tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

「THIS IS SHE」クロージング・ノート

2010-02-08 23:18:45 | 日記

 このツアーで強烈な印象として心に残っているのは、ゲストたちから「すごく面白かった」の声を聞き、思わずこぼれたの彼女の笑顔がとてもきれいだったこと。
ツアーと言えども、ほんのわずかな時間だけしか彼女と過ごしていないが、ダイビング・インストラクターとしての彼女の人生が凝縮された瞬間に思えた。
この瞬間を写真に撮ったとき、「撮ったど~」と叫び声をあげたくなるほど、大きな手ごたえを感じていた。

水中のダイバーを被写体とする写真で、大事なことはモデルとのコミュニケーションだろう。彼女とは伊豆の雲見で何度かくっついて潜っているので、息がぴったりと合うというわけではないが、なんとなくお互いの意思の疎通ができているように思う。アイコンタクトだけで撮りたい構図にぴったりと移動してくれる。
陸上に比べて水中では、なおさら相互理解が深まるような気がするのは、ぼくの思い過ごしなのだろうか。

水中では、陸上のライティング理論が使えない。だから、試行錯誤で頑張るしかない。

 2日に渡ったダイビングの打ち上げ。スーパー・インストラクターの純平氏に気を使ってか、いつもはマシンガン・トークの彼女だが、こっちが心配になるほど口数が少ない。
このツアー中、彼女は一滴もアルコールを口にすることなく、ひたすらグアバージュースを楽しんでいた。
ダイビングの前の日には禁酒。インストラクターとしてのプロ意識がそうさせるのだ。
打ち上げのこの日、彼女がアルコールを口にしなかったのは、おそらく、ツアーで気を使いすぎて精神的な疲れのピークに達していたためかもしれない。

 何が彼女を海に駆り立てているのか・・・。いまだに、よくわからない。
ただ、彼女のダイバーを見るやさしいまなざしを見て気付いたのだが、彼女はダイビングを通じて人とつながりたいと考えているのかもしれない。
すなわち、一方的なガイディングではなく、双方的なコミュニケーションの手段として。
それは、ダイバーの輪を作りたいとか、ダイビングの楽しさを共有するグループがほしいというのではなく、海をいろんな人と共有するためのきっかけをダイビングで作りたいと考えてのことじゃないかと推測している。
彼女に触発されて、ぼくは写真でその手伝いができればと思う。写真でできることはまだまだある・・・と思っている。

 この記事のタイトル「THIS IS SHE」は、マイケル・ジャクソンのDVD「THIS IS IT」のパクリだ。
だが前にも触れたが、彼女のすべてを知りえているわけではない。タイトルにするならば、「This is her (way of life)」、あるいは、「This is (the way) She is」
とするのが正解かもしれない。つまりは、かなりの部分に、ぼくの勝手な思い込みがあることを記載しておく。



  
 

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「THIS IS SHE」その3

2010-02-07 22:27:01 | 日記

 今、彼女は、久米島の海域を覚えることに夢中だ。昨年は、久米島に毎月のように来て潜っていた。

 ぼくは今回、彼女と一緒に久米島の海に潜り、ダイビング後のタンクの残圧を非常に気にするようになってしまった。

 ぼくはもともと、ダイビング中のタンクのエアの消費が他のダイバーと比べて同じぐらいか、若干、早いかもしれない。
といのも、インストラクターが設定したダイビング・スケジュールに沿って水中を巡り、安全停止に入るときは、たいていはタンクの残圧が40~70kg/cm^2なのだ。
一緒に潜った男性ダイバーも同じようなタンクの残圧。
この40kg/cm^2の残圧は、10リットルタンクで10 x 40 = 400リットルの空気が残っている事になる。
安全停止の水深は5m。絶対圧は1.5気圧になるので、タンクからは270リットルの空気が吸える。
空気の消費率は、男性の場合はだいたい12~15リットル/分位。最大を取って15リットル/分としても、20分近く吸えることになる。
3分間の安全停止、および、それに続く、9m/分以下の浮上速度でも、安全に水面に到達できる空気の量だ。

 この安全停止に入る時のタンクの残圧40kg/cm^2は、ぼくにとって一つの目安であり、これよりも残圧が少なくなるようなダイビング・スケジュールは、なにか対策が必要ということになる。逆に言えば、タンクにエアをたくさん残してもダイビングが終わってしまえば役にたたないので、タンクのエアを効率的に使ったダイビングとも思っていた。

