ドイツの社会・経済学者マックス・ウェーバーは、資本主義は禁欲から脱すると評価した。営利活動は宗教的な意味も倫理的な意味も失われて、資本主義の社会では過剰な競争の情熱と結びついている。
スポーツもまた同じだ。
あれほど、五輪担当大臣をはじめとして日本を栄光と狂気に貶めた東京2020の話題も、ネットニュースからほぼ姿を消し、あからさまなほどパラリンピックに関しては報道が激減した。
ニュース価値がないとでもいいたいのだろうか?
資本主義に捉われたスポーツ。勝利至上主義がナショナリズムと結びついた時、期待を背負った選手は負けると、顔を伏せて謝る。そこには戦力で戦ったスポーツマンシップのかけらもない。
メディアや国民は選手の順位で一喜一憂するが、その応援はひいきの選手に向けてなのか、自国民としての「誇り」に向けてなのか、一度考える必要がある。
勝者以外たたえないメディア。明らかにオリンピックが謳う「多様性と調和」と矛盾している。
メダルの色で、選手のパフォーマンスやそれまでの努力は測れない。4位でメダルを逃すと、選手が国内で誹謗や中傷さえ受けるのはあってはならないことだ。