【撮影地】北海道函館市(2009.2月撮影)
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始発電車に乗り遅れたぼくは、予定から30分遅れで東京駅に到着。駅の時刻表を見ると、次の八戸行きの「はやて」がちょうど駅に入線する時間だった。とりあえず、八戸へ。そして雪の中、青森へ。今日中に函館につけばいい。そんなことを考えて、「はやて」の立ち席に乗る。八戸まで4時間の旅だ。盛岡を過ぎれば、太平洋側を走っていた列車は、いくつものトンネルをくぐって津軽半島に向かう。いつもなら、たっぷりの雪景色があるはずの列車の窓の外は、あいかわらず、おだやかな春の日差しを反射する景色でしかなかった。青森駅には、ほんのちょっとの雪と、たっぷりの陽光があふれていた。このまま函館に行くか、青森で途中下車して観光するか。。
選択は簡単だった。雪の少ない青森を見てもつまらない。ぼくは、「はやて」に接続した特急白鳥に乗り換えて、寄り道せずに函館を目指すことにした。朝の3分の遅れは、結局、1時間遅れで函館に到着。
列車を降り、函館の地に降り立つ。底冷えするほど寒いだろうとは覚悟していたのだが、そんなことはない。道の片隅には、真っ黒に汚れた雪がとけ残っているものの、路面電車の走る大通りは埃が舞っていた。
駅の構内の書店で「るるぶ」を購入し、ディバッグの中に放り込む。どこへ行こうか、いきあたりばったりだが、そういう旅が一番好きだ。とりあえず、時間はずれでまばらな観光客の朝市を抜けてベイエリアを目指し、途中で地元の人たちがいくようなラーメン屋で遅い昼食をと。
道の標識にしたがってベイエリアの赤レンガ倉庫群を目指すも、地元密着のラーメン屋が見つからない。ラーメン屋どころか、マクドナルドも、デニーズもケンタッキーすらない。そのかわり、観光客相手の和食レストランとコンビニが目に付く。それと、若者向けのバーガーショップ。この地では、これ見よがしの和食レストラン以外は客が入らないのかもしれない。
結局、30分ほど歩き、ベイエリアを通り越して外人墓地まで出てしまった。「函館どっく前」から魚見坂を登り、昭和の面影を残す住宅が立ち並ぶ山の手の道を行き着くと、海を見下ろす小高い丘に、開港された函館に移り住んだ異国の人々が眠っていた。ここの墓地は、ペリー来航時の水兵2人を葬ったプロテスタント系が始まりとされ、ロシア系、中国系など宗派別に区画分けされていた。
ベイエリアに引き返し、人力車を横目で追い越しながら、海辺の散策路に設けられた新島襄の碑を通ってヨットハーバーへ。江戸後期、当時、22歳だった新島襄は世界を知るため、ここからアメリカへ国禁だった密航を決行した。10年後に無事帰国、彼は同志社大学を興した。彼の旅はどんなだったのだろう。国のため、命を賭した旅。今の失態ばかりの政治家に、こんな気概はあるのだろうか。
いいかげんお腹が空いてきたので、西波止場の近くにあったラーメン屋で遅い昼食。コンブの香りの効いたスープと、チャーシュー、麩、なると、メンマ、ほうれん草、ゆで玉子、軟白ネギ入りの函館塩ラーメン。
昼食を終え、そして、赤レンガ倉庫群を見物。さすがにここに来れば、函館観光の一角。観光客が目に付く。山の手にある十字街から海辺に至る金森倉庫辺りを中心に、再利用された和洋折衷の古い建物が散在していた。
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