 ところが、久米島のダイビング。潮の流れが速くダイバーからの呼吸の泡が広がってしまうため、ダイビング・ボートでダイバーの呼吸の泡を追うということができない。
したがって、ダイビングは、エントリーしたボートの位置に戻るというスタイルにならざるを得ない。
ダイビング・セオリーにしたがって、行きは潮に逆らって、帰りは潮に乗ってというコースを取る。しかし、トンバラ付近では潮の流れが頻繁に変化するので、潮に乗って戻ってくるときに、かなりの方向修正が要求される。
もちろん、潜る前に潮の流れや強弱を確かめるのだが、潜った後も変化するので潮の流れによって適切に方向修正をかけるしかないのだ。
ほとんど目標物がない中層を泳ぎ、久米島のスーパー・インストラクターは完璧にアンカーを打ったボートの位置まで案内することができる。これは、もう、神業としか言いようがない。

 だが、ダイビングでは最悪の場合を想定することが必要である。万が一、ダイビングの終盤、水深10mでボートまでまだ距離がある場合、タンクの残圧が40kg/cm^2のゲストがいたら、インストラクターたちはどうするのだろうか。状況にもよるが、いろいろ選択肢がある中で多くのインストラクターが選択すると思われるのが、予備のセカンドステージ(オクトパス)・ブリージング。つまり、自分のエアをゲストにシェアしながらボートの下までの移動だ。
だがこの場合、オクトパスのセットの仕方によっては、ゲストと向き合って不自然な姿勢で泳ぐことになる。

 流れの強いトンバラを潜り終えて、ぼくのタンクの残圧は50kg/cm^2だった。ボートに上がり、タンクのバルブを閉めるときの残圧。いつもどおりの残圧だった。ところが、久米島のスーパー・インストラクターの指示は、「トンバラに潜るときは14リットルのタンクを使うこと」だった。それに加えて、ウェートを1kg減らすこと。
タンクを10リットルから14リットルに大きくすることで、よりたくさんの空気が吸えることになる。タンクの重量はやや重くなるのだが、水中では浮力が働くので全く問題はない。そして、腰につけたウェートを1kg減らすことによって、腰の位置を上げてより水平の姿勢をとることができ、泳ぐときの水の抵抗を減らすことができるから、空気の消費量を減らせる。つまりは、石橋を叩いて渡るような慎重な対策だった。
14リットルのタンクを使ってのダイビングで、残圧は80kg/cm^2だった。いつもは水中でもどる途中で確認する十分すぎるくらいの残圧なのだが、これで何があっても安全を十分に確保することができる。

こうした的確な判断と、ほとんど目標物がない中層でのナビゲーション。慶子さんはこれをマスターしようとしている。
 
 
 
 
 

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「THIS IS SHE」その2

2010-02-06 20:50:11 | 日記

 透明度の高い外洋の海では、はるか深遠の水底が見渡せる。透明度の高い海の中はフォトジェニックな景色なのだが、その一方で、潮の流れに浮かんでドロップ・オフの数十メートルも真下の水底を見ると、なんだか脚がむずむずしてくる。・・・深遠まで見えすぎるがための高所恐怖症による反応だ。
 崖の上や足場の不安定な場所で怖いと思うのは、本能的に身を守ろうとする大切な反応だ。この反応が過剰に出てしまうと、パニックに陥る。
息苦しくなり、一刻も早く、海面へ浮上したくなる。呼吸が苦しいからとレギュレターをはずし、大気を求めて緊急浮上すれば、間違いなく浮上途中でおぼれて死ぬ。
実際に外国の海で起きた事故だった。
 このとき、一緒に潜っていたインストラクターはゲストを追いかけて緊急浮上し、おそらくは脳内血管に発生した窒素バブルにより血流が止められて気を失い溺死。
責任感の強いインストラクターほど、パニックに陥ったゲストを全力で追いかけて、その結果、減圧症を引き起こして亡くなりやすい。

 最悪の選択なのだが、場合によってはパニックに陥ったゲストをおぼれさせてから、安全に救助する方法もあるように思えてならない。パニックになれば、どうしても救助者にしがみついて、救助者の行動を妨害しがちになる。その結果、共倒れだ。なにがなんでも、やみくもに助けようとするのは危ない。
なによりもパニックになる前に落ち着かせること、アイコンタクトをしっかりしてゲストの状態を十分に把握し、手を握るなどして落ち着かせることが重要なことだ。。
だが往々にして、ベテランのダイバーと言えども、パニックには不意に襲われる。

