9000人クラスターが発生したサッカー欧州選手権。こうした事例があるにもかかわらず、24日開幕の東京パラリンピックの学校連携観戦には数万人規模の児童生徒が動員される予定だ。
年齢からワクチンは打ててない児童生徒たちを守るのは、マスクとフィジカル・ディスタンスだけだ。無謀な実証実験。
10代未満は他者を感染させるリスクが高いと国外から批判が出ているにもかかわらずだ。
オリンピックの開会式・閉会式にも、夜の時間帯でもあるのにかかわらず、子供たちが動員されたことを考えると、国民の反対を押し切っての東京パラリンピックの学校連携観戦の目的はただ一つ。開催の正当化だ。
・・・子供たちの将来のためにやったのだと。
いつから政治家たちは教育者になったのだろう。政治家たちは、先生の資格を得るための勉強をしたのだろうか。親子がともに観戦し、その興奮を分かち合う一生に一度の貴重な機会を政府は奪うもくろみだ。
子供だけでのスポーツ観戦。残念ながら、そこに教育価値があるとは全く思えない。往々にしてスポーツの感動は、テレビのアナウンサーによって増幅され、それを見ている大人たちから子供にもたらされる。学徒動員はそのプロセスがないことになる。
菅首相が子供の頃のオリンピックの印象を長々と語ったが、それは幼少の頃に東北のド田舎で家族で見たオリンピックシーンのはずだ。世界一流のすごさは、大人たちの興奮によって子供にもたらされたはずだ。
一つ遠いゴール。また政府は、無観客のゴールの先に学徒動員のゴールを築いた。すべては、東京パラリンピックの開催の批判を逃れるため。子供たちをコロナの生贄にしようとしている。かつて古代の祭祀者がやった人身供犠を繰り返している。