糖と称して角砂糖の内にひとつまみの粉末を封入したものが一般に愛用された時代
コーヒー糖が発明されたのは明治13年のこと。ネスレ社のインスタントコーヒーの発明が1937年(昭和12年)のことである。したがって、コーヒー糖の中に封入したのはコーヒー豆を挽いた粉であったに違いない。結晶水の多い砂糖に包まれたコーヒー豆の粉は当然、湿気で変質しやすい。
往々それはもう薬臭くかび臭い異様の物質に変質してしまっていた
コーヒー糖は、そんな飲み物だったのだ。
その昭和の初期は、”当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品(しこうひん)でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くって飲めず、飲めばきっと嘔吐(おうと)したり下痢したりするという古風な趣味の人の多かったころであった。もっともそのころでもモダーンなハイカラな人もたくさんあって、たとえば当時通学していた番町(ばんちょう)小学校の同級生の中には昼の弁当としてパンとバタを常用していた小公子もあった。そのバタというものの名前さえも知らず、きれいな切り子ガラスの小さな壺(つぼ)にはいった妙な黄色い蝋(ろう)のようなものを、象牙(ぞうげ)の耳かきのようなものでしゃくい出してパンになすりつけて食っているのを、隣席からさもしい好奇の目を見張っていたくらいである。
といった時代であったらしい(昭和八年二月、経済往来)。昭和8年に東京がそうなら、ぼくが生まれた昭和30年代の田舎も似たような状況だったのかもしれない。だから、昭和27年から販売されだしたマーガリンも、田舎に出回るまでには結構な時間が必要だったのだろう。
ところで、カフェインと芸術の相関はその頃からあるようだ。
芸術という料理の美味も時に人を酔わす、その酔わせる成分には前記の酒もあり、ニコチン、アトロピン、コカイン、モルフィンいろいろのものがあるようである。この成分によって芸術の分類ができるかもしれない。コカイン芸術やモルフィン文学があまりに多きを悲しむ次第である。
コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いの効果であるかもしれない

フランスの文豪バルザックは、毎日80杯のブラックコーヒーを飲み続け、51歳で生涯を閉じた。執筆中にコーヒーを飲み続け、その口癖は「コーヒーはオレの食べ物だ!」だったとのこと。ぼくもコーヒーの力を借りて酔わせる文章を書いてみたい。