 

 ダイビング・インストラクターは、ゲストの安全のため生命のリスクを冒して水中をガイドしている。
沈みゆく、あるいは浮き上がるゲストを追いかけるために、ジェット・フィンという、水圧の高い深場でも推進力を失わない硬いフィンを履くし、潮の流れの激しいポイントでは、ゲストを引っ張って泳ぐため、ワープ・フィンという推進力の大きなフィンを着用する。
一見、華麗に見えるダイビング・インストラクターなのだが、日々の地道な鍛錬が自信を生み、そして指導者としてのプライドを形成していくのだろう。

 彼女の夢は、久米島の純平氏のようなスーパー・インストラクターになることだという。例え、狙った水中生物が見れなくても、海が荒れて潜れなくても、いろんな生物の話題でゲストを楽しませることのできるインストラクターになりたいと夢を語る。

 

 この日、彼女の潜水回数がトータル1500回を超えて、ゲストたちからサプライズのお祝い。
ちょっぴり感激、大きな笑顔。。



お小遣い帳に記帳。「やんぐゎ 野菜そば(すば)650円・・・」

 彼女と一緒に潜っていて、「水中生物を見たい」とか、「潜りたおしたい!」というよりは、「ダイビングで何かをしたい」という気持ちが伝わってくる。
その「何か」が見つかりさえすれば、オンリー・ワンのスーパー・インストラクターになれるんじゃないかな、そんな期待を抱いた。

 水中ツアー行程を終えて一安心の彼女。
このツアー中、いつもに増して彼女とはいろんな話をしたのだが、彼女を理解できたとは思っていない。
むしろ、ただカメラを抱え、目の前の彼女を追っかけていたようにさえ思う。
雑文書きとしても、写真屋としても、まだまだ未熟だ。もっと、人を観察する目、物事を見る目を養う必要がある。


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「THIS IS SHE」その1

2010-02-05 23:12:56 | 日記

 小説家は、一枚の写真から宝石のような言葉をつむぎだし、感動の物語を完成させる。その一方でフォトグラファーは一枚の写真に、小説家が描き表せないような感動のドラマを封じ込めることができる。
感動を呼び起こす写真をものにする。これがフォトグラファーたちの共通した魂の欲望だ。

 人物写真に取り組むフォトグラファーは多い。それは、人の生き方とその人が住む世界に対する好奇心が、フォトグラファーを人物写真に駆り立てるからだ。
どんな目標であれ、人生の目標に向かってひたむきにチャレンジする人たちの姿には 「人間の輝き」 がある。それを写真に撮ることで、多くの人の共感を得ることができる。
さまざまな職業におけるプロフェッショナルたち。その「覚悟」 「厳しさ」 「優しさ」 「誠実さ」。そして「愛」 「勇気」 「情熱」「自由」  「独自性」 。プロフェッショナルと呼ばれる人たちの日々を切り取ったドキュメンタリー写真は、これまでに数多くフォトグラファーたちに撮られて、多くの人に感動を与えてきた。

 それでも、写真だけでは被写体の人物が 「日々何を考え、何に感動し、どう生きようとしているのか」 までは伝えられない。ぼくはドキュメンタリー写真の手始めに、ぼくがダイビングの師匠として尊敬している、ある女性プロフェッショナル・ダイバーを取り上げることにした。
ぼくが彼女を尊敬している点。それはなによりも彼女の人生に対する前向きな姿勢だ。
平日はキャリア・ウーマンとして一流会社に勤務。そして週末はプロのダイビング・インストラクターとして西伊豆・雲見の海を潜る。
めったにないプライベートの日は、ほとんど海。早朝に5~10kmのジョギングをし、体力維持に努めている。

 ・・・何が彼女を海に駆り立てているのか。残念ながら今回は、そこまで掘り下げた写真を撮ることはできなかった。だが、プロのダイバーとしての「覚悟」 「厳しさ」 「優しさ」 「誠実さ」、そして「情熱」の一端をかすかにとらえることができたように思う。写真に関しては、まだまだ未熟で荒さばかりが目立つのだが、これからも 「人間の輝き」 を求めて心躍る出会いの旅を続けていきたいと思っている。

 久米島空港到着。彼女の企画によるダイビング・ツアーの始まりだ。先行して久米島入りし、空港でカメラを向けて到着を待ち構えていたぼくに気づかずに、彼女は前を通り過ぎた。カメラに気づいていない彼女の素の表情に、ツアー中に絶対事故を起こさないとの決意が伺える。
同行したゲストは、シャッターを切りまくるぼくを地元の報道関係者と思ったらしい。ある意味、2重で嬉しい。
ぼくが報道カメラマンを思わせるような「撮るぞ」オーラをだしていたこと。そして、ぼくが素朴な島の人と思われたこと。
かのインストラクターは「慶子さん」。下田ダイバーズで雲見の週末ガイドを務めて4年になる彼女だ。

 

 現地のガイドのスーパー・インストラクター純平氏と潜るのは初めてなので、潜る前のブリーフィングでも、「潜降後、慣れるまでは、ボート下でしばらくのんびりしましょう」と打ち合わせをして1本目のエントリーをする。ぼく自身、2ヶ月ぶりのダイビングとなるのだが、このりフレッシュにより耳抜きも問題なくクリア。
一緒に潜ったメンバーは、純平氏と、慶子さん。そして、ゲストが3人の計5人。
本来ならば、潜降の際にゲスト同士でケアしあわなければならないのだが、アシスタント役の慶子さんが決して無理をさせることなく、しっかりアイコンタクトをとりながらゲストたちのペースに合わせてくれるので、特に問題を感じないかぎり一人で自由に撮影させてもらっていた。

 

 アイコンタクトして、目を見ればゲストの心理状態が見えてくる。そしてそれが、ゲストにとっては、見守られているという安心感を持つ。

 ホームグラウンドの雲見では、ガイドの慶子さんの後を追っかけてゲストは潜る。だから、いつも目にしているのは前を潜行する彼女のフィン。
彼女を正面から捉えた写真は新鮮な感じがする。
雲見で潜る時は、彼女は5秒に1度、後ろを振り返ってゲストの状態を確かめる。
今回も、潜水中に自分のタンクの残圧を確かめてから、他のダイバーたちに目をやると、かならずこちらを見ている彼女と目が合った。
常にゲストたちの様子を見守っているのだ。しょっちゅう、目が合うので、自分のタンクの残圧はガイドの純平氏にではなく、彼女に申告。
・・・不安ダイバーは、常に監視されている。

 1本目を終えて、体内に溶け込んだ窒素ガスを安全なレベルまで抜くための、-5mで3分間の安全停止。
安全停止の残り2分で、-7mの海底にハナミノカサゴを発見。そしてその先で、トリガー・フィッシュがなにかをねらっている。大きな背鰭第1棘が銃の引き金のようにロックされる構造になっているのでトリガー・フィッシュの名があるモンガラカワハギ。南の海ではシュノーケリングでも比較的良く見かける派手な模様のサカナだ。歯が鋭く噛まれると大きな怪我をする。
・・・見つけた瞬間にぼくは安全停止をいったん中止して海底へ。タンクにエアの残圧があると、カメラ派のダイバーは無謀にも、また深みに潜ってしまう。
獲物を見つけると追いかけてしまうハンターの心理なのだろうか。こうして身勝手な行動をする一部のカメラ派ダイバーは、だから嫌われる。
ということで、写真を撮ってまた-5mに引き返し、安全停止の再開。・・・勝手な行動、ごめんなさい。。

 中性浮力で漂っているダイバーがいかに美しくて魅力的なのか、この写真で少しでも伝わればと思う。
さすがにダイビング・インストラクターだけあって、その動きや中性浮力のどれもすべてが美しい。うっとりと見とれてしまう。これぞプロフェッショナル・ダイビング。
黄色のタンクカバーにオレンジのシュノーケル。ホームグラウンドの雲見では、彼女は水中での目印に白い紐を通したジェットフィンを履く。

 写真を整理していて、いつも強烈に思うことは、
あの時、自分は何を見て何を感じるべきだったのか?
なぜあの時に、ファインダーを覗くことを躊躇してしまったのだろうか?
写真の技術的な問題はもちろんのことなのだが、それ以前に被写体の本質がつかめずに、ハートのない写真の山を築き、大きな後悔がこみ上げて来る。
ひょっとしたら写真を撮るということは、撮ったら終わりというものではないのかもしれない。写真を撮った後も、脳裏に深く焼き付けられたあのときの構図がよみがえってくるのだ。言わずもがな、撮った写真に対して責任がある。いい加減な気持ちでブログには載せられない。

 PC画面に写真を表示させながら、ぼくは何度も舌打ちをする。
水中にしろ、地上にしろ、フラッシュの使い方に慣れておらず、被写体に醜い影やフラッシュの反射が出てしまう。
今回、写真を撮っていて、もっとも後悔したのはレンズ。風景写真も撮るということで、標準系のズームを選択したのだが、やはりこれは、まわりのものも写ってしまって人物描画には向いていない。
それでも、至近距離でもカメラを意識することなく写真を撮らせてくれた彼女に感謝。
 

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人魚姫の休日

2010-02-04 23:05:05 | プチ放浪 海沿い編

 yaco改めyakouhimeさんは東京の看護師さん。昨年の夏に久米島を訪れての2回目の入島。
彼女の新しいハンドル名”yakouhime”は、久米島のスーパーインストラクターの純平氏の命名によるものだ。
島の夜光貝の酒蒸しを前にしてこの名前を聞いた時は、螺鈿(らでん)細工に使われる夜光貝の虹色光沢を持った真珠層の輝きに、美人の彼女にぴったりの名前だと思ったのだが、漢字で書くと「夜光姫」。
なんとなく、千葉や茨城あたりのヤンキー娘が連想されてしまう。
ということで、このハンドル名はこのツアー1回きりでボツとなってしまった。
ローマ字で書くと素敵なんだけどなあ・・・”yakouhime”

どうやら看護師さんたちは、一般的に自分の体調に対する我慢の限界が高いようだ。また、人手不足ということもあって、自分が病気して勤務シフトに穴を開けることのないように、常に健康管理に気を使っている。
それでも、風邪などで体調をくずすことはある。
だが、彼女たちはどんなに自分が病気でつらくても仕事を休んだりはしない。自宅で自身に点滴をしながらも、翌日には患者たちのところへ出かけていく。彼らのプロ意識がそうさせるのだ。

彼女たちが自分の病気に対する我慢の限界が高いのは、常に病気で苦しむ患者たちを見ているからなのだろう。だから例えば、自分の彼氏など身内の人間が風邪をひいたぐらいでは、まったく動じない。
仕事で常に気を張り詰めて、病人のケアをしているから、せめてプライベートの時ぐらいはそうしたケアから逃れたいと思う気持もわからないではない。

一方、ぼくらからすれば、看護師さんたちは病気を癒す上ですごい技術を持ったプロ集団だ。だから、風邪で熱があるときなどは、ついつい甘えてしまう。
「頭が痛いんですけど・・・」
「これを飲んでね」
出てきたグラスの液体は、ただのミネラルウォーターだったりする。
たしかに、医療に用いられる点滴の主成分は水分であることを理解するのだが、もうちょっと魔法をかけてほしいと思うのは、オトコどもの共通のお願いなのかもしれない。
かくして、プラシーボ効果により、この日ぼくはものすごい二日酔いから生還した。。

 

絶妙のネーミングと思ったんですけどね~。螺鈿(らでん)細工に使われる貝だし、キレイだし。。
んで、酒蒸しは最高っすね~。
そうかあ、夜光貝って、古くは魔よけとして身につけられていたんすね~。

 

小説執筆中。
「一人旅っていいよねー♪ ていうか、飛行機に乗って空をこえたら南国だったりして \(^▽^)/。キャハ☆ ロマンチックすぎ? 
もう日が落ちてまっくらなのに砂浜の波打ち際のトコだけ白くなってて、あー、オキナワだーって感じ。」
・・・すまん。後が続かない・。。

 

この瞬間、何人のオトコどもがPC画面の前でハートを射抜かれるんだろうか。
見合い写真を撮ってねって・・・レタッチなんて全然いらないじゃないですか!

 

きっと、病気が完治しても退院したがらないオトコどもが多いんだろうなあ・・・。
っつうか、死にそうに苦しくても、この笑顔になんか癒されちゃいますね。。

 

お疲れ~。沖縄到着。。オレ、帰りたくね~。

 

ピンが来てないのは、目から汗がでてるせいっす。花粉症なんすかね。。
お元気で~。またね。約束っすよ~。

 
 
 


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